謎の調律師(七)
まるで自分を信用して貰えない様に思えて、真由美は食って掛かった。
「いえ、エリーゼでした。そんなの、間違え様がないじゃないですか。私、一応プロなんです」
その一言に、店員は全く驚かない。少しだけ真由美の方を向くと、直ぐに手元に視線を戻す。そして、哀れみの表情を浮かべた。
「じゃあ、今日私が弾いた、エリーゼのためにと、聞き比べた訳ですね」
それを聞いて真由美は、何か悪いことをした様な感じになったが、別に責められる理由はない。
「はい。お上手だと思いました」
「でも、斉藤のよりは、下手だと思ったのでしょう?」
真由美の回答に、店員はノータイムで返してきた。真由美は答え辛くなって沈黙し、言葉を捜す。
「いえ、上手とか下手とか、そういうことじゃなくて、曲想が違うと思いました」
うんうんと店員は頷く。それを見て、真由美は正解を導き出したと安堵した。空になったアイスコーヒーのストローを見つめ、左手でそれを軽く掴んだ。そこに、店員からの声が突き刺さる。
「それが判るのであれば、私が貴方に教えることは、何もありません」
真由美は驚いて顔を上げる。店員は真由美の目を見ながら言葉を続ける。
「斉藤の演奏を聞いたのは、運が悪かったと言うことで、忘れて下さい」
店員は冷たく、そして、少し気の毒そうに言う。しかし、そう言われて、真由美が納得する筈もない。
真由美はカウンタに両手を付いて、立ち上がる。
「そんな! やっと探してここまで来たと言うのに、忘れろですって!」
真由美は、普段からカッカする方ではない。寧ろ大人しい方だ。少なくとも、自分ではそう思っていた。そんな真由美に、もう一度冷静な店員の声が届く。
「そうです。貴方はまだお若い。自分の音は、自分で探した方が良い。音の探求に近道はないんです」
何処かで聞いたフレーズが入っていた。
「待って下さい。斉藤さんは、ここに来れば『悪いようにはしない』そう言って下さいました。それなのに『忘れろ』と言うのは、あんまりなのではないですか?」
店員は困った顔をした。店員は斉藤から『ピアノを見てやれ』と言われただけで、まさか斉藤の演奏を聴いたなんて、聞いていなかったのだ。
しかも偶然にも、同じ曲を聴き比べてしまったのだ。どうしろと言うのだ。店員は洗い終わったコーヒーカップを並べて、手を腰に当てる。
「多分、貴方にとって、それが一番良い様に思います」
もう一度店員は言った。しかし、真由美は食い下がった。店員はとても困った顔をして、しかめっ面になって頭を掻いた。
「判りました。では、それなりの覚悟をして下さいね」
店員はエプロンを取るとカウンターを出る。そして振り返った。
「こちらへどうぞ」
促されて真由美は、カウンターの椅子の間を抜けて後に続いた。




