ディアノの行方(一)
トリノオリンピックにサッカーワールドカップドイツ大会など、今年はスポーツ記者にとっては、忙しい一年だったに違いない。そんな二〇〇六年も終わりに近付く二十七日の夜、新田はデスクの前で考え事をしていた。
明日の二十八日で御用納め。そうしたら家に帰って、テレビの特番を見ながら、酒飲んでのんびり過ごす。ここはオリンピックともワールドカップとも関係ない部署だ。だから今年も、淡々と記事を書いて終わった。いや、もうすぐ終わるはずだった。
にわかに忙しくなっていた。突然ニュースが飛び込んで来たからだ。その一報を聞いて、新田は部下を各方面に飛ばし、その帰りを待っていた。あと一人帰ってくれば全員揃う。そうしたら会議だ。新田は壁に掛けられた時計を見た。そろそろ帰って来るだろう。
「編集長、見つけてきました!」
そう思った所へ、元気良く扉を開けて記者が帰って来た。新田の予感は大体当るのだ。一人ニヤリと笑って立ち上がる。
「お、うまく行ったか。お疲れさーん。じゃぁ皆集って貰おうか」
編集長の新田が声を掛けると、机に向かっていた二人が腰を上げた。そして四人はゾロゾロと会議室へ向った。会議室の電気を点けて、扉を「使用中」に変えると、緊張感が走る。
この編集部は、会社でも長い歴史を誇っていたが、最近は売上が低迷している。だから、新田が呼ばれて来たのだ。
新田は会議室のブラインドを操作して、密室を作り上げる。そして、一番状態の良い椅子にどかっと腰掛けた。何となく、みしっと音がした気がする。しかし、それは聞こえない振りをして、会議の第一声を発した。
「山ちゃん、どんな感じよ?」
編集長の新田に声を掛けられて、山ちゃんと呼ばれた山田は話し始める。
山田は入社以来、新田と組んできたナンバーツーである。新田が異動した時、山田も一緒に引っ張ってきた。今回の取材では一番重要な取材を任せている。新田は山田の報告に期待した。
「えーっと、行方不明の歌手『ディアノ』、本名『斉藤早苗』の足取りですが、二十五日に川和田大橋の真ん中から飛び降りた所を、車道を走っていたトラック運転手の山田さん、あ、これ私ではありません」
「判ってるよ」
山田はこういう奴だ。新田はめんどくさそうに指摘した。お構いなしに、山田は話を続けた。
「山田さんが目撃し、車を停め、追い掛ける様に川へ飛び込み、三百メートル下流で救出。騒ぎを聞いて駆けつけた『知り合いの者』と名乗る男が病院まで付き添っていますが、二十六日に別の病院に連れて行くと言って抜け出し、行方不明になっています」
山田は言い終わると、一同を見渡して満足げな表情を見せた。新田はじれったくなって、山田をせっついた。
「いや、そこまでは判っているから。続きだよ」
新田に言われ、山田は新田の方を向くと、もう一度言い直した。
「行方不明になっています」
手帳を目の前で広げ、山田はにこやかに語った。新田は椅子から落ちそうになった。
「おい! なんだそりゃ。で、生きてんの? 死んでんの?」
第一報から進展のない報告に、新田はもう一度山田に聞いた。山田はここに引っ張ってきたのではない。押し付けられたのではないかと思えてきた。
「救助した山田さん、あ、これ私じゃないですが」
「判ってるよ!」
「に、よりますと、『なぜ助けた』と大騒ぎしていたそうなので、生きていますね」
それを聞いて、会議室に安堵の空気が流れた。
最近グループから一人立ちして、ソロ活動を始めたディアノが、突然自殺とのニュースが飛び込んで来たのだ。しかしそれは誤報であり、正しくは自殺未遂であることが判明した。
会議室の全員がディアノのファンだったという訳ではない。山田は第一報が入ってきた時、他の編集部員と同じ様に顔を上げたが、それはカップ麺の仕上時間を確認するために時計を見ただけだった。
そんな山田でも、生きていて良かったと、今は思っている。
「そうか。生きているか。じゃぁ居場所を見つけて自殺を図った原因を探らないとな。佐藤君。そっちはどう?」
個人のプライベートな問題ではあるが、芸能人の行動には興味があるものだ。そしてそれを記事にするのが我々の仕事なのだ。新田が次に声を掛けたのは、まだ付き合いの浅い佐藤だった。眼鏡を掛けたインテリ風の男が、機械的に話し始める。
「はい。プロダクションに行って見たのですが、最近はテレビの仕事をしていたそうです。どんな仕事だったかは話せないと言われました」
すると新田の目が光った。
「臭いな。どんな仕事だったんだ? どこのテレビ局だ?」
「それは硬く口を閉ざして、判りません」
あくまでも冷静に佐藤は結果を報告した。しかし、新田にはそれが不満だった。手に持っていた赤ペンを叩き付けた。
「馬鹿! それを調べて来いよ。関係者に聞いて、どこのテレビ局をウロウロしていたか聞けば判るだろう」
佐藤はそんなことには動じることもなく、淡々と答えた。
「はい。調べて回ったのですが、丁度発売になったアルバムのキャンペーンか、歌番組に結構出演していまして、どのテレビ局にも行っているんですよ」
一応調べてはいる様だ。新田は腕組みをした。
「なんだ。余計判らなくなってるのか。でも、出演した歌番組の収録以外でテレビ局に行っているのが臭いだろ。ちょっとは頭使えよ」
「そうですね。スケジュールと照らし合わせて見ます」
新田は腕組みを解くと、右手でトントンと自分の頭を指した。工夫をしない者を、新田は好きになれなかった。この道三十年のベテランでもある新田は、少しの穴も見逃さない。
「田中、お前の調査結果はどうだ」
「はい。報告します。斉藤早苗の両親は本人が一歳の時に離婚しています。それ以降の足取りは判りません」
新人に毛が生えた程度の田中にしてはよく調べたと思った。しかし新田を満足させる内容ではない。
「判りませんって何だよ。お前冷静に考えろよ。一歳の時に両親がいなくなって、どうやってでかくなるんだよ。どっちかの親に引き取られたとか、親戚に預けられたとか、施設で育ったとか、そういう記録は無いのかよ」
「ありません」
「ないの? 全然?」
新田は声のトーンを上げて聞いた。
山田はにやっと笑った。新田は予想が外れた時、声の調子が上がるのだ。それが面白くて、新田の裏をかくのが山田の密かな楽しみだった。田中にはその才能がある様に思える。
田中は新田の質問に素直に答えた。
「はい。そうなんです」
それを聞いた新田が田中を攻める。
「じゃぁ、現住所は何処なんだよ。車持ってたんだろ? ナンバーから洗えばいいだろう」
ディアノは川和田大橋まで自分の車で来ていた。そして僅かな隙間に車を停め、そこから歩いて橋の中央まで行ったのだ。雪の降りしきるクリスマスに、起きた出来事だった。新田は雪が積もったMiniの後姿を写した写真を見ていた。
「それがですね、引っ越ししても、そのまま乗っていたらしく、住所が前の住所だったんです。しかも行ってみたら、別人が住んでいました」
「なんじゃそりゃ。じゃぁ完全に行方不明なのか? 親の名前は? 判らんのか? 親戚は? 親が判らないなら親戚を洗えよ。行方不明になったら心配するだろう」
新田はイライラしていた。自分ならもっとパパパッと調べてくる。田中はオロオロして、手帳をパラパラと捲った。何度も同じ所を捲っている。
「父親の名前は判ったのですが、この人も行方不明でして」
「誰だ。名前は。住所は?」
新田は椅子の背もたれに寄り掛かると、単語だけ並べた。
「斉藤秀雄で、住所は港町です」
「行ってみたのか?」
「はい。留守でした。古いアパートでして、裏に回ってみたのですが、荷物も余り無く、本当に住んでいるのかは判りません。隣の人に聞いてみましたが、あまり見掛けないと言っていました」
報告が下手なだけで、一応仕事らしきことはしている様だ。新田はそれ以上キツイ言い方は良くないと思った。
「そうか。じゃぁしっかり見張れ。自分の娘が行方不明と聞いたら、父親は警察に行くかもしれないしな」
「判りました」
「斉藤秀雄か。斉藤……秀雄?」
新田の声が少し高くなったのに気が付いた山田が声を掛ける。
「どうしたんですか? 編集長」
「いや……何でもない」
新田は背もたれをさらに押し、その反動で立ち上がった。何か自分に落ち度があったのか気になった田中は、新田に聞く。
「斉藤秀雄について調べましょうか?」
「いや、それはいい。いいんだ」
田中の提案を新田は直ぐに取り下げた。会議室を出ながら、右手を下の方に押し付けるようにして言う仕草は、まるで調べるなと言っている様にも見えた。
「ちょっと調べ物な。今日は解散」
新田は他のメンバーに言って、会議室を出ると資料室に向かった。歴史のある編集部には、執務室より広い資料室がある。かび臭い資料室には、これまでに発行した号と、その記事を書くために使った資料が保管されている。
記事にした内容は、ひとつひとつ箱に収められ、ラベルが付けられて棚に管理されている。それらが整然と並ぶ姿は、この編集部の歴史そのものである。
判りきった迷路を歩く様に、いくつもの棚の間をすり抜けた新田は、迷わず一つの箱に手を掛けた。それは一九八六年の五月号で取材した時のものだ。埃を被った箱を叩くと、そっと蓋を開けた。中から出てきたのは『エイプリールフールの悲劇』というタイトルが付けられた記事だった。
『加害者・斉藤秀雄二十八歳。職業・ピアニスト。被害者・山本由紀夫・亜希子夫妻・斉藤早苗』
新田は昔を思い出して舌打ちをした。この年の瀬に、思い出したくない出来事だった。保存されていた斉藤早苗の写真は、学校の集合写真でとても小さかった。しかも小学生である。今日確認したディアノの素顔とは程遠い。同一人物との確証は得られなかった。新田は箱を元の場所に戻すと資料室を出た。
デスクに戻る途中も、デスクに戻ってからも、新田は考え事をしていた。帰り支度を終えた山田が何か言っていたが、それは無視した。そしてため息を吐いた。
「まさか、早苗ちゃんじゃないよなぁ」
新田の記憶にある斉藤早苗も小学生だった。いくら記憶が良くても、あの写真ではなかなか思い出すことはできない。
斉藤秀雄は事故を起こした後、業務上過失致死傷で三年刑務所に服役し、出所してから、調律師になっていた。そこまでは昔調べたのだ。
田中が心配そうに新田のデスクにやってきた。
「すいません、編集長、斉藤秀雄と早苗を、どうやって探しましょうか?」
「うーむ。そうだなぁ……。そうだ、墓マークしとけ。斉藤家の墓な。娘なら自分の親の墓参りぐらいするだろう。盆暮正月命日お彼岸マークだ。場所確認しとけ」
「判りましたー」
全員で斉藤家の墓を調べに掛かった。そして、割とあっさり墓のある場所が判った。田中の手帳に書かれていたのだ。場所を確認するため、明日行ってみることになった。




