23.不自由
それからしばらく経って、本格的な夏が到来するとともに夏休みに入った。
なにか特別な出来事が起こったわけではない。
あれから樒海に会う機会があったわけではないし、夕と笠原の関係性が大きく進展したわけでもなかった。
自分は、『花月舞奈』としての活動を少しずつ広くしていた。
それはこれまで様々な名義で活動していたものをひとつにまとめる作業だった。
これまで世に出した作品の名義が『花月舞奈』になることはないけれど、これまで出した作品が『花月舞奈』のものだと紐づけできるように示していたみたいだった。
過去の自分を詳らかにしているようでくすぐったかった。
ネットサーフィンをすれば簡単に、『花月舞奈』の情報が集められるようになっていた。これまでの実績や今後の活動、ほかのアーティストとの交友関係など、山のように出てくる。
代わりに、柏木飾とリンクするようなプライベートの情報は出てこない。
そのあたりは、柏木飾を知る人間が上手に隠しているのだろう。
そのうち流出するのだろうな、とは思っているけど、だからといって何か特別対策をするわけでもない。流出するなら、それはそれで勝手にどうぞ盛りあがっててくれ、としか思えない。
ぐーっと背伸びをしてから、リビングのソファーに腰を落とした。
今日は和花も榛名も外出していた。
家にひとりでいる時間は、あまりリラックスできない。過ごしやすい環境を維持し、意識的に身体を弛緩させる。最近の慌ただしかった生活の中から、あるいは花月舞奈から、自分を切り離していく工程は、意外とストレスを感じるものだった。
これが、なにかにのめり込む弊害だろうなと思う。
自分自身とそれに重ね合わせる中で癒着してしまう。くっついたものを剥がそうとするのだから、ダメージを負うのは言うまでもないことだろう。
それが、友人たちと自分との明確な違いのように思えた。
*
目を開けると、周囲が暗かった。
眠ってしまっていたらしい。あるいは、今も夢の中にいるのかもしれない。そうおどけてみるも、エアコンの風は今もゆるやかに健在で、肌の表面を冷たい風が撫でたとき、喉が乾いていることに気がついた。
重たい身体をソファーから起こして、水道に向かう。ガラスのコップに水を注ぎ、中身をひと息に飲み込んでしまうと、どことなく生き返ったように感じた。
妹たちはまだ帰ってきてはいないらしかった。
スマホを見ると、『今日は帰れないかも』というメッセージを見つけた。和花からのものである。理由は特に書かれていない。彼女たちが家を出る際口頭で伝えられたかもしれないけれど、まったく記憶になかった。気を張り続けていたらこんなこともなかっただろうに、とは思う。
夕飯を作ろうか、とも思ったけれど、『誰かのために』という目的がない今は上手く身体と意識が働かない。食パンを一枚食んで、空腹を誤魔化す。
「自分ひとりだと、こんなもんなんだな」
意外には思わなかった。
行動の動機が他人依存だと、こうもなるだろう。
ご飯を食べなければならない理由なんて『お腹が空いた』ぐらいしかなくて、凝ったものを作る意味がなかった。美味しいご飯は好きだし、手軽で簡単に美味しく作れるレシピも知っている。けれど、いくら手軽に作れても手間は手間で、作らなくてよいのなら作らない。そんなところなのだろう。
ご飯を食べさせる意味や、美味しいご飯をご馳走する理由ならいくらでも見つけられるのに、と腹を抱えて笑う。
こと自分のことになると、てんでダメになってしまう自分に、だ。
人が独りでは生きられないのは、こういった理由もあるのかもしれない。
そう思うと、今の自分の状況は、自分というものを取り戻すきっかけとしてちょうどいい気がしてきた。
重たい身体をどうにか起こして立ち上がる。立ちくらみを無視して数歩進んで、一度壁に手をついた。身体を動かすための原動力がなくなっているようだった。言い換えれば『燃料』? それをどこから調達しようか、と深く呼吸を繰り返しながら考える。
こんなにも息苦しくて、こんなにも縛られている。
しかし、世界中の誰もがこの不自由のことを『自由』と呼んでいる。
あまりにも可笑しかった。
笑っているうちにバランスを崩し、そのまま床へ倒れ込んでしまったのだけれど、その痛みすらも今は愉しく思えた。




