20.配信終了
ひさしぶりに、こんなことで汗をかいたように感じた。
それは歌を歌うことに熱中していたからではあるけれど、それはそれとして副社長と夕が一緒に扉から出ていくのも視界の隅で認識できていた。
いったいどんな話をしていたのだろうと、生配信が終わった直後の空気を頬で楽しみながら考える。
今は気分がよくて、なにを話されていても許せそうだった。
というか、今の自分に隠しておきたい秘密なんてもうあまり残っていない。
「お疲れ様でした。……って聞こえてるかな?」
配信が終わった直後に話しかけるも、ナオヤとカナは放心状態だった。
それ自体に特に言うことはない。もし自分がこれを間近で見せられている側の立場だったら、同じような状態になっていただろう。
先程の自分は紛れもなく異常だった、と自分でも思う。
なにをしていたか、その言語化自体はとても楽で、自分がよいと思ってきたものを出力し続けただけだ。
和花やひなぎ、榛名といった身近な人だけでなく、子供の頃からの憧れだったスターたちのエッセンスも盛り込んだ。
歌声を重ねれば重ねるたびにいろんな色が見つかったような気もする。なかなかに新鮮な経験だった、とまるで他人事のように思うのだけど。
「……まあ、他からすれば、そんな冷静ではいられないよな」と、放心状態の二人を見ながら呟く。
花月舞奈というものを演出するうえで、このうえない演技はできたと思う。
呆けている二人は放っておいてブースを出た。「どうだった?」樒海に声をかけると、彼女は満面の笑みを浮かべて親指を立てるのみ。ひなぎも笠原も呆然としていて、まともな反応は期待できそうになかった。
「ありがとうございました。ちょっと飲み物買ってきますね」
一先ずスタッフに声をかけて、部屋から出る。
喉が乾いていた。
自分ばかり目立っていたことに対する申し訳なさは少しあった。でも、こういった場に慣れていなくて、どこまでエンジンをかけてよいのかわからなくなっていたのも事実だ。あとでフォローはするとして、今はこの昂った感情を少しでも落ち着かせたかった。
「お」
近くの自販機のところで、葦屋副社長と夕の姿があった。
「なんの話をしていたんですか?」と、つい何気なく聞いてしまった。
「三年前のこと」副社長が、やってきた自分を見て苦笑いしていた。「あのときのこと、言っちゃってよかった? 浮花川から東京に殴り込みに来た日のこと」
「ええ。問題ないですよ。むしろありがたいくらいで。どうしてもあのときの出来事は、主観でしか語れなかったから」
副社長であれば、当時の状況を正確に把握できているだろう。
「夕」頭を抱えている夕の名前を呼んだ。「なにをそう深刻に捉えているの、大体はわかるけどさ、やっぱりそこまで複雑じゃないんだよ。理解を求めているわけでもない」
それは紛れもない事実だった。
理解してほしいなんて考えは傲慢のように思う。自分は自分で、他人は他人だ。自分と他人との境界線を曖昧にする感覚は、常人にはきっとわからない。
言い換えれば『他人に寄り添う』と同義なわけだけれど、ならそれが容易にできるかというと首を振るだろう。親身になったところで他人なのだから理解できないものは理解できない。
十全な理解を求めること自体が、高望みなのだ。
「ただ、目の前にあるものを信じればいい。それだけなんだよ」
それは柏木飾に対してもだし、笠原燈子に対してもそう。
理解はできなくても、信じることはできる。
信じることは簡単なことではないけれど、他人を理解するよりは余程現実的だ。
「柏木くん」
「はいなんでしょう」
「やっぱりきみはね、もっと気持ちを落ち着かせるべきだと僕は思うよ」
副社長は肩を竦めながら言った。
「柏木くんがすごいことはわかる。でも、期待や理想を集めて、それに合わせて自分を変容させようってのは無茶苦茶だよ。できるかもしれないけど、それで身体や心の隅に追いやられた柏木飾自身は、どうなるんだい?」
「どうにもなりませんよ。事の大小はあれ、芸能人なんてみんな同じようなことをやっていると思います」
「それはそうだがね」副社長は悩む素振りを見せた。「こういうのは、『自分は自分』で『芸能活動は芸能活動』と割り切れる人に向いている芸当だけど、きみは割り切るタイプではなくて、振り切るタイプの人間だからさ。一回それを始めたら楽しくなって行くとこまで行っちゃうだろ」
「それはその通りですけど……」
自分をよく分析しているな、と思う。
楽しい、という感覚は自我の一部ではある。けれど、楽しい感情ばかりが暴れて本来の自分というものを思い出せなるくらい、演技にのめり込んでしまうことを副社長は危惧しているようだった。
なにを今更、とは思う。
「もうだいぶ手遅れ感はあります」
「だとしても、だよ。きみの大切な人はみんな、きみがこれまでどれだけ頑張ってきたかを知ってる。どれだけ自分を犠牲にしてきたのかも、だ。だから本当はもう頑張らなくていいって言いたいんだ。僕だってそうだ」
そう思ってもらえているだけ、ありがたかった。
「でも、きみはマグロみたいだからね」
「おい言い方」そんな受け身で不感症な人間じゃない。
「そのまんまの意味だって。泳ぎ続けないと死んじゃう、哀れな生き物。だから、自らこうやって重みを背負いたがる。それ自体は否定しない。ただ、常人なら絶対耐えられない重圧ばかり背負うもんだから、心配されちゃうんだ。もちろん、きみがこういう生き方しかできないのも僕は知ってる」
それでも心配なものは心配だから。
副社長はそう言って笑った。
「友達を大事にしなさい。浮花川にいる間だけでいい。等身大の青春を、今は大切にしなさい」
「わかりました」それはもとよりそのつもりだった。「じゃあ浮花川から出たらフルスロットルで頑張りますから」
「それはできればやめてほしいな……。きみの本気は業界がぶっ壊れちゃうよ」
それこそ『Minor』と同じくらいの頑張りでいいんじゃないかな……と副社長は遠い目をしていた。
 




