Slowtime(十二)
祐次は近所に住んでいる時、Slowtimeの常連だった。大抵同じ席に座り、デジカメを弄って時間を潰したり、誰かが弾くピアノを眺めていた。
常連なら誰でも知っていたこと。それは、Slowtimeでは紅茶が出ないことだ。その理由まで知っている者は、いなかった。
だから祐次は、マスターと結託して、変なメニューを作った。
変なメニューとは言っても、最初はそんなに長いものではなかった。それが段々長くなったのは、早苗がそのメニューを、次々とクリアしていったからだ。
その度に、マスターと祐次は悔しがった。しかも、憎憎しいことに、早苗は紅茶のオーダーを取り消し、いつもコーヒーにチェンジしていたのだ。
「Slowtimeの紅茶は、ティーパックですからね。詐欺ですよ」
「あら、酷いわ!」
早苗が笑いながら非難する。祐次も口元を上にあげて微笑んだ。そこへ、増田がコーヒーを淹れて持って来る。
「どうぞ」
「頂きます」
短い会話を交わし、増田は直ぐにカウンターに戻った。
祐次はコーヒーを一口飲んだ。その瞬間、笑顔が消える。早苗は、よっぽどコーヒーが不味かったのかと、思った。
「実は、お返ししないといけない物がありまして、今日は、それをお持ちしました」
祐次が話を切り出す。その言葉に、早苗は首を傾ける。
「あら、こうしてお話しするのは、初めてのはずなのですが? 何か、お貸ししてましたか?」
早苗が不思議に思うのも、無理はない。
祐次も早苗も、カウンター席の常連だったが、言葉を交わしたことはない。早苗の目的は増田であり、曲作りの息抜きだっからだ。
祐次が静かにコーヒーを楽しんでいると、早苗が入ってきて、マスターと『ギャーギャー』騒ぐのだ。店に掛かっているクラッシックを止めて、自分の作った曲を、掛けさせたこともあった。
そんなことを思い出しながら、祐次は鞄から、一つの封筒を取り出すと、早苗に手渡す。早苗は、不思議そうな顔をして、それを受け取った。
重さを確認し、右手で封筒の角を押す。左手を添えると軽く封筒を揺すった。出て来たのは、キーホルダーに付けられた鍵だった。早苗は、キーホルダーに見覚えはなかったが、鍵には見覚えがある。
「Miniのキーです」
祐次が言うと、早苗は「そうそう」と思った。が、直ぐにハッとなった。そして、鍵と祐次を交互に見る。
「まさか、これは……」
早苗は、息を呑んで、言葉が詰まった。手を口元に持って行くと、そのままキーを見て固まる。
祐次は酸素を求めて息を吸うと、吐き出すように話す。
「そうです。その鍵はウィーンのSlowtimeに置いてあった、Miniのキーです。あの車は、私が乗っていたものです」
「わ、私があのMiniを買ったのは、一月五日ですよ?」
早苗は慌てて言った。祐次は深呼吸して当時を思い出す。
「そうです。山から帰ってきて、捜索費用を捻出するのに、売ることにしたのです。レッカーで持ち込んで、その日、その時、速攻で売れてしまいました」
祐次は、断腸の思いでMiniを売ったことを思い出していた。
「あ、あ、あの時、あの時なんですか?」
「そうなんです。私は、あの時泣いてしまったので、良く見ていませんが、買った人が女性であったのは覚えています。というか、その後、判りました」
祐次は苦笑いをして、右手で早苗を指した。早苗は、再び手を口に充てて驚く。
「そんな、あの車が……春香が……」
早苗が春香の日記を読んでいたならば、春香が運転免許を取った後、ずっと運転は春香の役であったことは、知っているだろう。
祐次は春香の日記を、読んではいなかったが、あの喜び様を見て、きっと書いているに違いないと、思っていたのだ。




