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piano  作者: 永島大二朗
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嵐の予感(二十五)

 席を立った常連客達が、レジの方に向かうのをよそに、斉藤は席に戻る。真由美は無言で斉藤を出迎えた。

 斉藤は真由美に聞く。

「如何ですか?」

 そう言ってから、冷えたコーヒーを一気飲みした斉藤は、そのコーヒーに納得が出来なかったのか、真由美の返事も待たず、増田に声を掛ける。

「熱いの一つくれ。あと紅茶も。まだ、アッサムあったよな?」


 ラストオーダー後に、平然と注文をする斉藤の声に、常連客が振り返った。いや、それよりも紅茶が、ティーパックではない紅茶が、Slowtimeに存在することの方が、驚きだった。

 常連客達の目が、一斉に斉藤へ向く。

「かしこまりました」

 増田がレジで、お金を受け取りながら答える。

 常連客達はまた驚いて、一斉に増田を見る。しかし、何も聞かずに、次々と店を出て行った。


 斉藤は真由美から全く反応がないので、少し困った。でも、リクエストには答えたし、あとはコーヒーを飲んで帰るだけ。真由美が何か弾くなら、それを聴いてからでも良かった。

「見えました。真っ暗な中で景色が」

 真由美が口を開いたので、斉藤はホッとした。真由美は、下を見たまま話を続ける。

「桜並木の下を歩く、親子の姿が見えました」

「ほう。夏なのに桜かね。花火とかじゃないの?」

 斉藤は笑いながら逆に質問した。真由美はそう問いただされて、確かにその通りだと思って、顔を上げる。

「そうですよね。何で桜だったのかしら。女の子が転んで、お父さんが肩車してあげるんです。そんなシーンでした。でも、お母さんがいない。お母さんどこだろうって、探しに行く所でした」

 斉藤は笑いながらコーヒーカップを持ち上げたが、それは空だ。

「なかなかリアルだね。もう一度リピートさせて弾いていたら、面白かったかな?」

 カップを置きながら、冗談のつもりで言った。真由美は夢でも見ていたのだろう。楽しい夢なら長いほうが良い。

 真由美は、にっこり笑う。

「そうですね。もう少し長かったら、『春香ちゃーん』って叫んでいたかもしれません」

 そう言って、右手を口元に持って行く。本当に叫んでいたら、とても恥かしかっただろう。真由美は自分で、そう思った。

『ガチャン』

 後ろで何かが割れる音がして、真由美は振り返る。

「失礼しました」

 増田が、お盆を床に落とした音だった。コーヒーと紅茶が床に広がり、白い食器の破片が散らかっている。

「あ、私も手伝います」

 真由美がそう言って席を立ち、奥へ行こうとすると、増田は慌てて首を横に振って止めた。そしてさっさと奥へ行き、モップとちりとりを持って来る。

 真由美は大きな破片を拾って、ちりとりに入れる。後は増田が、手早く片付けた。

「もう一度お入れしましょう」

 増田が斉藤に声をかけたが、斉藤の目は、どこか遠くを見ている様子だった。


「帰る」

 短く言って、斉藤は席を立つ。

 先程の上機嫌な様子から一転。不機嫌とも違うが、その、余りにもそっけない様子に、真由美は驚く。そのまま斎藤の影を目で追う。


 増田は知っていた。

 今日斉藤は、山本家の墓参りをしたのだ。

 そこで、一度も口を利くことが許されなかった春香に、ピアノを弾いて良いか、聞きに行っていたのだ。

 しかしその結果を、増田は知らない。いや、今知った。


 斉藤は、暫く山本家の墓の前で返事を待ったが、春香からの返事はなかった。

 替わりに聞こえたのは轟く雷鳴であり、罵声の代わりに浴びせられたのは、激しい雨だったのだ。


「ありがとうございました」


 増田が小さな声で言い、斉藤の背中に頭を下げる。

 斉藤からの返事は、何もなかった。

 ドアのカウベルが音を立てずに揺れて、一度大きく聞こえた雨音が、直ぐに静かになる。


 斉藤は、両手をポケットに入れると、傘も差さず、雨の中を歩いて行った。


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