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26.熱

夕視点

 花月舞奈の生配信は、各所に影響を与えていた。

 小さなところで言えば、喫茶『Lonely』の店主である唯さんは、配信が終わると同時に妹にすべての店番を任せどこかに外出してしまったし、中にいたお客さんも花月舞奈という存在に魅入られてしまったようだった。

 花月舞奈に魅了されたのが『Lonely』にいた人にだけ起きていたのであれば、ここまでの騒ぎにはならなかった。


 しかし、配信後に調べてみると、少なくない著名人が花月舞奈の配信に反応し、その配信を、或いは花月舞奈という存在自体を拡散していた。そして花月舞奈のことをこれまで認知していなかった人々へ波及してゆく。それは、東京で生配信に特別ゲストとして参加したときとは比べ物にならない。

 本来ならこれは、偶然起こるようなものではないだろうか。

 たまたま配信を見ている人の中に著名人がいて、その人の絶賛を理由に日の目を見る。ツキが回ってきたときにその幸運を逃さないために必要なのが実力だ。

 店から出たところで、榛名ちゃんの言葉を思い出す。


『本物』は、実力以上の何かで、運がなければならないはずのものを乗り越えていく。


 まさしく、今見せつけられたものはそれではないか。

 数ヶ月前までの飾に対する認識が尽く覆されているようで、夏なのに身体の芯から寒く感じた。

 愛想が悪く、友人が少なく感じたのは、あくまで飾が俺に見ることを許していた一面でしかなかった。

 実際は好かれようと思えば誰からも好かれることができるし、俺の想像を遥かに上回るほど顔が広い。

 飾の強みはまさしくそれで、協力をしてもらいたいときに協力してくれる味方が多い。「助けて」と言えば、ちゃんと助けてもらえる。周囲に助けをほとんど求めず、すべて独りで解決してしまった春の出来事が、夢か幻のことのように思えてしまうけれど。


「……飾は、その時々の最善を模索しているだけなんだろうな」


 自分で解決しなければならないと判断すれば、独りで背負い込む。周囲を頼る……もしくは、利用することに忌避がなければ、迷わずそれを選択できる。

 今回だってそうだ。

 わざと注目を集め、発言力の高い知り合いの目に触れ、勝手に拡散してもらう。誰からも認知されていない人なら、まず誰かにひと目見てもらうことすら運が絡むけれど、人との繋がりが多ければ多いほど、運に頼る必要もなくなる。

 もちろんそれは、向けられた視線を逃さない実力があってこそだが、その点飾の実力は折り紙付きだ。

 そして、今回の生配信は、世間にそれを顕示するものとなった。


「あ」

「うん?」


 家路の途中、英単語帳を片手に菓子パンを食みながら歩く燈子と遭遇した。俺に気づき、燈子は英単語帳から視線を上げる。


「どうしたの? こんなところで、ひとりで」

「……それはこっちのセリフ」

「私は図書館からの帰り。居ても立ってもいられなくなっちゃって」


 と、まるで先ほどまでの自分の心情をトレースしたかのような言葉が燈子から帰ってくる。


「図書館で勉強しながら柏木くんの配信見てたのよ。ひと言でいえば『すごかった』で完結しちゃうんだけど……なんだか昂っちゃって」


 燈子は開いたままの単語帳で頬を扇ぐ。


「正直言ってなにしたいのかはわからなかったけど」俺が小さな声で言うと、燈子は愉しそうに笑う。

「あれはたしかに、わかりづらいかも。アーティスティックな大道芸見せられたみたいだったわね。まるで、自分の手の内をすべて明かしてしまうみたいに」


 いつぞやの配信で飾がゲストとして出たときは、端的に言えば弾き語りを見せただけ。自分で作曲して、弾き語りをすること自体はなにも珍しいことではないように思う。

 しかし、今日の飾は、あの時よりも気合いの入り方が違った。


「この前のやり方は、自分をアンプとして、周囲から受け取ったものの魅力を増幅して発信していた。でも今回は自分自身を切り売りしているように感じる。どっちのやり方が正しいとか間違っているとかじゃなくて、どんなやり方しててもこんな凄いものが創れるんだって思うと、ちょっとだけ悔しくなっちゃう」

「……言語化が上手いな」

「なまじ勉強ばかりしてないもの」


 燈子は明るい表情をしていた。


「柏木くんにとって創作活動というものは、人生においてどんな位置づけなのか、知られた気がする。柏木くんの関与が明かされつつある数多の作品を繋ぎ合わせていくと、最初からそのスタンスはなにひとつ変わっていない。初めから口下手な彼の自己表現の場であって、彼が積極的に世界に干渉できることだった。そして、自分が持つ影響力を理解しているからこそ、名義は固定化せず暴れ回っていたわけだけど」


 それもつい最近知ったことだった。

 飾は舞奈として曲を発表する以前から様々な作品を発表していて、それらは名義も媒体もまったく固定化されていない。

 飾はただ、自分の表現したいものを表現するにあたって、表現するに向いた媒体を選んでいただけだ。

 選ぶことができたのは、飾に得意不得意がないからにほかならない。

 物語を創りたければ、アニメでも漫画でも小説でも、どれも一級品のものを創れたから、描きたいものに合わせて利用する媒体を変えられた。

 音楽だって詩も曲も書けたけれど、妹の主戦場であるがゆえに自重していた面もある。しかしその実、インストゥルメンタルにおいては、名作ゲームのサウンドトラックを皮切りに、様々な作品に楽曲提供していたようだった。


「絵画方面に関しては、父親の才能を想起させるというか……」

「そこは変に深掘りしない方がいいと思うわよ」


 俺も燈子も遠い目をして言う。

 結局のところ、飾とともに東京に行つて以来、飾の才能に驚かされてばかりだった。あの日以来一度も直接会っていないというのに、日々の生活の中に飾の存在を感じさせられ続けていた。

 正直言って、下品な話だが、稼いでいる額は普通に妹の和花やひなぎを上回っているのではないかと思う。


 それほどまでに、自然なほど飾の創った作品は日常の中にありふれていた。

 それをひと息に公表する配信だった、と言わざるを得ない。


 自らが手掛けてきた作品をアレンジし、それが花月舞奈のものなのだと知らしめるように表現していく。配信でその場で披露できるものが限られているからこそ映える見せ方があるのだと、素人ながら思わされた。

 先んじて飾の才能の片鱗を見せつけられていた俺たちですら心が落ち着かなくなるほどなのだから、なにも知らなかった一般人たちは顎が外れるほど驚いているのではないか、とまで思ってしまう。


「柏木くんが今回の配信でなにをしたかったのか、なんてそこまで複雑なことじゃないのよ」


 ゆっくりと燈子は言う。


「『自分をみんなに知ってもらいたかった』。ただそれだけ、なんだと私は思う」


 シンプルな結論。だが、言われてすぐに腑に落ちた。

 飾にとって創作は自己表現の場であり、名義を固定化せず仕事をもらっていたのも名義を固定化し自らを売り出し始めたのも、最終的には自分を誰かによりよく知ってもらうための手段でしかなかったのだと思う。

 バイアスがかかって正しく評価されないのなら、名前なんて憶えてもらう必要もない。

 今の飾は、順当な評価をもらったあとの、次のステップへと移り変ったにすぎないわけで。

 なにも最初から、柏木飾の──花月舞奈としてのスタンスはなにも変わっていなかった。


「それに、柏木くんにとっては、今ようやく肩の荷が降りて好き勝手に自分らしく振る舞える時間なの」

「……それが、世界中の期待を一身に背負い込むことなの?」

「か、柏木くんの思考は妙ちきりんだけどね……」燈子は咳払いする。「単純な話が、自己分析のうえの結論を発表しているにすぎないの」

「自己分析……」

「そう。思い描いてきた理想と現実と、それを踏まえたうえでの今後の指針を、行動をもって表している。……そう簡単には言えるけど、簡単な言葉で言い表せば表すほど、発した言葉に縛られていくような気もしてね。言葉というものは便利だけれどね、時に言葉を使うことで不自由になる瞬間もある」


 そう言うと、燈子はおもむろに俺の手を取った。


「柏木くんは、たぶんずっと『言葉がなくても伝わってほしい』と願っていたと思う。それは、真実を打ち明けるのが辛かったからというのもあるでしょうけど、言葉にすることで伝えたいことの一部分しか伝わらなくなるからというのもあったんじゃないのかな」


 そしてそのまま手を絡めてくる。


「だから何が正解とか、そんなことはないの。それぞれ見て感じて受け取ったものが正しい。人間って、結局は主観で生きてるんだもの。無理に言語化して新鮮な感情が劣化するなら、感じるままに受け取ればいいの」


 燈子の熱が伝播してくるようだった。

 あまりにも熱くて、熱くて、なぜか心地よい。

 燈子はただまっすぐ俺の瞳を見続けていた。なにを思っているのか、言葉がなくとも伝わってくる気がして、少し胸が苦しくなる。


「私はもう、自分の感情に結論を出した。夕は、どうしたい?」


 促すように言うと、燈子は俺から手を放した。

 家を飛び出したときも、花月舞奈の配信を見たときも、燈子に出会ったときも、考えはまったく定まっていなかった。

 今も、それは変わらない。

 しかし、気持ちはなぜか高揚していた。


 飾に発破をかけられ、燈子に背中を見せられ情けないな、とは思う。

 でも、それが今のありのままの自分で、この恥ずかしさもいつかは笑って話せる日が来るのかな、とも思えた。

 考えが定まらないのは、すべきこととすべきではないこと、したいこととしたくはないこと、自分の中でそれらの判断をするにあたって大きなジレンマを感じているからだろう。

 それでも岐路に立ったときは、どれだけ苦しくとも選択をする必要がある。

 熟慮したところで間違えることもある。

 だからもう、選択に迷うのなら一時の気持ちの昂りに任せてしまった方が良いのだと、漸く気づけた。

 たとえ間違ったとしても、そのときはちゃんと後悔して反省して、前を向けばいい。


「ひとつ聞いてほしいことがあるんだ」


 だから俺は、一度離れた燈子の手を取った。


「これまでのことと、これからのこと。……聞いてくれるか?」


 不安を殺すように微笑みながら言うと、燈子はやさしくはにかんだ。



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