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17.夜風に晒されて

「それじゃ、まあ忠告はしたからな」

「ありがとうございました。そのうち、旅館のほうにも手伝い行きますから」

「おう、頼むわ」


 律さんはカラオケの駐車場に今しがた来たばかりのポルシェに乗り込むと、そのままカラオケを離れていった。昔は、あんな人でももらってくれる人がいるということに少しだけ感動したものだ。ほんとに、律さんにはもったいない善人なのだ、彼女の旦那は。

 彼女の言葉を、いくつか反芻させながら考える。


 たしかに、ここ最近はずっと気を張り詰めていた気がする。ひなぎがそばにいるから、というのもある。ただ、どちらかというとひなぎがそばにいることよりも、ひなぎが浮花川に来て起こった環境の変化のせいだろう。


 茜と普通に会話できるようになった。

 いくらか隠し事を打ち明けた。

 驚かれ、それでも受け入れてもらった。

 前に進むと決めた以上、なにか失敗して人間関係が破綻してしまわないように頑張っていた。今のところは、概ね順調と言えるはずだ。


 そう、自分は十分頑張っていたじゃないか。

 誰かから褒められることではない。できる人は無意識に他人を気遣って生きているし、できなくともそんな面倒くさいことは考えずに失敗を受け入れたり或いは受け入れなかったりしながら生きている。過剰に心配して勝手にストレス溜めて、それでも勇気を振り絞って活動することは、はたから見ても特別なことではない。が、それでもここ最近の自分は、本当に頑張っていた。


 酒を飲んで忘れるなんて、ごめんだ。

 ストレスを忘れるために酒を飲んで、自分の頑張りまで記憶から消してしまったら自己肯定感なんて上がらない。酒を飲んでいる間の幸福感は、失ってしまえば虚しくなるだけだ。


「律さんもわかってないなぁ」


 或いは、俺がそう結論づけると理解していたが故の言葉かもしれないが。酒に溺れた人間の言葉なぞ、信用ならん。どこまでが素面でどこまでが酔った状態での発言なのか、境目がわからない。

 ただ、あの人がお酒を飲んでいないときは、余程の事情のときぐらいだ。本業の旅館の女将として出陣せにゃならんとき、将来に関わるような大きな選択に迫られたとき、家族に一大事が起こったとき。


 だから、素面の律さんは怖い。

 酒狂いでギャンブル好きで喫煙者の、どうしようもない大人の影は一切ない。本気でやりあおうものなら、自分が食い殺されてしまいかねない。

 味方ならいいけれど、敵にはしたくない。


「あの」

「わひゃあっ!?」


 背後から小さく声が聞こえて、とんでもない驚き方をしてしまった。恐る恐る後ろを見ると、あまり表情のよくない茜がそこにいた。


「ごめん、驚かせて」

「いや、うん。どしたの? 体調でも悪い?」

「ううん。なんの話ししてたんだろうって思っただけ。あの人は誰?」

「檜葉旅館の社長というか女将さん」

「え? そんな人に目をつけられてんの?」

「どっちの意味だよ」


 いい意味でも悪い意味でも通じてしまうから、つい聞き返してしまう。茜としてはいい意味のつもりだったらしい。


「飾はなんでもできるから」

「いやなんでもは」

「できるでしょ。だから、ひとりで何でも解決しちゃう。器用で不器用なばか」

「聞いてたの?」

「……ごめん、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、耳に入ってきたら離れられなくなって」


 茜はしゅんとしていた。なんというか、叱られた犬みたいだった。近所で散歩している飼い犬にするみたいに、わしゃわしゃとしてあげたくなった。


 そこまで気にすることじゃないのだ。

 たしかに三年前にすれ違いがあったかもしれない。お互い傷ついて、今も思い出すたびに古傷が痛む。

 でも、嫌いになったわけじゃないはずだ。

 なら別に、今はそれでいいじゃないか。


「変に距離取られたりしたら、余計に傷つくからね」

「……それ、飾が言うの?」

「そうでした……」


 三年前に距離を取ったのは自分だったので、何も言い返せない。


「あたしさ、あのときたくさん傷ついたよ。なにが悪かったんだろうってずっと後悔してて、でもわからなかった。あたしが悪かったことはわかったけど、飾がなにに苦しんでいたのか結局今もわからない」

「べつに、」

「『気にしなくていい』って飾が言うのは知ってる。でも気にする。気にしちゃう。友達だもん、幼馴染みだもん」


 茜に袖をひかれて、一度カラオケの外に連れて行かれた。もうすでに星々がまたたいている。涼しい風が髪を揺らす。


「飾が部屋を出てすぐ、来栖さんに言われた。『うだうだ悩むのはいいけど、結局何やっても後悔するんだから自分に正直になった方がいい』って。悩んでるのバレバレ、さすが唯さんの妹」

「悩んでるの?」

「もちろん。ここ最近はずっと飾のこと考えてた」


 まっすぐそう言われてしまって、思わずどきりとする。


「今朝飾と会話して、やっぱり飾とは関わらないほうがお互いのためなんじゃないかって、少し思った。だって今はお互い苦しいだけに思えたから。元通りになる保証もないのに傷つけあって、それでもそばに居続けるのはばかだし」

「俺はそうは思わない」

「あは、そう言ってくれると助かる。でも、あたしはほんとにばかだからさ。迷っちゃった。なんか傷つけてたら、ごめん」


 まっすぐ目を見て、謝られた。


「今も、飾がなにを悩んでいるのかはわからない。だからこそ知りたい。ほんとは三年前に言うべきだった。まっすぐに向き合って、飾の背負っていたなにかを一緒に背負ってあげるべきだった。……あたしは、助けてもらってばかりだったから」

「…………」

「今じゃなくていいよ。話す準備ができたらで、全然いいから。ひとまずは、そういう決意表明をさせてもらいました」


 そろそろ戻ろっか、と茜はすっきりした顔でカラオケの中に戻っていく。

 たしかに、話さなきゃならないことはたくさんある。

 三年前から同じ問題を抱えていて、今もその重みを背負っている。三年前の茜は、詳しいことはなにも知らず、なにも気づいていなかったはずだ。でも今の茜は、どこまで気づいていて、どこから気づいていないのだろう。


 鈍感だと思っていた茜は、茜なりにちゃんとちゃんと前に進んでいるみたいだ。

 わからないとは言っているけれど、そのことに気づけていることが一番重要だということに茜は気づいているのかな。

 自分は、どうだろう。頑張ってはいるけれど、なぜだか自分だけが過去に取り残されているような気になってくる。こういうネガティブ思考が悪いんだよな、だから律さんが忠告してくる。


 ――お前は十分頑張っただろ、たまには祝杯もいいんじゃないか。


 そんな幻聴すら聞こえてくる。


「はいはい、わかっていますよ」


 そばには誰もいないけれど、思わずそう返さずにはいられない。


 でも、もう少しなのだ。

 あと少しだけ頑張れば、すべてが報われる。いや、報われないかもしれない。

 全員で傷を負って苦しむだけ苦しんで、すべてが正常になるだけかもしれない。

 だとしても、まだもう少しだけ頑張らせてほしい。


 まだ、やるべきことがたくさん残っている。


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