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12.嫉妬

 翌日、肌のひりひり感で目が覚めて結局化粧を落とさずに力尽きたことを悟った。これまでも何度か妹や榛名の実験台として化粧をされたことがあるけれど、やはりこの痛みには慣れない。今度があれば、ちゃんと化粧を落としてから寝よう。そもそも今度がなければよいが。

 現実逃避の一環として落としていたスマホの電源を入れる。予想していた通り、知り合いたちから怒涛のようにメッセージが送られてきていた。


 直接会うのが難しい遠いところに住んでいる知人には、事前に決めていたメッセージを送って返す。

 妹の友人で今我が家に泊まっていること。

 思い出作りで写真を撮ったこと。

 妹の顔は知られているから、自分が犠牲になったこと。

 その三点を簡潔に。


 とはいえ、それだけでは理解できないこともあるだろう。混乱を深めてさらにメッセージが返ってくるので、ペンギンが南極の氷に頭を突っ込んでさかさまになっているよくわからないスタンプを全員に返した。これ以上手短に説明できないのだから、しょうがない。


 スマホはベッドに放置して、朝食を食べた。

 その日はひなぎが朝ごはんと弁当の担当だった。洗面所に向かうと弁当を作り終えてやり遂げたような顔をしているひなぎが挨拶をしてくる。


「私も飾くんたちほどではないにしろ、人並みに料理できるんだよ」

「偉い偉い」

「えへー」


 雑に褒めたのに、まるで称賛されたみたいな喜び方をされてしまう。大変かわいらしいのだけれど、ちょっとちょろすぎないか?


 横を通り過ぎて顔を洗い、タオルで水気を取る。その間にひなぎは食卓にごはんを並べてくれていて、感想を聞きたそうににこにこ笑顔で俺の正面に座った。

 普通の朝食だった。

 ごはんに焼き鮭にわかめの味噌汁、出汁を使ったほうれん草のおひたし。地元の海苔屋で作られた味付け海苔が四角くて平たいお皿に盛られている。

 ほんとうに普通の朝食で、普通に美味しくて、だから正直にそう伝えた。


「あは、うれしいよ。うんうん、私らしい。ちなみに弁当もね、玉子焼きは手作りで、ウインナーはたこさんにして、昨日の夕飯の余り物を少し入れて。あと残ったスペースに冷食を入れて。ありきたりだよね、あまりに普通だよね」

「……ところで、うちはずっと子供が食卓に立っているからよくわからないんだけど、一般家庭の一般的な女子高生というのは自分の弁当を自分で作る子ってどれくらいいるんだろう」

「中学生はまだ作っていない子のほうが多いんじゃないかな。高校生になってぽつぽつ増え始めて、っていう認識。あ、私は通信制の高校だし友達も多くないからぼんやりとしかわからないけどね」


 自嘲するように言うも、それでも自分で弁当を作れること自体が偉いことだと思う。朝早く起きるのもひと苦労だし、栄養バランスや弁当の彩りも考えて中身を埋めていくのは、結構大変だろう。普通のことだが、普通のことを当たり前にできる人が多いというわけではないのが現実だ。

 そして、通信制の高校ならば早く起きて弁当を作るという必要も本当はない。将来のことを考えて練習したのだと、容易に想像がつく。

 ほんとうに、偉い。

 素直に褒めてあげようか逡巡し、結局やめた。ごちゃごちゃ色々考えていることを、ひなぎに見せてしまうのは恥ずかしかった。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした。このあとはいつもどうしているの?」

「歯を磨いて、高校に行く準備をして、あとは出るだけ。髪は今みたいにおろしたまま」

「うんうん、それでいい。素顔のかわいい飾くんは独占させてもらいたいからね」


 ひなぎは当然のように言って、はてと首を傾げた。そして自分の発した言葉の意味と自分の言葉を聞かせた相手の両方を理解して、真っ赤になった。トマトみたいに。


「わ、私は今日家にいるつもりです」

「……」


 誤魔化そうとしていることがわかってどうしようか迷って、結局なにも言葉が浮かばない。気の利かないやつだ、自分は。


「あ、そうだ。帰りに校門で待ってるから一緒に帰ろうよ。こういう青春みたいなこと一度やってみたかったんだよね」

「できれば目立たない恰好でお願いしたいんだけど」

「あはは、いいよ」


 会話の後、ひなぎは和花を起こしに二階へあがっていった。食卓にひとり残されて、団欒の余韻にひたりながら思う。


 これはちょっとしたボーナスタイムで、サービスタイムで、きっと長くは続かない。ひなぎがずっと浮花川にいるわけではないから、という意味ではない。

 いつかこの特別は、慣れてしまえば普通に変わってしまうのだ。

 そうなってしまうことが、少しもったいないと思ってしまう。


           *


 今日はゴールデンウィーク明けだった。今年は月曜と金曜が平日の飛び地みたいな休みだったからまとまって休んだとはあまり思っていないけれど、昨日のひなぎの投稿のことが誰かに気づかれていないかと少し緊張していた。


 自分は比較的登校時間が早い方だ。だから教室に着いたときにはまだ半分以上空席だったが、現状は誰にも気づかれている様子はない。いずれ変化があるかもしれないが、とりあえずほっと胸をなでおろす。


 席について鞄からスマホを取り出す。

 とりあえずは現状の確認だ。

 ひなぎのツイッターアカウントは去年の四月に開設されたものだけれど、おおよそ一年と少しでフォロワー数は百万人を超えている。白髪美少女というアイドル性のある容姿と歌手としての実力に、露出が少ないがゆえに人々の幻想が肥大化してしまったかのような数字だ。ちょっと現実的ではない。


 そして、そのひなぎの最新の呟きが例のアレである。

 結局どんな写真が選ばれたのか確認しなかったが、ほんとうに写りのよい写真だった。二人の少女(片方はもどきだが)が並んで座って撮られた写真。楽しそうなひなぎと、仏頂面の自分の対比が、被写体の魅力を底上げしている気がする。

 反響も凄まじい。

 ……六桁を超える『いいね』なんてひさしぶりに見た。


 普段とは違うはしゃぎ方をしているひなぎに対する言及半分、隣に写る愛想のない自分に対する言及半分。少しだけどこで写真を撮ったのか、誰が写真を撮ったのか気にしている人もいたけれど、誰も答えには辿り着いていない。俺が柏木飾だと発言しているアカウントもない。


 想像以上の反応ではあったけれど、特に問題は発生していなかった。安心しながらひなぎのアカウントから離れ、今度は和花のアカウントへ。昨日の『Along with』の演奏動画への誘導ツイートがあるので、それを踏んでユーチューブに切り替える。

 音が出ないように一時停止を押して、再生回数を確認。ひと晩経って六十万再生。ピアノでのカバーにしては上々すぎる伸びだ。音楽のランキングを見ると、和花の動画が二位でひなぎの原曲が一位だった。

 ひなぎの曲のインプレッションが衰えるどころか増しているのは、和花の動画の影響もあるかもしれない。解釈が煮詰まってきたところに新たな解釈が加えられ、再確認の時間が生じているわけだ。現状まだ核心には遠い印象がある。カバー動画もなかなかの数が投稿されているけれど、和花の演奏が一番近い。ただ、おそらく榛名のほうが和花よりも理解できている気がするが。


 ひとしきり確認を終えたところで、席を立つ。教室の入り口付近で、茜が手招きしていた。一応自分以外の人じゃないか周囲を見るも、茜は首を振って『お前だ』と言わんばかりに俺を指さした。

 やはり自分が呼ばれているらしい。


「どうしたの」


 茜のそばには、笠原と夕もいた。顔ぶれを見て驚いていると三人の表情が、「なにを言いたいかはわかっているよね」と語っていることに気づく。そのまま人気の少ない階段の踊り場付近に移動すると、茜がスマホの画面を見せつけてくる。それは先ほど自分でも確認したひなぎの投稿だ。


「これって、飾よね」

「そうだけど」


 さらりと打ち明けた自分に、浮花川にひなぎがいることすら知らなかったであろう夕が驚きのあまり叫びだしそうだった。慌てて笠原が夕の口を押さえている。


「写真を撮った場所も飾の家っぽいし。彼女、どのくらい浮花川にいるつもりなの?」

「今月中はいると思うけど」

「……そんなに?」

「和花がスランプだったから、浮花川に来たみたいだし。和花が新曲を作って、そのまま収録までしていく予定らしいから前後あるかもしれないけど」


 俺の言葉に、三人は首を傾げる。


「言ったことなかったけど、和花がカズネなの」

「え? は?」

「ひなぎのアルバムが遅れているのは和花がスランプだったからだし、そう考えると『Along with』のカバーをすぐに投稿したのも面白いでしょ」

「ま、待って」

「それから、ひなぎもひなぎだよな。和花をびっくりさせたいからって急に来るって話になって。ああ、夕にお姫様って言ったのはひなぎのことだったんだけど。特に深い意味はなかったんだけど」


 茜の待っての言葉も聞き入れずに、矢継ぎ早に様々なことを伝えていく。


「……柏木くんって、こんなに饒舌な人だったの?」

「たまにある。いろいろと溜めこんでて、なにかがトリガーになって堰が切れたみたいに一気に話すこと」

「これ、私たちが聞いていいことなの?」

「意外とこれでも、話す内容は選んでいるから大丈夫だと思うけど」


 先んじてひなぎと接触していた二人は、戸惑いながらも比較的冷静だった。

 問題は、俺がひなぎと知人であることすら昨日知ったであろう夕だ。まさしくそれは青天の霹靂で、ひなぎが浮花川にいることも俺と知人であることもまったく予想だにしていなかったことだったようだ。

 関係性が明らかになっていけばいくほど、夕の表情は面白くなっていった。


「進藤くん。たぶん、これでも飾は藍沢さんとの関係を自慢したかったんだと思う」

「……あ、ああ。そ、そういうこと?」


 茜の説明も、夕はあまり理解できていないみたいだった。


「つまりは、『妹の知人だけどそれ以前に会ったことがあった。今回藍沢さんが浮花川に来たのは、もちろんカズネのスランプに対する心配もあったけれど少なからず自分に会いに来た面もある。へへーん、すごいでしょ』ってこと」

「そこまでは言ってない」

「あたしにはそう聞こえたけど」


 少し不機嫌そうに、茜は唇を尖らせている。


「自分のことじゃないからだと思うけど、すごく得意げに見える。藍沢さんの成長を見守ってきた親心? 別にいいけど」

「おおむね間違っていないけれど」


 すごく冷たい声のトーンにどう返せばいいのかわからなくなる。『信じられない』と突っぱねられなかったのはよかったけれど、状況はよくない。

 助けを求めて笠原を見る。笠原は、『これだから柏木くんは』とでも言いたげな呆れた表情。もちろん何も口出しはしてくれない。


「……あの、その、ごめんなさい」


 茜が機嫌を悪くした原因になんとなく察しがついてしまって、いたたまれなくなった。謝って、そのまま後ろを振り返ろうとする。


「うぇ、ち、違う飾。待ってってば。気にしないで。なんにも謝る必要なんてないから」


 狼狽えた茜に引き留められた。


「ほんと、気にする必要なんてないからね」

「……それならいいけど」


 夕も笠原も、今の一瞬のやりとりの意味を理解していない。

 俺の返答に、茜だけがほっと胸を撫でおろしていた。

 そこで朝のホームルームの予鈴が鳴る。


「そろそろ席に着かないとね」茜が促す。「進藤くんも訊きたいことたくさんあるだろうけど、それはごめん。昼休みにお願い」

「……おう」

「じゃあ、あたしたちは先行ってるね。ほら行くよ燈子」

「ああ、うん」


 俺と夕を置いて二人は教室に向かう。これまでのやり取りはすでにひなぎと一度会っている二人にはわかることだけれど、夕はさっぱりだっただろう。置いてけぼりにしてしまったのは申し訳ない。


「茜ちゃんの言葉通り、訊きたいことはたくさんある。でも時間もないし大事なことだけ」

「うん?」

「飾が、自分のことを話してくれてよかったよ。たぶんそれは、俺よりも茜ちゃんが一番思ってたことだろうけど」


 夕は、質問をすべて飲み込んでそう言った。


「あと、お前が絡むと茜ちゃんってあんな感じになるんだな。完全な拒絶ではなくなったけど、お互いの距離感を掴めてない感じが伝わってきた」


 夕は面白そうに笑っているが、俺からすれば笑い事じゃない。


「いいんだよ。悪くなってない、それどころか先週より改善してるんじゃねーの? 成長痛だよ」

「だといいけど」


 そう願う。

 いつまでも停滞してはいられない。

 それにしてもこの男。


「……混乱しているようで、ちゃんと見ていやがる」


 恨み節を吐いてしまう。心酔と呼べるほどひなぎのファンだというのに、さらっと平常運転に戻りやがって。


「混乱はしていたさ。飾が藍沢さんと知り合いだなんて微塵も考えたことなかったからな。でも、妙に納得したんだよな。藍沢ひなぎの話題を出したときの飾の態度に」

「そんな変な態度だったっけ……」

「うんにゃ。知ってはいるけど、自分から口に出すことはしないっていう雰囲気を感じていただけ。ミーハーみたいになりたくないだけかと思っていたけど、余計なことを喋らないための配慮だったんだな」

「それはさすがに好意的に捉えすぎだよ」


 正直、半々だ。というか『ミーハーになりたくない』という面倒くさいオタクみたいな思考すら読まれていて、少し夕のことを侮っていたと思う。

 こういうやつだから、自分みたいな面倒くさいやつと関わろうとしてくるのかもしれないけれど。


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