11.適任
翌日の夜のことだった。日中は俺と和花で浮花川の案内をしていたから、かなりくたくたになっていた。すでにお風呂に入ったあとで、寝ようと思えばすぐにでも寝られる状況だった。
「うぅう、和花ちゃんと一緒にいること、誰かに自慢したいよー」
夕飯を食べ終えのんびりとした時間が流れる午後八時。テーブルにだらしなくべたんとなっていたひなぎが、我慢しきれなかったようにそう言った。
「一緒に撮った演奏動画を上げるとか、雰囲気のいい喫茶店でのツーショットを上げるとか、ずっとずっと自慢したかったんだよね」
「あはは。その気持ちはわからなくないけど、私はやめた方がいいかな。あまりカズネだって気づかれる原因は作りたくないし。まあそのうち、誰かは伏せてゲストとして生配信に出てもらうつもりではいたけど……それも新曲ができてからかな」
「だよねぇ。わかってはいたけどさぁ」
「納得できない?」
「納得はしてるよ。和花ちゃんは地元でもネット上でも顔が割れてるから、私と一緒にいることが知られれば行動が制限されちゃう。私が浮花川に来ているってこともばれちゃう。まあわかってはいたんだよ、土台無理な話だったんだって……」
よよよ、とハンカチを取り出して泣いたふりをしていた。妹はそんなひなぎに駆け寄ると、頭を抱きしめてよしよしと撫でている。二人が密着しているこんな光景も、すでに見慣れたものだった。
そこに風呂からあがったばかりの榛名が、長い金髪をタオルで拭きながらやってくる。最初、なにしているんですか、と言いたげな瞳だったけれど和花とひなぎのやりとりを見て状況をある程度理解したらしい。
一度、俺に視線を向けてきた。
「え、なに?」
意図を訊こうとするも返事はなく、榛名は二人に近寄っていってしまう。
嫌な予感がした。
「適任がいますよ」
「え?」
「ほら、素顔をあまり出していなくてかわいくて知り合いも少ない人、いるじゃないですか」
三人の視線がこちらに向く。
ひなぎの顔が太陽のように輝いた。和花も妙案だと言わんばかりにうんうん頷いている。
「せっかくだし、とびっきりかわいい服着させちゃおう」と和花。
「それなら余計に飾くんだと思われなくなるもんね、天才」とひなぎ。
やりやがったな、と榛名に抗議の視線を送る。榛名は、「どんな服にしましょうか。ばっちりお化粧してあげるのもいいですね」と知らんぷりして会話に参加している。
結託した女子たちほど恐ろしいものはそうそうない。
間もなく俺は、いとも容易く見ぐるみを剥がされて、幼少期に戻ってお人形遊びをするようなきらきらの瞳で着せ替えされていた。
*
「かぁわいいっ」
一時間後、どう見ても女子にしか見えない男の姿がそこにはあった。というか、自分だった。
二階にある衣装部屋に連れていかれたときはどんな恰好をさせられるのか不安になっていたのだけれど、紆余曲折あって最終的には落ち着いた恰好になった。
ゆったりとした白のブラウスにチェック柄のワイドパンツ。肩にかかる髪は下ろしてままふんわりとカーブをつけられた。すっぴんとたいして変わらないナチュラルメイクが、余計に自分の素顔が女の子らしいという事実を突きつけてくる。
どうしてこんな、今更自身の性に疑いを抱かせるようなイベントをさせられているのだろう。感極まったひなぎに抱きつかれたのは役得だけれど、男としての尊厳をかなり失ってしまったような気がする。
「私の服のサイズがちょうどよくてよかったよ」
「それでいいのかよ」
「なにが?」
「……ならいいんだけど」
我が家に置いてある女性ものの服はほとんどが和花や榛名のもので、自分はあまり背が高いほうではないけれどサイズが小さかった。だから今来ているのはひなぎが浮花川まで持ってきたお気に入りの服だった。……俺に着せるためだけに持ってきていた服ではないと、願いたい。
頭がおかしくなりそうになりながら、全員の表情を一度確認する。特急列車に乗ったみたいな勢いで事が進んでいたから各々少し疲れて見えるけれど、だからか満足しているように見えた。
それならいいか、と無理やり納得する。
期待に添えなかったわけじゃないのなら、それでいい。
「お疲れ様でした、ホットミルクでも飲んで落ち着いててください」
黒猫が描かれた自分のマグに、榛名が飲み物を持ってきてくれる。誰のせいでここまで疲れているのかわかっているのだろうか。
でも今はひと息つきたいところだったので、つべこべ言わずにそれを受け取った。衣装部屋の丸イスにどっかり腰掛けて、両手でマグを支えながらゆっくりと口の中に注ぎ入れる。蜂蜜のやさしい甘さと、ミルクのあたたかさで気持ちが落ち着いてくる。
中身が半分くらいになって、ようやく耳がシャッターの音を認識した。見ると、三人が俺にカメラを向けていた。ひなぎと和花はスマホのカメラだったけれど、榛名はどこからかキャノンの一眼レフを持ってきていた。用意周到に、被写体を明るくする照明まで当てられている。
どうして気づかなかったのだろうか。
すべてが、無防備な俺を撮るための榛名の謀略だったようだ。
現状を受け入れるために数秒時間がかかって、結局どうにでもなれと思って諦めた。途中からひなぎも写真を撮られる側に回って、賑やかに撮影会は進んでいった。
*
写真撮影で興奮しきって汗をかいた和花は、ひとりで風呂に向かっていった。
榛名は写りのいい写真の選別のために一旦自室にこもってしまったので、ひなぎと二人きりになる。
「……最終確認なんだけど、いいの?」
ひなぎの持っている写真を見させてもらうと、どう見ても女子にしか見えない自分と白髪の美少女が並んでいる。こうして見ると、世界的に人気のあるひなぎと比べても見劣りしない。複雑な心境だった。
「最終確認って」
「ほら、私とのツーショットをこれからツイッターにあげてもいいのかっていう最終確認。フォロワー数が百万人のアカウントに、女装姿を晒されることになるわけで。そうなると、なにに使われるかわからないでしょ。まとめサイトに謎の美少女だってまとめられるかもしれない。正体がわからないからこそ探られて、核心に近づく輩がいないとも限らない。性の捌け口にされるかも」
ひなぎは明け透けに、汚らしい真実までも語った。
「私の場合は、だったけどね。でも、飾くんもそうならないとは限らない。だから私の欲のために飾くんをそのリスクに晒すのは、申し訳がない。嫌なら嫌って、言ってもらっていいから」
「まあ、その確認は正解だよ」
同意なくインターネットに他人の顔を投稿するのは、肖像権的によろしくない。
最近はSNSが身近にあるせいで、自身の顔をインターネットに晒すことの心理的ハードルが下がっているようにも思う。
一時の勢いが黒歴史となり、なにか問題が起これば進路選択にまで大きな影響を及ぼすことだってある。
ならば自分はどうだろうか、と思う。
撮った写真を上げるだけだ。問題があるとすれば自分の隣にひなぎが写っていることぐらいで、やましいことはない。……いや、女装姿をネットに晒されるのはある意味デジタルタトゥーたりえるかもしれないが。
あとはSNSに投稿されるリスクをちゃんと理解したうえで、それでもよいと言えるかどうか次第だった。
考えてみる。ひなぎの置かれた状況に自分を重ねる。面倒くさいことになるのは、想像がついた。でも中学までの同級生は、ほとんどが気づかないとは思う。女顔であっても昔は今ほど髪が長くなかったし、男子らしい恰好をしていた。だからどう見ても女子にしか見えない今の姿であれば、似ていると思っても他人の空似と思ってくれるはずだ。
さすがに親しかった人……それこそ茜には気づかれるかもしれないが、まあいいかと今は思えてしまう。
むしろばれてしまえ。
俺が俺だと気づける人に、ひなぎと親しいことを自慢したい気持ちが少なからずあった。
だからいい機会だ。
「できれば、写りがいいのがいいな」
「え?」
「ひなぎの隣にいるわけだから、見劣りする写真だと残念だし」
「飾くんならいつだって見劣りしないから大丈夫だよ」
それはそれで複雑なのだけれど。
肩を竦めて立ち上がる。
あとは榛名が適当に写真を選んでひなぎに渡すだろう。そうなってしまえばもう後の祭りで、俺にできることは何もない。しいて言えば、これから起こるやもしれない騒ぎに巻き込まれないようにスマホの電源を落として眠ることぐらいだ。
電源を長押しして暗転したのを確認すると、自分の部屋に戻ってベッドの傍の充電にさして伏せる。風呂はもうすでに入っていた。着替えも終わっているから、あとは寝るだけ……いやメイクを落としていない。でもめんどうくさいな。
そうやって様々な葛藤と戦っていると、ふと疑問が再燃した。
ネットに顔を出しそれをたくさんの人に見られることに対し、あまり忌避感を感じなかったのはどうしてだろう。
……ああ、そうか。
いつかそのうち似たようなことが起こるのだと、すでに諦めがついていたのか。
でなければ、できるだけ遭わないようにしてきた面倒ごとに自ら首を突っ込むことなどしなかったはずだ。
だから心境の変化があったわけではなくて、なにも変わっていない。
なにか心構えをしたわけではなく、元々それが失われることがわかりきっていて、諦めていた。
それならばまだ、ある程度想像通りに事が進んでいることの証明のように思えた。




