嵐の予感(七)
真由美は、そのまま質問をする。
「先日お子さんに、エリーゼを何度も弾かれていらっしゃいましたけど、どうやったら聞いて貰えるか、そのコツを知りたいんです」
客だか店員だか判らない格好をしていたので、祐次は対応に困っていた。
しかし、それを聞いて祐次は思い出して、笑いながら答える。
「あぁ、うちの春香を泣かした人ですね」
真由美は頭を下げた。
「申し訳ありません」
祐次はそれを見て、手を左右に振った。
「春香は、犬が嫌いなんですよ」
「そうだったんですか」
「ええ。多分ね」
そう言われて、真由美はキョトンとして聞き返す。
「え? 多分ってどういうことですか?」
すると、祐次はコーヒーを飲み掛けていたが、それを止めて真由美の方を向いた。
「いや、だって、子犬のワルツ弾いてたんでしょ? それで泣いたんなら、犬嫌いでしょ」
そうキッパリと言われて、真由美は益々不思議になる。
「春香ちゃんは、子犬のワルツを知っていたんですか?」
祐次はコーヒーを一口飲んで、ソーサーに置く。
「知りませんよ。家では、エリーゼのためにしか弾きませんから」
「それじゃどうして、子犬のワルツだと判るんですか?」
祐次はブッと息を吹いた。
増田は二人のやり取りを戦々恐々と見つめていた。しかし、祐次の様子を見て、災難が自分に降り掛かる前に、この場を立ち去りたい気持ちになった。
祐次は、少し前のめりになりながら、真由美に言う。
「いや、貴方、子犬のワルツを弾きながら、何考えてたんですか? 子犬が走り回っていたんですよね? どんな犬ですか? 何匹ですか?」
「子犬ですから……」
増田はしかめっ面をした。真由美は祐次にそう言われて、その時の様子を思い出す。
増田にピアノを弾くように言われて、子供に何が良いだろうと思った。まだ小さい子供だし、明るく、短い曲が良いだろう。足元もおぼつかない子供。そう思って、子犬のワルツをチョイスした。
「子犬が出てこなかったんでしょう?」
次の答えが出てこない真由美に、祐次の問いが飛んだ。
「そうですね。そう言われても、仕方がありません」
「質問は以上ですか?」
祐次は笑いながら真由美に聞いた。ナプキンで口の周りを拭く。
増田は心の中で「以上!」とコールした。
「あの、いえ、なぜエリーゼ一曲で、子供をおとなしく聞かせていられるのか、それを伺いたいのです」
「愛ですよ。愛。愛に理屈は必要ないんです」
祐次はめんどくさそうに言った。増田は、そこで話を終わりにして欲しかった。しかし、祐次は更に続ける。
「貴方、本当にプロなんですか? だとしたら、あんまり売れてないでしょう」
いきなり痛い所を突かれて、真由美はむっとする。
「いいえ、コンサートツアーもやりましたし、CDも出しました。コンクールで、優勝したこともあります」
祐次はうんうんと頷いた。
「だとしたら、理由は一つですよ」
祐次はカウンターに持たれかかって少し後ろに反り返り、真由美に向かって言った。
そんな簡単なことも判らないのか、とでも言いたげな態度に、真由美は腹立たしく思いつつも、次の一言に期待する。
「貴方、つまんないから、飽きられたんですよ」
その一言に、真由美は深く傷付いた。
増田は心の中で「言っちゃったよ、この人」と呟く。
もう少し言葉を選んで、言うことが出来た。
んー。例えば……。




