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19.心の不調、身体の不調

 違和感に気づいた。

 記憶に途切れが生じている。背中にやわらかい感触。いつのまにかどこかのベッドにでも転がされていたようだった。目を開けると、保健室の天井が見えた。どうしてここにいるのだろうか、というか、ここに運び込まれる前なにをしていた?


「目が覚めましたか」


 少し上のほうから、聴き慣れた声が聞こえた。


「具合悪そうだったので、近くにいた靖彦にここまで運んでもらいました。ちょうど授業が始まるところでしたから、あまり目立たずに運べましたのでそこは安心してもらってだいじょうぶです」


 金髪の少女は丸椅子に腰かけ、文庫本を片手にさらりと状況説明してくれる。

 榛名だった。どうやら彼女が、具合が悪くなって気が遠くなっていた自分を助けてくれたらしい。

 パーテーションで区切られていて外の景色は見れないけれど、保健室には俺と榛名しかいないようだった。保健室の先生すらいない。なにか用事があったのか、それとも榛名が信頼されているのか、あるいはこれから行われるであろう会話の内容を鑑み人除けされたか。

 まあ、深く考えても意味はないだろう。考えたところで、なにか重要なことがわかるわけでもない。


「おはようございます。気分はどうですか?」

「……まずまず悪い」

「そうでしょうね」


 元々身体は強くなく、メンタル面の不調がもろに体調に影響をあたえる。春日とのやりとりで、相当参ってしまったらしい。

 榛名は俺の状態などわかりきっていたようで、おもむろに立ち上がるとベッドの脇に腰掛けた。


「今回はいろいろとタイミングが悪かったですね」

「タイミング?」

「はい。あまりよくない情報が心を休めるまもなく、飾さんに伝わってしまいましたから。飾さんの噂なんて、つい最近流れ始まったわけでもありません。そこに靖彦の言葉と、別の誰かからの直接的な言葉。ナイーブになるのも無理ないです」


 あまり自分を責める必要はありませんよ、と直接は言わないけれど榛名はそう伝えようとしていた。


「靖彦には言っておきました。『余計な心労を飾さんにかけるんじゃない』って」

「それは……ありがとう?」

「いえ」


 榛名もかなり気が立っているようだった。ベッドを指先でとんとんと叩いている。

 ちなみに、姉を取られていい思いをしなかったのは榛名もで、靖彦さんにはかなり当たりが強い。一回り以上年上なのに呼び捨てだ。


「飾さん、最近ちゃんと寝てます?」

「普段よりは寝れてないかも」


 バイトをしてから家事もこなして、風呂に入って終わらせなければならない課題を終わらせて。早めに寝るようにはしているけれど、やらなければならないことが山積している。そのせいか、眠りも浅い。


「ま、でもひなぎが来てからはそこまででも。ある程度家事もしてもらっているし」

「そういう話をしているわけじゃありません」

「……ですよね」


 鋭い榛名には、なにもかもお見通しのようだ。

 榛名はほとほと呆れ果てていた。


「たくさん頑張った見返りは、ちゃんとあるんですか?」

「ないかもしれない。でもやらなきゃならないことだし」

「ふぅん。そですか」


 もしかして怒らせてしまっただろうか、と恐る恐る榛名の顔を見上げる。


「……しょうがないですねぇ」


 榛名は少し呆れたような、でもどこかやさしい瞳を俺に向ける。細い指先で俺の前髪に触れると、そのまま顔を近寄せる、


「……がんばりやさんの飾さんには、ご褒美が必要ですね」


 吐息が耳にかかるくらいの至近距離で、囁かれた。ぞわり、と妙な感覚が背筋を走る。榛名はくすりと笑う。


「……誕生日、たのしみにしていてください」


 そう言って立ち上がると、榛名はパーテーションから出て保健室を去っていった。


 魔性だな、と思う。手を差し伸べるなら、もっと別の手段もあったはずだ。俺の考えていること、やろうとしていることをすべて理解したうえで、そこには介入してこない。ただ舞台の外の観客として、演者に差し入れを持ってきたようなものだ。

 本当ならもっとスマートに全部を解決することが、榛名にはできるだろう。第三者として客観的に状況を把握しているから、というのもある。だが、榛名の方が色々とさっぱり割り切っちゃって大胆に行動を起こせるのだ。優柔不断でうじうじ悩んで、ひとつ行動を起こすのにも多大な時間とエネルギーを要する自分と比べるまでもなく、物事を解決する能力に秀でている。


「ほんと、浮花川にいさせるのはもったいない」


 手のかかる人たちの世話ばかりさせてよい才能ではない。

 だからいい加減、ちゃっちゃとこんなことなんて終わらせるべきだ。

 榛名が用意してくれるというご褒美も気になる。

 俄然やる気が湧いてきた。


           *


 保健室を出てすぐのところで、来栖榛名はほうと息を吐いた。

 手のかかる人だ、とは思うけれど、それはしょうがないことだろうとも思ってしまう。

 和花と比べれば、飾との付き合いは浅い。


 なんなら、最初は嫌いだった。自分を押し込めて本心を隠し愛想笑いばかり浮かべる、どうしようもないやつだ。鬱憤が溜まったら適度に晴らせばよいし、辛かったら他人を頼って重みを分散させてしまえば楽になれる。簡単なことだ。……言葉にするのは。


 実際それは、榛名にとっては簡単なことだった。

 というかそもそも、自分は淡白らしい。そういった悩みをまず抱えない。もし多少悩みを抱えても和花に話せばすぐ楽になる。だから飾と初めて会ったとき、彼の苦しみはまるで理解できなかった。


 ただ、知り合って、飾のおかれた状況を知って、認識が変わった。

 思っていた以上に、柏木飾という人間は歪だったのだ。

 自分の優先度があまりにも低すぎる。本当はもっと誰かを頼って、支え合いながら生きていけば楽になることを、全部自分でこなしてしまう。それができてしまう。


 そうせざるを得ない状況だったから、というのもあるだろう。


 両親の不在に、影響を受けなかったわけがない。家を守ることも妹を守ることもすべてひとりで背負って、傷を負ってもほとんど歩みを止めずにやってきてしまった。

 その強さの裏に隠された脆さを知ってしまうと、嫌いだった感情が嘘のように消えた。


 このどうしようもないひとは、誰かが支えてあげないといつかへし折れると思った。


 結局、自分がそばにいても彼は一度心が折れてしまったのだけれど。

 だからこそ、今の状況の異常さに腹が立つ。


 飾は十分すぎるくらいに頑張ったはずだ。

 十分すぎるくらいに、苦しんでもきたはずだ。

 ひなぎが浮花川に来て、茜ともまた話せるようになって、すべてが解決するまでもう少しだったはずだ。


「なんで、ですかね」


 ここに来て、なにも知らない周囲が飾を苦しめようとするのはどうしてだろうと思う。

 たしかに三年前に茜を傷つけたかもしれない。でも今更それをほじくり返して、正義面して石を投げつけるのは、あまりおかしい。


「……なにも知らないなら黙ってろよ」


 死ねばいいのに、と言いそうになってすんでのところで飲み込む。思うだけなら誰も咎められない。それを言葉にしたり、行動に移したりすることが間違いだ。

 それに、能力のない他人が事実を知っていたところで、なにも役に立たない。それどころか場をかき乱し、飾に迷惑をかけるのだろう。


 飾のこれからすることは、おそらく茜もひなぎも、和花や彼の友人たちに痛みを背負わせることだった。

 真実は、大抵の場合誰かを傷つける。知らないから考えないでいられたことを考えなければならなくなるし、知らなかったから傷つかずにいられたのに、知ったことで傷つかなければならなくなる。


 そういうものだ。

 知らないほうがよいことは、知るべきじゃない。


 でも、伝えなければならない真実は、どうしても生まれてしまう。

 傷つけるとわかっている。

 だから言いづらい。

 でも、言わなければならない。


 その葛藤に苦しめられ、今の今まで時間がかかってしまった。

 それがわかっているからこそ、部外者である榛名も心が苦しい。

 きっと茜は知らないだろうな、と榛名は思う。

 本当は誰かを頼りたくて、でもいろいろと雁字搦めにさせられていたせいで飾は誰にも頼れなかった。

 ようやくたくさんの根回しを終えて、疲れ果てたなかで、茜を頼る決意をしたのだ。

 飾の告白の意図は、茜が思っているほど複雑ではない。


「……『ただ、そばにいてほしかっただけ』なんて、思いつかなかったでしょうね」


 雁字搦めにされて告白なんて仰々しいしいやり方で伝えたかったのが、そんな些細な願いだったなんて少し笑ってしまう。しかも、告白すること自体が『飾らしくないから』という理由で、告白への返答が質問へと置きかわってしまった。なにも言えなくなって逃げてしまうところまで含めて不憫すぎる。

 茜の好意は誰が見ても一目瞭然だったし、飾も告白すれば付き合ってもらえると思っていたに違いない。飾の見立て違いは、自分の本心にさえ気づいてなかったくせに、茜は飾の予期しないところで妙な違和感に気づけてしまった。


 自分自身の恋心を自覚していないなかで、飾の告白が飾らしくない行動だと違和感を持ってしまった。


 この歯車の噛み合わなさが、飾らしい。

 どこか詰めが甘くてケアレスミスをしてしまうのも、想定外の事態に弱いのも飾の魅力だ。少なくとも榛名はそう思う。

 だからこそ飾のことを守れる自分が、飾を守らなければならない。


 ただ、今回の件に関して自分は部外者だ。自分にできるのは飾が最後までやり通せるように助けてあげることだけ。実行役にはなれないし、飾がやり遂げたあと皆がどんな反応をして、どんな結果になるのかには責任が取れない。


 あとはもう、ひなぎや茜次第。

 自分は、この件ではせいぜい舞台袖に行って慰めをかけてあげることしかできない。問題に介入しようがないのだから、仕方のないことなのだけれど。


 榛名はひと通り考えたところで、肩に力が籠っていることに気づいた。

 リラックス、リラックス。

 怖い顔していると、逆に飾に余計な心労をかけてしまう。


「……ほんと、頼みますよ」


 すべては、茜とひなぎの二人にかかっている。その二人のためだけに隠し事を打ち明けるのだ。大切な人であるがゆえに、時間がかかった。でも、もうすぐちゃんと自分から伝えられるはずだ。

 どうか、受け入れてほしいと思う。

 それがどれだけ残酷な現実だったとしても、耳を塞がないで、わかってあげてほしい。

 まだまだ付き合いの浅い従妹の身分だけれど、来栖榛名は心の底から、そう願う。


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