21.帰路
そのあと副社長がスタジオに戻っていって、入れ替わるようにひなぎや笠原、樒海が出てきた。樒海だけが平常でほかの二人はまだ地に足着かないような雰囲気を出していたけれど、それでもいくらか落ち着きは取り戻していた。
「このあとどうするの?」樒海が言った。
「特に何も」間を置かず答える。「用事は終わった。三年前の出来事も、たぶん夕にはちゃんと伝わっただろうし、俺がこれからやりたいことも明確になったはず」
腕時計を見る。午後の四時だった。帰りの新幹線のチケットはすでに予約してある。あと一時間くらいは好きにしていていい時間はあるけれど。
周りを見渡すも、そんな余裕があるのは樒海と自分ぐらいなもので、残りの三人はなにかを楽しむ心のゆとりはなさそうだった。
「……この状態なら、のんびりと夕飯を調達しつつ駅に向かうのがいいんだろうな。ひなぎはどうする?」
「私は飾くんに負けないように頑張らないと……」
「そっちの話じゃないぞ」
生配信にゲスト参加し大暴れはしたけれど、そこを主戦場とするつもりはない。まして、アーティストとして精力的に曲を発表するつもりも今のところはない。
「俺たちは駅に向かうけど、ひなぎはどうするのかって話」
「あ、ああっ。そういう……」
話の内容を理解してすぐ、ひなぎは寂しそうな表情を見せた。
「またすぐ会えるよね……?」
「呼べばいつでも」
「ねえ、うちに泊まっていってもいいんだよ」
「ご両親に気を遣わせるのは嫌だから」
「やましいことなんて何もないから!」
「特になにも言ってないのに『やましいことなんてない』って言葉が出てくるのはどうしてだろうね……」
意図が見え透いていて、ちょっと恐ろしかった。樒海だけにこにこしていて、夕と笠原は引いていた。
*
スタジオの入った建物を出て、ゆっくりと歩き始めた。
久しぶりの新鮮な空気だというのにこうも胸が重たく感じてしまうのは、都会のビル群と喧騒の中にいるからだろうな、と苦笑する。
このなんとも言えないにおいのする空気が、存外面白くて好きだった。
もちろん気分がよいという意味ではない。若干の不快感すら、人生を楽しむための材料に感じられるほど、心に余裕があるというだけの話だった。
一度スマホを確認する。
生配信を終えると同時に『花月舞奈』の名前でSNSのアカウントを作っていた。そこから一時間も経っていないけれど、多くの人からフォローをされている。
一番初めのフォローが榛名で、その次が和花なあたりについ笑えてしまうのだけれど、あまり画面に意識を持っていかれては人にぶつかってしまう。スマホの電源を切って、鞄の奥底にしまい込んだ。
未練はたくさんあった方がいい。
それが次の瞬間を生きる糧になっている。
頭の中で音楽が鳴っている。
自分の奏でた音色だ。
これから自分が奏でなければならない音だ。
これからさき自分のすべてを吐き出して吐き出して、吐き尽くして、そうやって何もかもを失った先に見えるものを、今の自分は望みたいと希っている。
「ひなぎ」
隣を歩く少女の名前を呼ぶ。
彼女の小さな手を握ってみたいと初めて思った。
恋愛感情なんて到底言えない、醜くて、気持ちの悪いものだ。
言い換えれば『独占欲』と呼ばれるもの。
そんな自分勝手な感情を抱いた自分に驚きつつも、少しだけ感心していた。
「どうしたの?」少し見上げて彼女は言った。「名残惜しくなった?」
「いや、うーん……なんだろ」
特にこれといった用事がなかったことに気づく。
つい名前を呼んでしまっただけ。
それを『名残惜しい』と言うのかもしれない。ひなぎ自身は深く考えもせず言ったことだろうけど、実は核心を突いていたのかもしれない。
澄んだ藍色の瞳を見て、彼女とまたしばらく会えなくなるのだと思い出す。
こういうとき、一度膨らんでしまった感情の歯止めが利かなくなっている自分を、情けなく思う。
最近はずっとそうだった。
衝動的、と言ってもいいかもしれない。その片鱗はずっと今日みんなの目に見せていて、柏木飾の新しい『らしい』一面として表せていた気がする。
しかしそれも、自分自身をコントロール下においての状態だ。
「飾くん……?」
真っ先に異変に気付いたのは、話しかけられ自分を見つめていたひなぎだった。
涙が自らの頬を伝って落ちたことに、すぐ気づく。
「だ、だいじょうぶ?」
「ん、まあ……たぶん」
ひなぎの動揺が見てとれて、自らも落ち着かせるようにいつもの調子で言葉を返した。
ひなぎと会えなくなること自体を過剰に悲しんだわけではない。多少なりともその気持ちはあったのは事実だが、起因となった程度で、涙が零れてしまった要因はほかにあるような気がする。
それがわかっていれば、コントロールできただろうに、とも思う。
「ごめん、気にしないで。止まんないや」
なかなか止まらなくて、抵抗すること自体を諦めた。
泣いてしまうのは仕方がない。
ただ、声も表情もいつも通り動かせる。
それなら過剰に気にしていても何も進まない。往来を歩く人にぎょっとされているけれど、気にしないでと言わんばかりに手を振り返してみると、誰もそんな表情は見せなくなった。カメラはないけれど、なにかの撮影とでも思ったのかもしれない。
異常だな、と自分でも思う。
副社長が心配に思うのも無理はない。追いついてきたほかの三人にも『気にしないで』と伝えて笑うと、歪な五角形は最寄り駅へと向かって歩みを進めていく。




