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piano  作者: 永島大二朗
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過去との決別(十一)

 斉藤は当時を思い出して、親戚の協力さえ得られなかった増田を気の毒に思っていたが、それは斉藤の力不足であると考えていたし、そんな圧力に増田は負けないと、信じていた。

 斉藤はもう一度深呼吸をして、真由美に話す。

「響子ちゃんかなり怒ってるみたいだし、もう君と会うこともないだろう」

 不意に訪れた別れの言葉に、真由美は驚いて顔を上げる。

「まぁ、私が直接教えなければ良いかなと、思ったのだが、それも、甘かったようだね」

 斉藤の顔は明るかった。

 真由美は慌てて手を横に振る。

「いえそんな、無理にお願いしたのは私ですし、斉藤さんには、かえって、ご迷惑をおかけしました」

 そう言ってペコリと頭を下げた。


 斉藤から『もう会わない』と言われても、真由美には不思議と『残念だ』という感情が沸かなかった。

 もう斉藤の技術を習得したから? 否。

 では自分は、斉藤を越えたのか? それも否。

 しかし真由美は、自分が斉藤と会っていると、家庭が崩壊してしまうのだと思った。母と斉藤の間には何かがあった。きっと今は、仲が悪いのだ。それを斉藤は知っていて、最初から言っていたのだ。

 真由美は、父も母も大好きだし、家庭崩壊は避けたかった。ピアノでぶつかることはあっても、今までのように、これからも仲良し家族でいたかった。


 斉藤は頭を下げたままの真由美に声をかけ、右手でテーブルを指差した。

「まぁまぁ。食べて食べて。このカスタードシューは、美味しいんだよ」

 笑って真由美に勧めた。


 その時主婦三人は、カスタードシューが美味しいという情報より、外に止まった一台のタクシーに、目が釘付けになっている。

「ちょと、あれ!」

「来たのかしら!」

「キタァ!」

 もう暖かいのに、厚手のコートを着ている人が、タクシーで乗り付けたのだ。三人は再び、母親が乗り込んで来たのだと感じていた。


 しかし、タクシーを降りたのは男だった。

 それでも三人は一瞬期待して、カウンターのマスターを凝視する。マスターは無反応だ。

 只の客かと思って、三人の内一人が、伝票を握り締める。

「いらっしゃーい」

 増田は客に声をかけた。その普段通りの挨拶を聞いて、主婦三人は席を立とうとする。

 しかし、今来たその客が、主婦の直ぐ横をコツコツと足音を立てながら通り過ぎたので、勢いに驚いて主婦は再び席に戻される。

 それを見たマスターは、変な客が来たと思って、カウンターから飛び出した。


 押し戻された主婦は、男から侘びの一つなくても怒らずに、大人しく座った。そして、伝票をテーブルに戻す。その男は、数ある空席を選ぶことなく、真っ直ぐ『姫』の席に向っていたからだ。

 三人の主婦の瞳は、一層の輝きを見せた。


 男は店の奥へ行くと、真由美の肩を掴んで、ケーキ選びを止める。

「真由美! お前こんな所で、何をしているんだ!」

 店内にドスの効いた低い声が響き渡って、真由美の口が止まった。真由美が振り返ると、そこには、鬼の形相をした父・博がそびえている。

 予想以上の大きな声に、客がビックリして下を向いた。しかし直ぐに見ない振りをして、耳だけをピンと立てる。

 増田は、カウンターから一歩出たところで固まると、遠巻きに席の方を見る。

「さぁ! 帰るぞ!」

 博は斉藤の視線を無視して真由美の腕を引っ張ると、強引に立たせる。真由美は横目で斉藤の方を見て、少しだけ頭を下げた。

 真由美は悲しかった。仮にも世話になった人との別れが、こんな無様であることに。しかし、意外な程斉藤は冷静で、怒る様子も、止める様子もなかった。

 いかにも『仕方ない』という、諦めの境地を感じる。


 カウンターの前でどぎまぎしているマスターを見て、博は一瞬目を留めた。そして、ふつふつと怒りがこみ上げて来る。

「お前、うちの真由美に手を出したら、ゆるさねぇからな!」

「えっ、いや、あの、えーっと」

 博はマスターの答えを聞く様子もなく、真由美を連れてドアの所に引っ張って行った。押す引くを間違えて、ドアノブをガチャガチャしていたが、バンと勢い良く扉を開け、真由美を睨み付ける。

「こんな所で油売って! 母さんから、電話があって来て見たら、これだ!」

 博の姿は、もう店の外に出ていたが、声は店にいても、十分過ぎる位、聞き取れる。

「よりによって斉藤の店か! 冗談じゃないぞ!」

 追い討ちを掛ける様な『捨て台詞』が聞こえた。斉藤の耳にも届いたのだろう。斉藤は再び、花壇のたんぽぽに目を留める。

「お父さま、止めて!」


 必死の抵抗も虚しく、真由美は外へ連れ出されると、待っていたタクシーに押し込められる。そして博が同じドアから乗り込むと、自動ドアがパタンと閉じた。


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