嵐の予感(一)
「表の看板、CLOSEになってますよ」
真由美は店内から「OPEN」と読める看板を指差した。どう見ても裏返しである。
真由美は時計を見た。営業時間はとっくに始まっている。真由美の声に、増田は振り返った。
丁度真由美が、看板に手を掛けた所だった。
「いいのいいの!」
増田の声に、真由美が振り返る。真由美は、怪訝な表情を浮かべて、手を止めた。窓際の席へ行くとイスに腰掛ける。
真由美は、もう一度時計を見た。確かに営業時間である。増田も営業の準備をしているし、再び店員となった真由美も、わざわざ出勤してきたのだ。
だが不思議なことに、表の看板は「CLOSE」。だから今日は朝から客が来ない。窓から、うららかに晴れた春の空を、真由美は見上げていた。
ラジオでは、バンクーバーオリンピックの総集編が流れ、その次は、サッカーワールドカップが、日本開催に変更となったとのニュースが流れている。
真由美は、どちらも興味がなかったので、話半分で聞いていた。そんなニュースに増田も飽きたのか、増田はラジオのチャンネルを変えた。
最近真由美は、コンサートの仕事がめっきり減って、食うに困っていた。いや、食うのに困ってはいなかった。なぜなら、真由美の弾くピアノのCDは、結構売れていたからだ。
一方の母響子は、相変わらずコンサートの方が多く、CDは余り出していない。出してもオーケストラとの競演とか、そういうもので、ソロ演奏のCDはなかった。
母程の知名度と実力があれば、出せば売れるだろうにと思って、真由美は、ぼんやりと天井を見上げた。
母との違いは何だろう。真由美はふと考えるときがあった。ステージに立つときに決まって紹介されるフレーズがある。それは『新田響子の娘』だったり『新田響子を継ぐ者』だった。
デビューして、それ程経っている訳ではない。あの日、響子は真由美を抱きしめて『今日からライバル』なんて言ってくれたが、今の真由美は、響子の足元にも及ばない気持ちでいた。
コンクールで優勝したことだって、いつまでも使える訳ではない。なにせ『優勝者』は毎年出るのだ。自分と同じ実力と認められた者が、毎年輩出されるのだ。
そこで仕方なく、真に不本意ながら、真由美はピアノを弾くためにここへ帰ってきた。やはり、実際の客を前にして弾いた方が、得るものが多い。そう考えたからだ。
しかし、夕方に演奏することはなかった。
以前もそうだが、夕方は『増田の客』が来るからだ。真由美が弾くと、客は帰ってしまう。それだけは、本当に気分が悪い。
「今日は暇そうだわぁ」
真由美は溜息混じりに呟くと、両手を上に上げて伸びをした。それを見た増田が薄笑いを浮かべる。そして、一瞬厳しい顔になり、ラジオのスイッチを切った。




