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piano  作者: 永島大二朗
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ディアノの行方(六)

 一九八六年四月一日。一軒の家の前に、親子三人が並んでいた。母親の後ろに回りこんだ小さな娘は、そのまま母親にべったりくっ付いている。

「はいはい、ちゃんと並んで。お姉ちゃんが、写真撮ってくれるからね」

 母親の亜希子は春香を抱き寄せると、夫の由紀夫との間に並べた。今日が五歳の誕生日である春香は、姉の持つカメラに興味津々である。でも、早苗が来た時は、何となく母親を奪い合う、ライバルの様な気がしていた。だから春香は一層母親にべったりだ。

「撮るよー。はい、チーズ」

「にぃー」

 カメラマンの早苗が合図をすると、モデルの三人が笑った。早苗から見て左から父、妹、母と並んでいる。そして撮影者は姉。はたから見ると仲の良い四人家族に見えるが、上の姉だけ苗字が異なる。亜希子の子であることには違いないが、前の夫との間にできた子である。

 今日は幼い妹の誕生日という名目で、母親に逢いに来ていたのだ。

「今度は私が撮るー」

 幼い妹から見て、姉の持つカメラは父親の物である。父親の物は私の物。春香は、肩に掛けた父の手を振り切って姉の許へ走る。

 今日は自分の誕生日。特別な日なのだ。幼い子供にも、それは十分判っていた。今日は、誰も自分のことを叱らない。

 姉の早苗は少し名残惜しそうに「どうぞ」と言って、春香にカメラを渡すと、母親の左隣に立った。

「はい。チーズ!」

 春香は姉の真似をして、思いっきりシャッターを押したが、何も音がしない。

「フィルム巻いた?」

 父・由紀夫の優しい声に、早苗は「あっ」と言って春香の許に戻った。その父の問い掛けに、春香はシャッターだけでなく、フィルムレバーも操作して良いのだと思い、見よう見まねでレバーを引っ張った。しかし、少し力が足りなかった。

「貸して。巻いてあげる」

 走り寄った早苗がカメラを取上げたので、春香は怒った。

「できる! できる! 返して!」

 そんな春香を無視して、早苗はフィルムレバーを回した。小学生にはお手の物だ。

「はい。どうぞ」

 春香はカメラを受け取ったが、ほっぺたを膨らませて不満げだった。早苗はそんな春香を無視して再び母親の左に向う。しかし、母親の左手に阻まれて、母親の右に立つ。早苗はそのままカメラの方を向いた。

「はいっ! チーズ!」

 春香の元気な声がして、カッシャンというゆっくりとした音が聞えた。少しレンズが空を向いていたが、シャッターはそのまま降りたようだ。

「なんか曲がったなぁ」

 父の由紀夫は笑いながら言った。五歳の子供に写真撮影は難しい。

「もっかい」

 春香はシャッターの手応えが気に入ったのか、もう一度シャッターを押そうとした。すると、また早苗が走り寄って、フィルムを巻き上げようとした。春香は身構える。

「できる! できる!」

 春香は自分でやってみたかった。しかし、姉はそれを許さない。この二人、別に仲が悪い訳ではない。もう、本当の父の所へ帰る時間が迫っていたのだ。車のエンジンも回っている。ここにいる者で、その状況が判っていないのは春香だけだった。

「できるの!」

 苛立つ春香と、早苗がカメラを取り合うのを由紀夫は笑いながら見ていた。しかし、春香が思いっきりカメラを引き寄せ、勢いで道路に落下したので顔を曇らせる。

 春香は思いがけない展開に、丸い目を一層丸くし、口も丸くして固まった。

「春香がいけないんだからね!」

 早苗が叫んだ。慌ててカメラを拾ったのは早苗だった。

「私悪くないもん!」

 そう言って春香は泣き出した。由紀夫は「あぁあ」と言いながらカメラを早苗から受け取ると、巻き上げレバーを操作した。動かなかった。

「大変だ。壊れちゃった。カメラ屋さんに行かないと!」

 脅かすように春香に言うと、春香はもっと大きな声をあげて、泣いた。

「二人とも、お父さんに謝りなさい」

 亜希子が言うと、早苗は直ぐに「ごめんなさい」と頭を下げた。しかし、春香は泣いてばかりで謝らない。亜希子は、謝らない春香の頭をゴツンと叩く。

「うわーん。お母さんなんて嫌い」

 春香は一層大きな声で泣いた。

「お父さんに謝りなさいよ」

 早苗も母親に同調して春香に忠告する。しかし、カメラを擦りながらにこにこする由紀夫を、不思議に思った。

「うわーん。絶対悪くないもん。絶対謝らないもん!」

 そう言うと家の中に入って行く。最近春香が覚えた言葉は『絶対』だった。そこで使うかと思った亜希子は、娘の行方を呆れて見送った。

「しょうがないわね。遅れるから、行きましょうか」

「そうだね」

 家の中には由紀夫の母がいる。別に一人じゃないし、直ぐに帰ってくるはずだった。

「あなた、カメラ壊れちゃったの?」

 心配して亜希子が由紀夫に聞く。注文してから二年。やっと手に入れたカメラだった。

「あぁ、これ? フィルム切れてるだけだよ。エイプリールフールさ」

 笑いながらそう言って、早苗の首にカメラをぶら下げた。

「馬鹿ねぇ。五歳の子に、判る訳ないでしょう?」

 普段から冗談ばっかり言う由紀夫に、果たしてエイプリルフールが必要なのか。亜希子はこちらにも呆れた。

「あはは。そうかな」

 由紀夫は軽く受け流す。そして、早苗に声を掛る。

「フィルム出すから、カメラ屋さんまで持ってて」

「うん」

 大事なカメラを任されて、早苗は少し緊張した。

 三人は車に乗ると、駅前の待ち合わせ場所へ向かった。車の時計は五分進んでいたが、約束の時間は迫っている。由紀夫は直ぐに車を発進させた。


 その様子を春香は、開けっ放しの玄関奥からそっと見ていた。あれ以上怒られなくて良かったとホッとしたが、帰ってくれば怒られる。そう思うと涙が出た。

「おやまぁ、春香ちゃんどうしたの?」

 祖母が泣きながら歩く春香を呼び止めて、近くに来るように言った。そして抱きかかえた。足が不自由な祖母は、家から出ることは余りなかった。

 春香はそこで、祖母を味方に付けるために情報戦術を採った。

「お姉ちゃんがカメラ取ろうとするから、落としちゃった」

「そうかい。そうかい」

 祖母はかわいい孫の頭を撫でた。そして聞いた。

「お姉ちゃんの言うこと聞かなかったんだ」

「うん」

 祖母の誘導尋問に、春香は引っ掛かった。祖母はそんな孫がかわいくて仕方ない。

「お父さんが帰ってきたら、ちゃんと謝ろうね」

「ううん」

 祖母の優しい問いかけに、春香は首を横に振った。

「私は絶対悪くないもーん」

 再び泣き出した孫に、祖母は困った顔をしたが、また優しく問いかけた。

「絶対悪くないの?」

「うん」

「絶対絶対悪くないの?」

「うんうん」

「うふふ」

 突然祖母が笑ったので、春香は不思議に思って泣き止んだ。祖母は額を孫の額にくっつけると言った。

「今日はね、エイプリールフールと言ってね、嘘ついても良い日なんだよ」

 春香の目がまた丸くなった。それを見ながら祖母は話を続けた。

「春香ちゃん、今の言葉は嘘なんでしょ? おばあちゃんには判るよ。春香ちゃんはそんな悪い子じゃない。ちゃんと謝れるよね」

「うん」

「じゃぁ、明日になったら謝ろうか」

「うんうん」

 今日は嘘の日だから、明日になってから謝らなければならない。春香は幼いながらそう思った。

 窓の外には、春の穏やかな風が吹いている。


 昨日は早苗を含め、みんなで桜を観に行った。久し振りに外に出た祖母は、そこで孫二人が仲良く走り回るのを眺めていた。足が不自由でなければ、もう少し孫の面倒をみてやれるのにと思いながら、家の中を走り回る孫を見て微笑んだ。

「ジリリリーン」

 その時、電話が鳴った。朝から誰だと思いながら、祖母は立ち上がろうとしたが難儀する。鳴り続ける電話に気が付いた春香が、祖母の所に戻ってきた。

「私取るー」

 元気よく春香は走って行くと、受話器を取る。

「もしもし、山本です!」

 元気良く挨拶をする孫を、祖母は目を細めて見ていた。小さな子供に黒電話の受話器は大きく見える。

「はい。そうです。そうなんですか。はい。そうですか。え? はい。います。おばあちゃんです」

 どうやら電話の主は、大人に替わって欲しい様である。

「ちょっと待って下さい」

 また大きな声で春香はそう言うと、受話器だけを持って祖母の許へ走った。「チン」と音を立てて電話が転がった。

「あーあー」

 機械音痴の祖母でも、それがどういう状況かは理解できた。受話器を受け取った時、「ツーツー」という音しか聞えなかった。

 祖母は困った。

「誰から?」

 祖母が役目を終えて走り去る春香に声を掛けた。誰だか判れば、こちらから掛け直せる。春香は振り返って、元気良く教えてくれた。

「うふふ。警察からでね、お父さんとお母さんが、死んじゃったんだって。ダメよねぇ。警察が嘘ついちゃ。うふふふ」

 両手で口を押さえ、笑いながら奥の部屋へ走り去る孫を見て、祖母は受話器を畳みの上に落とした。

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