2.コンプレックス
自分の女顔には、少しだけコンプレックスがある。
昔から初めて会った人には女の子だと思われていたし、男だとわかったあともかわいがられることのほうが多かった。
最初の方は子供特有のかわいさを愛でられているのだろうと思っていたけれど、相手の反応を見続けていればさすがに、そういう反応、ではないことを理解してしまう。
男子の視線に色が混じったときは、怖くなった。
相手も無垢な小学生だったからしょうがないとはいえ、唐突に抱きしめられたときは自らの貞操を危ぶんだ。純粋な好意から来る行動だったからこそ、余計に恐ろしく思ったのだ。
そも、貞操なんてものを認知している小学生の自分も変なのだけれど。
「……はぁあ」
誰もいない駅のホームに溜め息を吐き出す。昔を思い出して少しナーバスになってしまった。だから今、高校では髪を伸ばして顔を隠している。女顔で騒がれないためなので高校を出ると前髪はピンで留め後ろ髪はゴムでまとめてしまう。別に自分の女顔が嫌いなわけではないのだ。
コンプレックスというものは、皆なにかしらはあるだろう。
自分にとってはそれがこの女顔だったわけだが、とはいえコンプレックスの程度としてはさして大きなものでもない。どの角度から見ても女子にしか見えないし、公共施設のトイレとかでかなり支障があるけれど、それにも慣れてしまったのだ。結局一生付きまとう問題なわけだから、うじうじして悩んでいるよりはすっぱり諦めてしまった方が理にかなっている。
しかし、コンプレックスに折り合いのつけられない人もかなり多くいるだろう。
だから、彼女は自分自身のことをどう思っていたのかと、自分のことでもないのに悩んだ時期があった。
「……」
スマホの真っ暗な画面に映った自分の顔は無視してロックを解除する。ユーチューブを開くと、音楽のランキングの一番上に、昼休みにたくさん名前を聞いた曲のMVがあった。
――『Along with』藍沢ひなぎ
昨日投稿されたばかりだというのにも関わらず、再生回数はすでに二千万回を超えている。
そのサムネイルには、現実に存在するかも疑わしいような『白髪の美少女』の姿があった。
少女の何かを憂えているような表情に、胸を掴まれる。濁りのない長い純白の髪とバランスよく配置された顔のパーツから、ひと目では精緻な人形のようにさえ思う。しかし全体的に白さの目立つ容姿だからこそ、頬の赤らみが目立ってしまう。たしかに生きているのだと、思わせられる。
中学卒業間際に歌手デビューし、一年と少しが経った彼女はすでに歌手の中でもトップクラスの知名度を誇る存在となっている。
藍沢ひなぎの白髪は地毛だ。
ゆえに彼女がデビューする以前から世間から注目され人々は盛り上がりを見せていた。
しかし自分は世間の盛り上がりとは対照的に、『ひなぎはこれまで何を思って生きてきたんだろう』と静かに思っていた。
自分の女顔が十段階評価の真ん中ぐらいのコンプレックスなら、彼女の白髪はおそらく九か十。否応なしに目立ってしまうそれは、一般人として生きるうえでは足枷でしかなかったはずだ。
不憫にさえ思った。
有名人の子供として生まれた自分たち兄妹の人生と比べても、その過酷さを想像するだけで顔が歪んでしまう。もし生まれる容姿を選べるなら、彼女のような容姿を選ばない。彼女には失礼だけど、ぱっと見の華やかさに騙されて業火に包まれる人生を選ぶのは、あまりに先見の明がない。白髪の美少女なんて、ゲームのキャラクターだけでいい。
実際にその人生を送っている彼女には申し訳ないけれど、そう思ってしまう。
だから、藍沢ひなぎの歌は世界中の人々の胸をうつのかもしれない。
過酷な運命に一度は打ちひしがれ、それでも立ち上がり戦うことを決めた彼女の勇気を、今や世界中が称賛している。
生まれ持った自らの特別さを余すところなく利用して、その場所まで辿り着いた。
そこからは何が見えたのか。
気になって仕方がなかった。
……まあ、それは今から訊けばいいか。
鋭いブレーキ音が聞こえてきて、電車がやってくる。スマホをポケットにしまってベンチから立ち上がるとゆっくりと深呼吸をした。
完全に停車すると、空気の抜けるような音を出して電車の扉が開かれた。帽子を目深にかぶった黒髪の少女が、足元に気をつけながらそろりと降りてくる。縁の太い眼鏡はかけているけれど、マスクは着けていない。完全防備ではない、というのがなんというか笑えてしまった。
地味なコーディネートというのも、想像通りだった。かといって洒落ていないのかというとそういうわけではなく、いわば路傍に咲くシロツメクサのようなそんな雰囲気。
忘れ物がないか背負っていた鞄とキャリーケースを確認してから、少女はやっと周囲に目を向けた。
駅のホームはがらんどうで、自分と彼女しかいなかった。だから視線は必然的に自分に向けられる。
「……ぇ」
少女は、ぽかんと口を開いて目を真ん丸にした。
その反応で、自分のことを忘れていないのがわかって安心する。たった一度会ったきりだから、正直不安だったのだ。
目の前が光景を信じられない、と言わんばかりに目をこするほどだろうか、とは思う。この再会は彼女からすれば予想できたことのはずなのだ。俺とは三年間関わりがなかったけれど、妹とは密接な関係を築いていたのだから。
「ひさしぶり」
「ひ、ひさしぶりっ」
聴き慣れた声だが、緊張で少し上ずっていた。
少しだけ背が伸びただろうか。表情も三年前と比べて前向きで明るく、しかし、大人っぽさも増している。
「よ、よかったぁ……忘れられていたらどうしようかと思ってたんだ」
でも、あんまり変わっていない。
どれだけ浮世離れした容姿でも、どれだけ活躍していても、周りがどれだけ彼女のことを褒めそやしても、彼女の本質たる平凡さは欠いていない。
だから、思わず笑った。
「なんだよそれ。普通俺が懸念することだろ、それって」
さきほどまで安堵していたが、すぐにすねたように頬を膨らませる。
「笑うことないじゃんっ、ほんとに不安だったんだからぁ」
だって、笑うしかない。
――これが、今世界中をにぎわせる『藍沢ひなぎ』の自然体な姿なんて誰が思おうか。
露出が少ないから、彼女に近しい人しか知らない秘密だろう。
それをなぜ自分が知っているのか。
それは三年前に、ひなぎの好きだった歌手が浮花川で事故死してしまったことがきっかけだった。