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27.エピローグ

 夏休みが明けた。

 妹たちの弁当を残して家を出ると、早々に湿気を帯びた暑さに参ってしまいそうになる。夏休みとは名ばかりの、全くもって休めない日々が続いたせいもあるだろう。歩くペースを落とし、適宜水分を摂りながらのんびりと登校する。


「……」


 その最中、ずっと周囲の視線を気にしていた。

 後先考えず暴れすぎた自覚はあって、今のところインターネット上で身バレしている様子はないけれど、誰にも気づかれないというのも無理があるとも思っていた。

 実際、花月舞奈が柏木飾であることは、知人たちには周知の事実となっている。

 ようやく戻ってきた平穏な高校生活が、花月舞奈だと気づかれることで終わりを迎えるのではないか、と少しだけ不安に思っていたのだ。


 その懸念は当たらずとも遠からず、高校に着いてすぐ、自分が花月舞奈だと気づいている人が少なからずいることがわかった。何人かの生徒が、普段通りでない視線を俺に向けている。

 しかし、妙な視線を送ってくる人数は想像していたよりもはるかに少なかった。それは昇降口を通り過ぎ、慣れ親しんだ教室へ辿り着いても大きく代わり映えしない。ほとんどの人が友人たちと歓談しており、視線を向けてくる人がいても、それは花月舞奈ではなく柏木飾に対する感情を起因とするものが主だった。

 ほうと息を吐く。

 自分の席に座って、肩の力を抜く。

 おもむろにひとりの女子生徒が近寄ってきて、ひとつ前の席に座った。


「おはよ、柏木くん」緊張を隠すように柔和な表情を作って話しかけてきた。「ひとつ聞きたいんだけど、……もしかして花月舞奈って」

「ああ、その話」


 近づいてきた時点でその話だろうと察していた。


「そう、だけど」素直に打ち明ける。「なにか聞きたいことでもあるの?」

「い、いや確認したかっただけっ。もちろんね、ほかの人には柏木くんのこと言ってないよ」


 女子生徒は慌てたように言う。


「だってそれって、五月のときとまんま同じじゃない。また同じことをして、柏木くんに大変な思いさせるのは、あまりに馬鹿すぎるでしょ」

「へぇ……ちょっと感心」

「でしょ! ほんと、その確認したかっただけだから!」少女は立ち上がる。「頑張ってね」


 嬉しそうに言うと、少女は親しい友人たちのところに戻っていった。

 新鮮な感覚に、一瞬地に足がつかなくなりそうだった。

 まるで自分が生存することを許容されたような、そんな感覚。

 これは親しい友人や家族から向けられた感情では覚えられないものだろう。

 他人から認めてもらうことで大きな価値を感じられる。

 花月舞奈として自分を売り出したのも、そんな意図があったからだった。まさかこんな形で早々に成果が現れるのは予想していなかったけれど。


「……うれしいな」


 気を抜くと泣けてしまいそうだった。

 ゆっくりと息を吐く。


「うぁ、どしたのその顔」

「え?」


 やってきた茜が驚いていた。「……泣きそうな顔でもしてる?」と訊ねると、茜は首を振る。


「ううん、そんなシンプルじゃない。でも、あたしはその表情、言語化できないかも」

 と肩を竦めた。


 そのあと少し世間話をして、ぐちゃぐちゃになっていた心の中が整理されたような気がした。自分が落ち着いたのは茜も俺の顔を見て気づいたらしい。そこで思い出したように話を切り出す。


「進藤くんと燈子のことなんだけど……って近い近い!」


 気になっていた話題だけに、身を乗り出してしまった。茜は慌てて仰け反って、顔の前に腕をやる。真っ赤になっていた。


「もう……」

「ごめんごめん。それで、どうなったの、二人は?」

「どうにも」


 その言葉に首を傾ける。


「そのまんまの意味。どうにもなっていない。……正確には、今はなにも変わらないことを、話し合って決めたんだと思う」

「ええ……」


 まさか二人がそういう結論を出すとは思っていなかった。


「飾も二人の考えは理解できると思うけどね」茜は苦笑いする。「進藤くんが感じてた負い目みたいなものをさ」

「わかるけど」

「それでも、二人が仲良くしているとこ見たかった?」

「……むぅ」


 夕が周囲と自分を較べて、自分自身を情けなく思っていたことには気づいていた。

 それが、二人の仲の進展を妨げていることも。


「少なくとも、進藤くんの大学受験が終わるまではそのままだって。長いのか短いのか、わかんないけど」

「笠原と同じ大学にするんでしょ」

「……そこは察せるんだ」

「夕にとって、いい目標になるだろうからね」


 学年一の成績を誇る笠原と同じ大学ということは、つまりそういうことだ。

 随分高い目標を掲げたな、と同時に、それはそれで笠原に対する並々ならない感情も表出している気もする。

 なら、今はそれで満足しよう。

 進藤夕のささやかな矜恃を、今回は尊重すべきだ。


 なにも頑張れていないと思うなら、思う存分頑張ればいい。努力が必ず結実するものではないのだと、夕自身知っているはずだ。努力は裏切らない、なんて綺麗事を語るつもりはさらさらない。

 人生に於いて大事なことは、積み重ねた努力を、それが実を結んだかどうかに拘わらず、自分の人生に彩りを与えるエッセンスになったと受け入れることだ。

 なにかひとつ欠けても今の自分はいなかった。

 自分の努力を肯定することは、自分を認める第一歩になるはずだ。


 ふいにポケットの中のスマホが震えた。

 画面を見ると、メッセージアプリの通知だった。

 中を見る。


「どうしたの?」


 不思議そうに茜は言った。

 しかし自分はなにも答えない。

 ただ、送られてきた写真をじっと見つめ、静かに微笑む。


 それは、樒海がつい最近撮ったばかりであろう、父親とのツーショット。


 本当によかったな、と心がじんわり温まっていくようだった。

 夕も樒海も、もちろん自分も、顔も知らない誰かも、誰だって少しずつでも前に進もうと努力しているはずだ。

 その努力が報われればよいと心から思うけれど、現実はそう上手くいかないことを身をもって知っている。どうにもならないときは、本当にどうにもならない。だからこそ、いざどうにもならなかった時に『仕方がない』と気持ちの折り合いがつくように生きていたい。

 自分の想いがみんなに伝わったかわからないけれど。


 ふと、窓の外を見る。

 巣立ったばかりの鳥が、たどたどしくも一生懸命に青空のなか羽ばたいている。

 そのひたむきな姿に、いつかこんな風になれたらな、と心底思う。


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