嵐の予感(二十九)
「では、清悦ながら、A級の私、相沢が再現させて頂きます」
ペコリと頭を下げると、会場から拍手が起こった。そして、全員下を向いて『Slowtimeポーズ』を取る。
相沢は両手を顎の所に持って行くと、裏声で言う。
『おじさまぁ、エリーゼを弾いてくださいませんか? いいでしょう?』
流石A級の再現である。会場に詰めかけた全員が、下に向かって勢い良く息を吐いたので、ボレロは三センチ、宙に浮いた。
「ぶっ」
「何だよそれぇ」
「気持ち悪いなぁ」
全員顔を上げる。零したビールを拭いたおしぼりで、うっかり鼻水を拭いた者さえいた。相沢は笑いながら皆に説明する。
「いや、バイトねーちゃんが、おっさんにお願いしたシーンですよ」
「へー。バイトねーちゃんがねぇ。気が利くねぇ」
「だよねー」
相沢はも頷いて、再現を続ける。
『エリーゼは、アンコール用なんだけどね』
相沢はコーヒーカップを持ち上げて、飲む仕草をしながら言った。
「うは。かっこつけ」
「何だ? その発言は?」
「謎だなぁ」
「とりあえず、書いておけ!」
そう言われて書記が、ホワイトボードに『エリーゼはアンコール用』と追記する。それを見た会場の人達は、また下を向く。
相沢は再現を続けようとしたが、会場に呼びかける。
「いえ、皆さん、おっさんはこうやって挨拶をしたので、『Slowtimeポーズ』は不要です」
怪訝な表情で、会場が満たされる。
「そうなのかぁ?」
「デカイ態度だなぁ」
「年、幾つなんだ?」
会場からの質問に相沢は「五十歳位。いや、もう少し上っぽい」と答えた。書記がホワイトボードに『五十ちょい』と書く。
相沢は椅子に座ってポーズを取ると、見えないピアノを右手でスラスラと弾いて、全音チェックを再現する。
『タリラリラリラリラリラリラータラララララー』
「はえー」
「なんだ、その速度はぁ」
「プロ? プロなんじゃね?」
ピアノが弾けるメンバーを中心として、驚きの声が上がる。
それもそうだ。おっさんの全チェックが、S級の彼らをもってしても、再現するには難しい速度だったの、だから。
「そして、ここから弾き始めます。『タリラリラリラリラー。バチン』ここで電気が切れます。まじで、真っ暗になりました」
相沢は『電気の紐を引く』素振りをしたが、殆どの者が「ないない」と返した。




