15.カラオケ
借りた部屋の中に入ると、すでにマイクの取り合いが発生していた。今歌っているのは妹で、前のクールで話題になっていたアニメの主題歌。男性の歌で音域も広く、女性だと歌うのもなかなかきつい曲だというのに涼しい顔で音程も外さずに歌い上げている。
カラオケのリモコンは榛名とひなぎで争奪戦になっていて、見ると予約がすでに十曲先まで埋まっている。
「ごめん、今日はほとんど歌えないと思う」
「……いいけど。と、いうかこの三人が歌うのを邪魔するのは無理」
茜は遠い目で三人を見つめている。広い部屋だから総勢七名のそこそこ大きいグループでも狭くはない。一般人組は空いているところに腰掛けると肩身が狭そうにしていた。
特段肩身狭く見えたのは夕だった。
フォローしてあげようかと思って話しかける。
「別にそんなかちこちになる必要はないぞ。言っておくけど、そういうやつだと思っていたら拍子抜けする」
「……そういうこと気にしてるわけじゃない」
夕はぼそりと言って一度周りを見渡した。身近な二人から、奥の三人、最後に俺。
「……疑似ハーレム」
「おい、俺を勝手に女側にカウントするな」
それにそれは別の作品だ。意味合いも状況もまったく異なっている。
「逆だ。お前が女じゃないから『疑似』なんだ。しかも、お前自身は自分が女として見られることを重々理解していたじゃないか。だから、『カラオケで落ち合う』って話をしたんだろ」
「ぐ」
図星だ。
髪をまとめてブレザーの上からパーカーを着てしまえば、あとは女子にしか見られないのだ。そういう自覚があったがゆえの行動を、夕にはすっかり見破られていた。
「別にどうでもいいけどよ」夕は、まったくそんなことは思っていなさそうな声音で言う。「来栖さんが来るなんて、まったく考えてなかった。そういう意味じゃあ和花ちゃんも来るとは思ってなかったが、お前らは兄妹だからな。ほんと、来栖さんとの関係だけが謎だ」
「ああ、それ」
どう言ったものか、と少し考える。ちょうど今、和花が歌い終わったところで榛名にマイクが渡っている。ひなぎは、和花と二人で談笑していた。こちらのことは眼中にないわけではないけれど、榛名の歌が始まってしまえばひそひそ話は向こうまで届かない。
どこまで話していいのか自分の中で範囲が決まったところで、茜が話に加わった。
「来栖さんって、唯さんの妹なの?」
茜の質問が、ちょうどいい区切りのところだった。
「うん、そう。よくわかったね、ちょうど今それを説明しようと思ってた」
「唯さんって、ああ、飾のバイト先の」
「そうそ。一時期浮花川で暮らしてて、その間の居候先がうちだったんだ。だから俺や和花にとっては姉みたいなもので。……それで、その流れで妹の榛名も預かることになった」
「顔似てるよね。大人っぽさは唯さんのほうがあるけれど、その代わりに天才さは妹のほうが強い」
「素質の程度だけで言えば同じだけれどね」
唯さんは普通の世界でもちゃんと擬態して生きられる人間だ。協調性の問題だとは思う。榛名はよくも悪くも自分中心で、自分と自分の大切な人さえよければどうでもいい。だから周りから自分がどう思われていようが気にせずに生きていられる。
唯さんと榛名は対照的だが、なんというか二人を見ているとジグソーパズルのピースを思い浮かべてしまう。唯さんという姉がいたから妹はこうなって、榛名という妹がいたから姉はこうなった。反対であるように見えて、相互の関係性や結びつきは色濃く現れている。
「……って、来栖さんってお前の家に住んでんの? てか、なんでそれを茜ちゃんが知ってんの?」
「だって、たまに家から出てくるの見るし」
「茜の家って柏木くんの家から近いもんね」
「さ、さすがに毎朝は確認してないよ」
「……そこまでは言わなくていい」
笠原が茜に呆れていた。
「そういえば、来栖さんってあの来栖音葉の子供だって噂があったけど」
「それ自体は、半分嘘だよ。親戚だけど親子じゃない。でもそう噂が流れること自体無意味じゃないんだ。悲劇の歌手の実子と噂される方が、ただの親戚というよりも注目されるから」
榛名の父親が神社の跡継ぎで、母親が海外のちょっとした著名人であることはさすがに言わなかった。唯さんや榛名の金髪が、染めたものではなく親譲りのものとはっきりさせなくとも、不都合は出ない。
ちなみに、俺たちの会話の後ろで榛名が歌っていたのは『ルージュの伝言』だった。その歌に込めた意味を察すると、性格悪いなと思うけれど。
それで、平然と九九点台を叩き出すのだから何も言えない。ちなみに和花も最初の曲が九八点台だったので、次に歌うひなぎに自然とプレッシャーがかかっていた。
つい、会話を止めてひなぎの歌に耳を傾けてしまった。
残念ながら、先日発表した新曲はまだカラオケには収録されていない。
今は和花の書いたひなぎにとってのデビュー曲を歌っている。
収録のときよりも歌唱力が増している。高音部の安定性、低音の表現力の豊かさ、音程の正確さにリズム感。どれをとっても成長しているのがわかった。別にデビューしたときが拙かったわけではないけれど、まだまだたくさん成長する余地があったのだ。
ただ、どうだろう。
ひなぎはカラオケに来るのがひさしぶりだと言っていたけれど、プロらしく成長してしまったがゆえの弊害が起こる気がした。
「……うぇっ!? なんでっ!?」
点数は、それでも高めの九四点ほど。ただ本人としては気に入らなかったらしい。
まあ、予想した通りだった。歌手としては百点をつけられる歌を歌っても、採点機の機嫌はとれない。しばらくカラオケに来ていなかったのなら、カラオケ採点機が何を基準に採点しているのかを忘れていてもおかしくはないだろう。色々と感情をこめて原曲から離れていってしまうと、点数を低く見積もられてしまってもおかしくはない。
逆を言えば、和花も榛名もあまりカラオケなんて来ないはずなのに高得点を取るコツは掴んでいた。彼女らが天才たる所以をここで見てしまうのは、ちょっともったいない。
しかも、ここで簡単に引き下がらないのがひなぎだった。
「……むぅ」
今は誰も触っていなかったリモコンを唇を尖らせながら手繰り寄せると、自分が入れた曲の予約を消して、そこに先ほどの曲を入れなおす。
ある作品からの引用だが、つい『ヒトカラの女王』だ、と思ってしまう。 カラオケなんて、そのときのメンツに合わせて歌う曲を選ぶものだろう。趣味全開の選曲は、連れを楽しませることはなかなか難しい。
しかしひなぎは、周りのことなんて一切配慮するつもりはないようたった。歌いたいから歌うし、点数が気に入らないなら何度だって繰り返す。
ひなぎにとってカラオケは、友達と遊んだり雑談したりするための場所ではなく、ただひたすらに歌い続ける場所なのだろう。
ひなぎと親睦を深めてもらうために三人を連れてきたけれど、今回ばかりは失敗だったかもしれない。
夕たちはそれでも楽しそうだった。ちいさな部屋の中で独裁者と化した歌姫は、おそらく三人の中では新鮮で見ていて飽きないものなのだろう。
なら、まあいいか、と小さく安堵の息をこぼす。
隣に来ていた榛名は呆れたように肩を竦めながら、持ってきていたアコギのケースを所在なげに揺らしていた。




