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piano  作者: 永島大二朗
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嵐の予感(二十七)

 その日、十八時十三分十五秒を刻んだ、アスキーコードのテキストファイルが、ルーターの間を駆け抜けた。

 けたたましくルートテーブルが参照されると、あるファイルは電気信号を光信号に変えて、また、あるファイルは電波に変化し、全世界を駆け抜ける。

 そして、メールサーバーの中で、再びテキストファイルとして再構成されたもの。それは『Slowtime音楽愛好会』、全メンバー宛ての『緊急招集』だった。

 メールに記載された『衝撃の事実』を受け取った時、メンバーは全員動揺する。


 そもそも『Slowtime音楽愛好会』百年の歴史上、いや十年。いや、えーっと、長い歴史上、緊急招集が掛けられた事実など、一度も、只の一度も、なかったのだ。


『ラストオーダー後に、紅茶が出る』


 この短信を受け取ったメンバーは、我が目を疑う。

 あり得ないと思った。苦手なコーヒーを、無理して飲んでいたメンバーは、軽い怒りと、嫉妬を覚える。

 何者なのか? 紅茶を頼んだ奴とは? あのメニューを、本当に攻略したのか? 録音? クチパク? とにかく行かねば。

 理由を知るために、行かなければならない。


 ある者は、愛する家族に別れを告げ、またある者は、家路の向きを変える。

 外国にいた者は、溢れる涙を堪え、星を眺めるしかない。

 カップ麺を放棄して、家を飛び出す輩もいた。

 思わず、携帯端末を握り潰し、手を怪我した者、三名。


 もしそれが事実であるとしたならば、一大事である。

 集ったメンバーは、居酒屋・ボレロに集う。入り口には、

『Slowtime音楽愛好会・極秘緊急総会 様』

 と、達筆で書かれた看板を見て、驚く。

 そして、入り口にぶら下げられた『本日貸切』と書かれた看板を見て、ことの重大性を、感じざるを得ない。


 テーブルが二列に並べられ、大勢の人が座るお座敷が、極秘緊急総会の会場だった。その様子は、最新のセキュリティ技術で暗号化された、バーチャル・プライベート・ネットワークにより構築された中継システムを使い、一階のテーブル席にも生中継されている。

 美しいRを描くFUNAIの十四インチ巨大ブラウン管と、モノラルスピーカーが、会長の第一声を伝える。

 極秘緊急総会、開幕だ。


「お集まりの諸君、こんばんは。本日は、緊急招集にも関わらず、沢山のメンバーが集ったことを、嬉しく思う。これもひとえに、諸君のSlowtimeに対する愛情の証であると共に、音楽に対する、深い造詣を探求する……」

「会長! 挨拶はいいから、報告を!」

 割って入られた。会長は、少し不満そうだ。

「報告! 報告!」

 手を振りながら挨拶をする会長を見て、ビールを片手に、泡が消えて行くのを、見るのが耐えられない人達が叫ぶ。

「では、全て省略して、乾杯!」

 切り替えの早い会長が、ビールを突き上げる!

「かんぱーい」

 畳に並べられたテーブルには、いつものボレロ定番料理も、おつまみも、何もなかった。

 それに、一部の人は水だったし、おしぼりで乾杯した人もいた。何とも、アバウトな会である。

 店員さんだけが、何だか大変だと思いながら走り回る。


「では、本日のSlowtimeの状況について、報告をお願いします」

 会長から指名されて、山村と名乗る男が前に出た。

「状況を報告致します。本日の演奏者はおっさんです。仮にピアニストAとします。このおっさんは、今年の七月十五日から、夕方になるとやって来るおっさんで、三本足の失恋席に座ります。そして、最近復帰した、バイトねーちゃんに頼まれて、本日、初めてピアノを弾いたものです」

 仮の名前は使用されず、全て『おっさん』で説明が終わる。

「おぉ、何と言うおっさんだ」

「何者だ?」

「あそこに座っているのかぁ」

 その説明だけで、会場がざわめいた。しかし、山村は質疑応答は後にすると言って、話を続ける。

「今日は、そのおっさんがピアノを弾いた訳ですが、曲目はエリーゼ一曲。かなりの手だれです。演奏開始と同時に、停電となりましたが、平然と弾いていました」

 山村は報告書から顔を上げ『本当ですよ?』という顔を見せる。

「おぉ、すげぇ!」

「まじか?」

「マスターより上手いんじゃね?」

 また会場がどよめいた。ざわつきが止まらない。

 誰かが議事録の中から、マスターのエリーゼ得点表を探し始める。報告の続きが聞きたい会長が、両手を前に伸ばし、上下に振ったので静かになった。

「そして、問題の瞬間がやってきます。そのおっさんは、席に戻りながら、会計中のマスターに言いました。『熱いの一つくれ。あと紅茶も。まだアッサムあったよな』と。間違いありません。本日は会のメンバーが、十二人いましたが、全員確認しています」

 すっと、何人かが立って証言する。

「相沢です。間違いありません」

「柿沼です。間違いありません」

「沢田です。同じく、間違いありません」

 会場は騒然となった。口々に言いたいことを言っている。

 再び会長が両手を前に伸ばし、上下に振ったので静かになった。しかし、山村の報告は、この後、直ぐに終わる。

「マスターは『かしこまりました』と言って、紅茶の準備を始めました。報告は以上です」

 今度は、会長が何度制止しても、会場は静かにならなかった。


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