嵐の予感(十四)
「貴方は作曲をしますか?」
「いいえ。しません」
その答えを聞いて、祐次は『やっぱりね』という顔をした。
「そうですか。一度してみると良いですよ。これがね、意外と難しいんですよ。よく昔の人達は、こんな素晴らしい曲を、残してくれたと思いますよ」
増田は真由美の後ろで頷いた。
「作曲すると、ピアノが上手くなるのですか?」
祐次は手を止めた。そして、真由美の方を向く。腕を振りながら真由美に言う。
「貴方、本当に、何にも、判っていませんね。ピアノがピアニストの声を、代弁しているとしたら、作曲者の声を、代弁しているのが、楽譜です。ピアニストの思いが、ピアノを通じて世界に伝わるとしたら、作曲者の声が、楽譜に残るんです。あなたはその声に、耳を傾けたことがありますか? 一度見たら、終わりですか? 覚えたら、終わりですか? 違うでしょう? 貴方は作曲もしない癖に、人の声を、さも自分の声の様に、歌うんですか?」
そこまで大声で一気に語った祐次だが、急に声のトーンを落して前を向く。
「いや、貴方は歌っていないのか。指の体操をしていたんでしたね」
真由美は椅子に腰掛けた。というより、崩れ落ちた。
突然怒り始めた祐次に、増田は昔のことを思い出す。目の前の真由美が椅子に座ったので、祐次の凄く怖い顔が、増田を睨んでいたからだ。
「もう一度貴方に、『ひゃくおく』用意しましょうか?」
目線を真由美に戻し、にこやかな顔になった祐次が言った。真由美は首を横に振る。
そして思った。
この人は今、猛烈に怒っていると。自分は怒るまいと思っていたが、この人の方が、怒っていたのだと。
反省とか後悔とかする暇もなく、祐次から詰問が来る。
「貴方、ピアノが好きなんですか? それを聞かせてください」
「好きです」
「どんな所がですか?」
「どんな所と言われても、昔から弾いていましたし、自分がプロになれたのはピアノのお陰です」
そんな答えは判っていると言わんばかりに、次々と質問が浴びせられた。真由美は明確に答えられない。祐次も、それを要求している訳ではなかった。
祐次は質問を変える。
「そうですか。貴方、ピアノを弾いている時に『うるさい』って言われたことありますか?」
「ここでなら、あります」
すると祐次は、びっくりして増田を見た。
「マスター、彼女ここで、ピアノ弾いたんですか?」
急に話を振られたので、マジックショーに借り出された人のごとく、おどおどして答える。
「はい。昼間と、あと閉店後に、弾いて貰いました」
「え、夕方も弾いたんですか? それは売り上げダウンですね」
祐次はにやけながらそう言って、真由美の方を向く。
「お客さん、帰っちゃたでしょう?」
まるで目の前で見たかのように言い、悪戯っぽく笑いながら祐次が質問した。悔しいが、真由美は黙って頷く。
「ここの常連客は、厳しいんですよ。とても。マスターの前で言うのも難ですが、弾いた曲の、評価をしているんですよ。あの曲は良かったとか、この曲はイマイチだったとか。そしてね、曲が作られた年代、時代背景、作曲者の心理を想定して、今日の曲は、どんなだったか、情報を交換し合うんです。面白いでしょう?」
真由美は目が丸くなった。
増田は、もっと目が丸くなった。




