22.繋がり
ひなぎと別れ新幹線に乗り、浮花川に帰ってきた。時間はもう遅く、夕と笠原はそれぞれの親が駅まで迎えにきてくれたようだった。二人は名残惜しそうにしながらも帰っていった。
「先生はどうするの?」
樒海がなぜか、浮花川までついてきた。
「どうもしない。帰るよ。和花と榛名の感想も聞きたいし」静かに笑いながら言う。「それよりも、樒海まで浮花川についてくる必要なかったと思うけど」
「今の先生を放ってひとりで帰らせるような愚行はしないよ。それに、もう少しだけみんなと話していたかったから」
「そう」
樒海はとたた、と駆けて街頭の下まで移動した。軽やかな身のこなしに、スポーツ少女だなぁと思わせられる。
「きょうは父さんのとこに泊めてもらうつもり。まだ、なんにも連絡入れてないけどね」
「それでいいのかよ」
「よくはない」なはは、と笑って樒海は言う。「でも、まだ踏ん切りつかないかな。直接会うのも五年ぶり、メッセージも年単位でやり取りがないから」
それで、なんとなく彼女の状況を察した。
両親が離婚したのだろう。おそらくは、彼女が引っ越した理由もそれではないだろうか。
母親とともに隣町に移り住んで以来、父親とは希薄な関係が続いている。
「……服ぐらいは貸してあげる」
「ほんとっ? なら先生の服でお願いね」
「たぶん和花のも榛名のも合わないから必然的にそうなるだろうけど……」失礼を承知のうえで、樒海の身体つきを見る。全体的にスリムだけれど、和花も榛名は樒海よりスケールが少し小さくやはり合いそうにない。「下着はないから、そこは自分でどうにかして」
「うむ。借りられるものが借りられるだけでありがたいよ。逆に、ブラやショーツまで持っていたら引いてたね」
「でしょうよ」
そうこう話しているうちに家まで到着していた。「初めて玄関先まで来たけど、やっぱりでかいなぁ」と、感嘆の声をこぼしていた。
一旦家の中に入って適当に服を鞄に詰め込む。途中和花に捕まりそうになったけれど、少し待たせて玄関に戻る。
「ありがとう。あとで返しに来るよ」
「急ぎはしないよ。明日学校あるでしょ」
「まーね。もう間もなく夏休みだからサボっちゃおっかな」
「それでもいいとは思うけど、俺は普通に学校行くよ」
暗に返しに来ても渡せる人がいないことを示すと、「それなら飾くんとこの学校見に行こうかな〜」とにやにやし始める。残念ながらそれはひなぎの二番煎じだ。
「返しにくるのは後でにしなさい。休日なら大抵、『Lonely』でバイトしてるから、そっちに来てもいいよ」
「奢ってくれるの?」
すぐ言葉の意図に気づくあたり、樒海は本当に鋭いなと思う。
「友人限定初回のみのサービスだよ」ひなぎにサービスしたときのことを思い出しながら言う。
「やったぜ。……なぁんか、もらってばかりな気はするけども」
「いいのいいの。大したことじゃないし」
「先生からすればね」
樒海は、視線を落として乾いた笑いをする。
「……先生の生き甲斐が『他者救済』だってことはわかる。だから私も、頑張らなきゃって思っただけ。そうしないと、誰かを救うことでしか自分を救えない先生を、私は救えない。いいきっかけだったんだ」
樒海が自嘲する。
「両親の離婚に対して、これまで折り合いのつけ方がわからなかった。でも今、その答えが見えた気がするの」
「……どういう答え?」
「簡単だよ。離婚自体をマイナスに捉えすぎていた。それだけ」
樒海は、ひとり月を見上げた。
「一緒にいることがそれぞれのマイナスに繋がっていたから、離婚しただけなんだ。それで、生活が上向きになったのなら、離婚したのはそれぞれにとって悪い選択じゃなかったんだって思うと、少し救われたんだ」
それは、自分にはできない自己救済のやり方だった。
いや、どうだろう。
そもそも自分は自己救済自体ができない人間なのではなかっただろうか。
他人を優先するばかりに、自分自身との向き合い方を忘れてしまった。
忘れてしまったことを悪いと思うのは簡単だけれど……実際はそう単純じゃないのかもしれない。
忘れてしまえたからこそ、を突き詰めていかなければ、本当に自分自身を救済することができなくなってしまうのではないだろうか。
そんな考えが浮かんで、胸が痛くなった。病気以外でこんなに胸が痛くなったのは初めてかもしれない。自分自身を認めるためには、この痛みを乗り換えなければならないと思うと憂鬱になる。
樒海は、ただ月を見ていた。
「それに、離婚したから親子じゃなくなるわけじゃない。父親が……ないし母親が嫌いになったわけじゃないのなら、鬱陶しく思われてもいいから関わり続ければいいんだって思った。だってさ、血の繋がった親子なんだぜ? こっちがこんなに好きなのに、無碍にする方が失礼ってもんだ。無責任だ」
強かだな、と思った。
彼女の考えをもっと昔に知れていたならな、とも思う。
それならば、母さんにも父さんにも、もっとわがままに振る舞えたのに。
泣きたかった。
自発的に、感情に従うように。
しかしそれはできなかった。
抗おうとすればまったく抵抗ができないというのに、泣きたいときにはまるで涙が出てこない。こんな身体になってしまって、ほんとうに等身大の青春を送れるのかと思う。
樒海は「頑張るよ」と言うと、後ろを振り返ることなく歩いていった。
街灯に照らされた彼女の背中が見えなくなるまで玄関先に立ち、そしてなにもできなくなった。
今が夏でよかったと思う。
呆然としたまま夜風に当たっていても、風邪を引く気配がまるでしなかった。




