嵐の予感(十)
真由美はその様子を、カウンターに座りながら見ていた。
「プロのカメラマンなんですか?」
カウンターに両肘を付け、手を組んだ真由美が祐次に聞く。きっとそうに違いないと思った。
「違いますよ。ただのサラリーマンですよ」
コーヒーを飲みながら出てきた言葉に、真由美は驚いた。
しかし、発想の違いと言うだけだ。自分が撮影されるときを思い出せば簡単なことだ。
そう撮れと言われれば自分でも出来る。それに『花壇の写真を撮れ』と言った癖に、人物まで入れるのはルール違反だ。
そんなことは指示にない。
「あなた、ピアノなら、私より上手いのですよね?」
祐次はカップを置くと真由美に確認した。
そこで「はい」と答えるほど、真由美も子供ではない。しかし、頷くこともなく黙っていることは、「はい」と言っているのと同義だ。祐次はそれを読み取って、言葉を続ける。
「じゃぁ、エリーゼのためにを弾いてください。貴方がいつも、舞台とやらで弾いているのと、同じ手順でお願いします。私、ここで聞いていますから」
「判りました」
今度の要求なら納得が行く。
少し遠回りをしたが、エリーゼを弾けば答えが出る。あと三、四分我慢すれば良いのだ。
真由美はそう考えながら奥のピアノの所へ行くと、小さな拍手をするカップルに、礼もすることもなく椅子に腰掛けた。そして、目の前にあるピアノの蓋を空け、直ぐにエリーゼを弾き始める。これぐらいの曲、指慣らしも何も必要ない。朝飯前だ。そう思った。
しかし、弾き始めて真由美は「えっ?」と思った。
右手の二音目「レ#」が出なかったのだ。それでも癖とは恐ろしいもので、もう四小節弾いてしまっていた。
どうすることも出来ない。このボロピアノめ。遂に壊れたか、位にしか思えなかった。
しかし、もっと驚いたのは増田である。平然とコーヒーを飲む祐次を見つめていた。
なんとも間抜けなエリーゼを弾き終わった。それでも暖かく、小さな拍手を送るカップルに礼をすることもなく、真由美は憮然とした表情で、カウンターに戻って来た。
それを目で追いながら見ていた祐次が、コーヒーカップをソーサーに戻すと、笑いながら言う。
「貴方、下手ですねぇ。音、外さないで下さいよぉ」
ヒャヒャヒャと笑うような、何とも見下すような言い方に、増田は凍りつく。
増田は、やっぱりこの人ヤバイと思いながら、カウンターの奥で真由美の反応を見る。今更遅いが、真由美の悩みを、自分が代わりに聞いておけば良かった。
一方の真由美は、素人に下手と言われて、カチンと来ていた。私のせいじゃないと思って、食って掛かる。
「違います! 音が出なかったんです! 壊れて鳴らなかったんです! 外してなんかいません!」
真由美は両手を振りながら、少し興奮して祐次に言い放った。
祐次は真剣な顔をして頷きながら、黙って聞いている。
「そうですか。それは、残念でしたね」
祐次は突き放すように、真由美に言った。
真由美は、自分のアピールが『残念』の一言で片付けられたことに憤慨する。真由美の怒りはもっともだと思った増田だが、それは自業自得とも思った。
それより増田は、ピアノに何が起きたのか、知りたかった。




