Slowtime(六)
終わった。何もかも終わった。
やはり、許すとか許さないとか、そういう問題ではなく、門前払いなのだ。美紀は目の前が真っ暗になって、倒れて行く。
しかしそれは、単にドアチェーンを外しただけで、直ぐにドアが、さっきより大きく開く。
「まぁ、上がれよ」
祐次に言われて、美紀は踏みとどまった。もう少し遅かったら、本当に倒れていただろう。美紀は下を見たまま更に頭を下げ、そして中に入った。
少し散らかった様にも見える廊下を、祐次の後を付いて歩く。極度の緊張で、祐次がそのままトイレに行っても、付いて行ったに違いない。
しかし祐次は、キッチンを通り過ぎるとリビングへ向かい、そこでこたつに入った。
祐次は、こたつの上に置いてあったリモコンを手にすると、木曜日の天気予報を早回しして、ニュースになった所で止める。そしてスイッチを切ると、再びリモコンをこたつの上に放り投げた。
美紀はこたつに入りながらその様子を見ていたが、こたつに放り投げられたリモコンの音にビビッて肩を窄める。
「話ってなーに?」
割と普通の声だった。
それでも美紀には、恐怖の始まりに思えて来た。もちろん、祐次は、美紀が話すことの予想がつく。どうやって断ろうかと、思っている。早く、ビデオの続きが見たかった。
だから美紀が、何から話して良いか判らずに、乾いた口をパクパクさせているのを見かねて、祐次が切り出す。
「この間のことならごめん。俺も、大きな声を出して済まなかった」
先に謝罪されて、美紀はしまったと思う。あわてて首を横に振る。
「いいえ、そんなこと。あれは、私が悪かったんです。ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
美紀は頭を下げた。どもりは無くなったが、焦っているのは判る。
「まぁ、あんな大きな声、出さないから、話ってのを伺いましょう」
祐次は笑って、美紀に声を掛けた。美紀は少しホッとする。
美紀は顔を上げると、祐次に話を始める。
「実は、みのり園に行って、春香さんのお母さんに逢って来ました」
「うんうん」
祐次は、葬式の準備をしていたが、警察が連絡したという『親戚と名乗るおばちゃん』を思い出す。
殴られはしなかったものの、葬儀参列者の前で『人殺し』とまで言われ、会場の外に追い出された。それでも祐次は、天涯孤独と言っていた春香に、親戚がいたことが判って、ホッとしていた。
そして、残された人達に、大変申し訳ない気持ちで、一杯になっていた。
「みのりさんが言うには……」
美紀は下を向いたまま祐次に話す。祐次を見るのが怖かった。夢の通りになるのが怖い。祐次からの反応がないまま、美紀は淡々と話した。
鼻水を啜る音がして、美紀は顔を上げる。
「馬鹿。見るな」
小さく祐次が言ったので、慌てて下を向いた。ぐしゃぐしゃの顔に、涙が溢れていた。
みのりのことを話し終わると、祐次は美紀に言う。最初の言葉は「あ」だったが、それ以降の言葉は、良く聞き取れなかった。
多分、お礼の言葉だろう。美紀は、固まったままだった。
祐次は立ち上がってタオルを取ると、涙を拭く。そして、またこたつに座った。
タオルを畳んでこたつに置いたのが見えて、美紀は顔を上げる。今度は、何も言われなかった。美紀は話を続ける。
「それで、ウィーンに行って、お姉さんに会ってきたんです」
そう言うと祐次は「えっ」と大きな声を出した。祐次も、春香に姉がいたことを、知らなかった様だ。
「お父さんが違うのだそうです」
「あぁ、そうなんだ」
妙に納得する様に、祐次が言った。美紀はバックを覗き込むと、話を続ける。
「春香さんとの思い出だと言って、これを預かりました」
そう言って美紀は、一枚の写真を取り出した。それを祐次の方に向ける。それは、かなり斜めになった家族写真で、ピントも甘い。はっきり言って、ボツ写真である。
「えぇっ!」
だからか、祐次は約束を破って、大きな声を上げる。そして、転がりながらこたつを出た。美紀から見ても、だいぶ慌てているように見える。
そして、この前ぶちまけた、春香の思い出ボックスを箪笥の上から取り出すと、中から写真たてを出す。
「これだ!」
祐次は美紀から写真を奪い取り、一度、二枚の写真を並べた。交互に写真を眺める。
「ツァイス……」
写真を見て、祐次がボソッと言った言葉が何なのか、美紀には判らない。しかし、祐次は写真を見ただけで、どんなカメラで撮影したのかが判る男だったのだ。
少なくとも『ニッコール』と『カールツァイス』の違いは明らかだ。もう何度、歯がゆい思いをしたことか。
祐次は春香が持っていた方を、写真たてから取り出した。そして、じっと写真を見る。二つの写真を並べると両親が一緒で、真ん中の子供だけが入れ替わっていた。
二枚とも裏返すと、プリント番号が連番で、早苗の写真には1984.4.1と書いてある。祐次は、春香の墓に刻んであった日付と同じで驚き、そして、春香を思い浮かべて、また泣いた。
美紀には、何だか判らなかった。ただ祐次が、気の済むまで泣いて、何か質問されるのを、待つしかなかった。




