15.負け方
「さて、落ち込むのもこれぐらいにしよう」
気合いを入れるように、副社長は勢いよく立ち上がった。
「柏木くんに折り入ってお願いがあるんだ」
副社長はスマホを操作し、とある画面を自分に見せてくる。
それは、今日の午後一時から始まる生配信の告知画面。
今葦原プロが売り出しをしているアーティストの生配信だ。隔週に一度の頻度で配信を行っており、一度だけ見たことがあった。
若い男女の四人組でとても活気があり、花がある。売り出し方を間違えなければ売れるだろうな、とぼんやり思った程度の印象。
「その反応だと、この子たちのことは知っているみたいだね」
「雰囲気がわかる程度ですよ。名前は誰も覚えてません」
「それは追々でいいさ」
副社長は意味深長に笑みを浮かべて、一度部屋を出ていく。そしてすぐ、一枚の紙を持って戻ってきた。
「これが、今日の配信の資料。目、通しといて」
「あの」
「本来は、ラジオ形式でメンバーそれぞれのキャラクターをアピールする番組なんだけどね、今日はちょっとだけ趣向を変えてみようと思う。せっかく柏木くんがいるんだ、この子たちにとってもいい刺激になるだろう」
「おい」
「……まだ説明が途中なんだけど」
「それがっ、『折り入ってお願い』をするときの態度かっ」
「うわ、ちょっと柏木くん、本気で叩かないでくれ! 眼鏡がっ!」
「ふんっ」
人を置いてけぼりにして勝手に話を進めていく副社長に心底腹が立ってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「反省しろ」
「ほ、ほんとうにごめんって」
倍近く年齢に差があるというのに、なぜ自分が大人ぶらなきゃならないのだろうと思う。
才気溢れる若者を導く人間なのだから、大人として規範となる行動をしてほしいのだけれど……まあきっと、葦屋副社長はずっとこの調子なんだろうな。
「先に要件を言ってください」
「柏木くん、せっかく東京に来てるんだ。この生配信に出てみないかい?」
「……ほんと、最初にそれを言ってくださいよ」
相手にお願いするときの態度がなっていない。
「いや、だって柏木くんさ、まっすぐに生配信に出てくれって言っても、本心を無視して断るだろう」
「そうですけど……ん? いや、『本心を無視して』ってどういうことですか。まるで自分が、」
「『生配信に出たいと思っているみたいだ』って? 違わないでしょ」
「ぐ」
否定を押し込むように、決めつけられてしまった。
「自分が、どれだけ無謀なことを言っていると思っているんですか」副社長に苦しくも抵抗してみる。「たしかに来栖音葉や柏木和花と血は繋がってます。……ですけど、自分はそういったライブとは無縁だった人間ですよ。そんな人間を配信に出すのはあまりにリスクが」
「ほかの子だったらそう思うけどね、柏木くんの異常性はこれでもある程度把握しているつもりだ。きみにとってはイージーだろう?」
副社長は、当然のように言う。
「それとも難しいのかな? それなら全然、断ってくれてもいいんだよ?」
「ぐぅ……」
この男は、自分の負けず嫌いな性質も見抜いているようだった。
安い挑発に乗せられるのも癪だが、かといって断って逃げた風に思われるのも腹が立つ。
そも、最初の話に帰結する。
これが『折り入ってお願い』をするときの態度かよ。
「柏木くん。これがね、汚い大人の常套手段なんだよ。弱さは武器だ。下手に出ることで、相手の攻撃を緩めさせる。それをきっかけに相手の弱点を突いて場を制するわけだ」
「……今回は一本取られました」
「そうでもしないと、場を制することができないことの証左でもあるんだけどね。自分の弱さを認められる人と認められない人で差が生まれる部分が、これ」
「手慣れてますね」
「自分よりも上位存在と、否応なしに関わらなければならない仕事だから」
副社長の実力は知っていたはずだった。この技能を使って、三年前『来栖音葉との血縁関係』が業界内から漏れ出ることを防いでいたはずである。
それでも油断すると一気に持っていかれる。
間合いの取り方を間違えてしまったと猛省しつつ、「それで、生配信に出演させたい真意を教えてください」と、半ば敗北宣言のように言う。
「むしろ、感謝してほしいくらいだよ」
副社長は肩を持ち上げた。
「僕がこうやって提案しなければ、柏木くんは自分からどこかの事務所に売り込みをかけただろう?」
「そこまで見抜いているんですか」
副社長の発言に心底驚く。副社長はゆっくりと頷く。
「『暴れ回りたい』、『この柏木飾という作品を世界中にお披露目したい』そんな考えが見え透いていたよ。事務所近くを歩いていたときから、ね。柏木くんだとは見抜けなかったのが情けないとこだけど」
「なるほど、合点がいきました」
葦屋副社長は往来で目立ちたがりのように感じた子に声をかけてきたのだ。それが自らの知り合いだとも気づかず。
だから、断られることも想定外だったかもしれない。
それだけやる気満々なのに、どうして断るんだろう……なんてところだろうか。
「自分が誰かを明かして、『柏木飾との過去をみんなに教えてほしい』なんてお願いもされたけど、別件でなにかしら出れるイベントがないか訊くつもりだったんじゃないかな」
「……ええ、その通りです」
「もちろん、葦原プロが第一候補ではなかったかもしれない。本命は藍沢さんとこの事務所かな。あそこは来栖音葉本人が所属していたこともあって、きみら兄妹とも繋がりが深い。その次点か……おそらく第三候補ぐらいには入っていたと思うけど」
「よくおわかりで」肩を竦める。
「容易な推測だよ」副社長は笑った。「むしろね、感謝してほしいぐらいだ。誰かに頼んでイベントに出させてもらう、それは悪くないけど、柏木くんが下手に出て『お願いする側』になってしまう。それだと強気な要求をされたときに柏木くんは断りづらくなるだろう」
状況を見透かしたように副社長は言う。
「でも、今回は僕から頼んでいる。強気な要求は……例えば、『事務所専属のアーティストになれ』なんて要求は言えない。もちろんね、藍沢さんとこは柏木くんが頼み込んだとしても無茶な要求は絶対にしないと思うけどね、うちはそういった十全な信頼関係がまだ構築できてないから」
「べつに、普通にお願いされても出演したと思いますよ」
「うん、それはそうだね。でも、ときには手の内を明かし、馬鹿正直にぶつかるのも大事なんだ」
そこで副社長は一度、窓から外の雑踏を見下ろしていた。
「僕は、僕の実力を理解しているつもりだ。正直言って柏木くんの才能は僕の手に負えない。だからこうやって距離感の遠近を利用して自分が上手く場をコントロールできるようにしている」
ふと、あることに気づく。
今日出会ってから、副社長にかけられた言葉は、すべて嘘偽りのない本気の言葉ばかりだった。
元から、彼のことは信頼していた。
その実力も、人柄も、女性との関係を除いては信頼できるものなのだ。だからこそ、来栖音葉との関係について一任することができた。
「でも」副社長は言葉を切った。じっとこちらの目を見つめてくる。「これは、実際はきみの常套手段だよね、柏木くん」
「それ、は」
「うん、間違いない。これはきみのやり方だ。大の大人である僕が、きみから影響を受けてこんなことをしているわけだ。冷静に見れば滑稽だね。でも、どうかな。滑稽でなにが悪い? 恰好悪くてなにが悪いというんだ」
副社長はお道化て見せる。
押し引きが上手いな、と思う。
弱く見せるところは弱く見せ、相手が躊躇すれば一気に押す。
自分のことを『やさしい』と称するのも少し恥ずかしいけれど、相手を思いやれる人ほど副社長のやり方は効果的だ。
「……わかりました」観念したように小さく溜め息を吐く。「今日は、負けてあげたことにします」
そう言って、手を出した。
その手を副社長が掴む。
「ギャラは弾むよ」
「お金はいいんです。ただ、できるだけ視聴者は集めてください。知ってますよ、平均視聴者数。同接二千人程度じゃ不満足です」
現実を言えば自分はまったくもっての無名だ。
無名の人間がゲストだったところで、視聴者なんて集まらない。そのあたりのプロモーションは、してもらわないと困る。
「困ったことを言うなぁ」副社長は頭を掻きつつもうれしそうに笑った。
そこで、あることを思い出す。
ポケットから自分ののスマホを取り出す。通話中だったのだ。
「あ、もしもし。あすかさん、聞こえてます?」
「え」
俺の口から飛び出した名前に副社長は目を見開いた。
その驚き様を見ながら、笑いを堪える。スマホを副社長に渡すと、彼は恐る恐るそれを耳に当てた。
「さすがわたしの夫、恰好いいわ」
かすかに落ち着いた声が聞こえた。その言葉に副社長はほっと胸を撫で下ろし、俺を見た。自慢げに。
しかし。
「でもね、聞き捨てならないことがいくつかあったわね」
「……ぇ」夫人の言葉に、危なくスマホを落としそうになる。「か、柏木くん。こ、この通話はいったいいつから……?」
「最初から。なのでまあ、今現在の『お付き合い』の話も、たぶん聞こえていたと思いますけど」
「こ、このっ」
「柏木くんのこと、いじめたらただじゃおかない」夫人の一声に、副社長は止まる。「とりあえず、今日帰ってきたら覚悟しておいて。明日仕事にならなくなるまで搾り取ってあげる」
そう言った、あすかさんは通話を切った。
副社長はふらつきながら近くの椅子に座ると、糸の切れたマリオネットのように放心し始める。
少し呆れながら、彼の傍に寄って耳打ちする。
「ただでは、負けてあげませんよ」
そしてやさしく微笑んだ。
勝負には負けたと言っていいだろう。
でも、ただでは負けていられない。
こうやって仕返しの手段も念のために用意しておくのが、自分流の負け方だった。




