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19.鮮烈な印象だけ残して

夕視点

 飾が歌い始めた瞬間に目を伏せた。

 あれは、なんだろう。

 柏木飾という存在自体に疑問を感じてしまうほど異質な存在に、今このときは思えたのだ。

 飾の歌は、柏木飾らしいと思えるものではまったくなかった。

 飾の頭の中に思い描いているビジョンが、一切の劣化なく、表現として現実に顕れている。

 彼の知る表現者たちを思い浮かべながら、千変万化する飾の表情は、見知っていた者が消え知らない誰かへと変わってしまったかのような恐怖を感じさせた。


「……放送事故だな」


 苦笑が近くから聞こえた。

 飾が葦屋と呼んでいた人だ。たしか葦原プロダクションというところの副社長をしていて、この配信のパーソナリティを徹してくれた二人をプロデュースもしている。

 放送事故……たしかに、放送事故かもしれない。

 ゲストとして出演した(視聴者から見れば)少女が、主役を完全に喰って配信を自分のものとしてしまっている。この配信を見に来ているのは二人のファンであって、飾の……花月舞奈のファンではないはずだ。

 配信に求められていたことからかけ離れたことをしてしまっている現状は、紛れもなく放送事故だろうし、褒められたことでは決してない。

 そんなことは、飾自身理解しているはずだ。


「……これで、いいんですか?」


 不安な気持ちを、そのまま葦屋副社長にぶつけてみることにした。

 副社長は曲を披露する飾の姿を眺めながら「よくはない。よくはないけどね」と肩を竦めた。


「見ていて理解はできるだろう。柏木飾という存在は、あまりにも異質なんだ」

「はい、それは」

「進藤くんって言ったかな。きみは、柏木くんの同級生らしいけど」


 まず名前を覚えられていたことに驚いた。しかしそれは、人を率いるうえで必要な資質だろう。無理やり自分を納得させ、副社長の言葉を聞く。


「普段の彼と見比べて、今の彼はまるで別人にしか見えないだろう」

「……はい」

「それどころか、彼の周囲にいる天才たちをなぞっているようにすら見える。和花ちゃんや音葉さんの姪御は当然としてね……藍沢ひなぎだって、十分に才能のある人間なんだよ」


 近くに藍沢さん本人がいるからか、副社長は声の音量を抑えて言った。


「そんな人たちの真似をこんな簡単にできてしまうのはね、彼の感覚が恐ろしく鋭いからだ。そして、自分自身の癖がない。言い換えれば『アイデンティティ』が欠落している」

「アイデンティティって」


 それは言い過ぎではないか、と思った。しかし、自分に口出しできることではない。俺は副社長より人を見る目は鋭くなく、飾のこともあまり知らない。その考えに寄り添うのように副社長は静かに頷いた。


「……ちょっと、着いてきてくれるかな」


 副社長はそう言って振り返ることなく部屋から出ていった。

 まだ飾の歌は途中。

 後ろ髪引かれる思いはあるけれど、仕方がない。

 慌てて追いかけて部屋を出ると、エレベーター付近の自販機のところで副社長が待っていた。手には缶のサイダーが見えた。


「あげる」

「あっ、……ありがとうございます」


 俺がそれを受け取ると副社長は近くの壁に背中を預ける。彼はそのまま天井を見上げ、照明をじっと眺めていた。

 プルトップを持ち上げサイダーをひと口喉に流し込んだところで、彼は口を開く。


「柏木くんを知ろうとするのは間違いなのかもしれないね」

「えっ?」危うく手に持っていた缶を落としそうになった。


 副社長はいたって本気のようで、こちらには一切視線も向けず話を続ける。


「ああやって、本気の柏木くんを見るたびに、本当の柏木飾は彼のどこにいるのだろうか、なんて考えてしまうんだ」

「あいつは、ずっとあいつです」

「言葉の上でならなんだって言えるさ。でも本心では似たようなこと、思っているんじゃないかな。言っちゃあ悪いけどね、今のきみ、顔色悪いぜ?」


 否定の言葉は何も思い浮かばなかった。

 思考を巡らせれば巡らせるほど、気づかないふりをしていた本心が晒されていく。


「アレを見たうえで、柏木飾はどんな姿でも柏木飾だ……って言えるなら、本物だ。僕だって、彼に本気の演技をされたらわからなくなる」


 言える自信がなかった。

 飾らしさ、というものを見失っている今の俺には、普段俺たちと会話しているときの飾ですら本人なのかを疑ってしまいそうにすら思う。

 これが来栖榛名や新島樒海なら、飾がどんな演技をしていても飾だと見抜けるのだろう。それを、彼の本当の友人と呼べるのかもしれない、と思って頭を振った。桃川茜がよい反例のように思えた。


「そもそも、彼自身も自分のことがよくわからなくなっているんだと思う。色々済んで心の重みが軽くなったんだろうけど、すべてが宙ぶらりんになっちゃって。……ほんと、もっと報われてほしいなとは思っているんだけど、それは当人しか背負えないことだから」


 副社長は額を押さえた。


「彼がこれまで負わされてきたものは、人ひとりに背負わせるにはあまりにも重すぎた。誰かが悪いとかそういうわけではなく、仕方がなくそうなってしまったものだけど、割を食わされてきたのが柏木くんなのは言うまでもない事実だからさ」


 報われてほしいと願うなら、やるべきことは決まっていて。

 それは何度だって自覚してきたことのはずなのに、いざとなると想定なんてものはまるで役に立たなくて。


「あれは……本当に凄まじいな。何者でもないがために、何者にでもなれる。何者かになるために、世界中から期待や理想を一身に集めようとしている」


 飾の今日の行動意図がまるで読めていなかったけれど、副社長の言葉でようやく理解できた。

 飾は、自分自身の存在をより強固とするためにこんな無茶をやらかしている、ということなのだろう。


「そこに彼自身の才能があるのは言うまでもないと思うけどね、それだけじゃあの芸当はできないよ」

「ほんとに、雲の上の存在なのかよ……」

「それだけ単純なら楽なんだ」副社長は首を振った。「実際は、どこにでもいて、どこにもいない。手が届きそうで絶対に触れられないんだ。『偶像』として扱ううえでこれ以上相応しい子もいないと思う」


 期待や理想に合わせて柔軟に変容しうる性質も、期待や理想に耐えうる強かさも才能も。


「大事なのはね、なにを見せられても受け入れてあげることだけだよ。あの子が曲がらず真っ当に育ったのは奇跡だ。ちょっと暴走するくらいかわいいものじゃないか。道を踏み間違えれば、歴史に残る大犯罪をやってのけても不思議じゃない危うさがある。……もちろんそれは、本人だって自覚してるだろうけどね」

「そんなことはっ、」

「ありえないわけじゃないんだよ。だってさ、柏木くんの人心掌握術はえげつないんだ。それを善い行いに活かしているだけで、悪意さえあれば、社会を巻き込む大事件を起こせる。……それこそ、宗教の教祖とか、ね」


 僕が会ったことある人の中では一番その才能がある子だ、と副社長はぽつりと言う。

 言い得て妙ではある。

 飾に教祖は似合わないと思うけれど、やっていても不思議には思わない。

 才能という意味では、たしかに飾には向いている。


「この前の来栖音葉の一件だって、あのタイミングで表沙汰になるように仕向けられたと言っていいと思う」

「え……?」

「秘密を明かさずになんとかする手段もあったけど、あのときはあれがベストだと柏木くんは判断したんだろう。各芸能事務所では、可能性が示唆されていたこともあって上層部の混乱は少なかったんだ。現場は大混乱だっただろうけど、上の人間は驚くほど冷静に対処していた。それも柏木くんなりの配慮だったんだろうけど」


 それが正常な人間にできることだろうか、と暗に副社長が伝えたがっているように思えた。


「……でも、まだマシかな。三年前の柏木くんは『異常』と言う以外の言葉が見つからないから。だって、目の前で母親が事故に遭った直後に単身で東京乗り込んできて、方々に喧嘩売って帰っちゃうんだぜ? あのときは、戦慄したね」

「喧嘩って……」

「嘘は吐いていないよ。ほんとうにそうだったの。どこから仕入れたのかわからないけど、世間にリークされたら業界すべてが大混乱になる情報を手に入れまくっていたんだよ。芸能界の闇というか暗部というか……とにかく未来輝かしい高校生諸君に話せるようなことじゃないんだけどさ」

「な、なんとなくお察しします」

「自分で言うのもなんだけど、僕の不倫なんてかわいいもんでさ。あのときは本当に、芸能界が氷河期に陥ってしまうんじゃないかってびくびくしたよ」


 副社長は身を震わせた。思い出すだけでこうなるのだから、当時は想像を絶する恐怖を感じたことだろう。……いったいどんな秘密を知っていたのだろうか、と考えるけれどまったく思い浮かばない。俺には現実みがない話だった。


「怪我の功名か、音葉さんの死については深く考えるタイミングを逸してしまった。おそらくはそれも柏木くんの狙い」

「あ」


 すべての行動に裏がある。

 点と点が繋がって線となっていく様は快感を覚えてしまうほどに。


「まず初めに、取り入りやすいうちの家族に狙いをつけた。起こっていた僕の不倫というものを逆手にとって味方をつけ、芸能界での扱いやすい駒を得ると、そのまま一気に侵略して浮花川に帰っていったんだ。あのとき覚えた強烈な印象を、僕は一生覚えていると思う」


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