表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
piano  作者: 永島大二朗
100/143

過去との決別(十三)

 タクシーの中で真由美は、子猫の様におとなしかった。

 父が怒ると怖いのは、十分知っている。キャンキャンガミガミと怒る母響子と違って、手を上げることもあった。

 真由美はこの年で、お尻を叩かれるのかとヒヤヒヤしたが、タクシーの中で、父はそこまでしなかった。

 子供の頃、サイフの中身を『子供銀行券』にすり替えたことと、どっちが悪いか、比較していた。


 しかし、あれ程怒っていた父だが、母の時と違って、タクシーの中では無言だった。

 そのまま家に着くと、真由美はソファーに座らされた。そこできっと、お小言タイムになるのだろうと覚悟する。

 しかし、父の言葉は静かで、とても短かった。

「もう逢うな」

「はい」

 真由美は、質問の中身が判っていたかのように即答し、父と同時に言い終わる。

 その返事を聞いて博は、少しだけ驚いた顔を見せたが、むすっとした顔に戻ると、一人で書斎に向かう。

 リビングに一人残された真由美は、父の背中に『ベー』と舌を出して見送っていた。


 今日は、何故かピアノを弾く気にはなれなかった。テレビも見る気がしない。真由美は、これから気まずい数日に、耐え切れるか不安だった。

 こんなことは今までだって、一度もなかったからだ。

 真由美は斉藤と会わなくなれば、父母と、もっと上手くやっていけると、思っていたのだ。

 斉藤の忠告を聞かなかった自分が、悪いのだろうか。いや、自分は何も悪いことはしていない筈だ。それでも真由美は、父にも『何故』の一言が聞けない自分が、情けなく思った。


 書斎に入った博は、ため息を吐いて椅子に腰掛ける。ゆっくりと背中を反らして、足を机の上に乗せた。椅子がギシギシといっていたが、博の耳には入っていない。

 博は考えていた。自分のしてきたことは、正しかったのだろうか。ジャーナリストの一人として、真実を見つめ、真実を語って来たつもりでいた。

 それに、自分の書いた記事で、誰かが傷付かないように、務めてきた。それが、ある時は上役と対決する要素となり、冷や飯を食わされた時もある。


 博はひとしきり昔を振り返ると、机の縁を蹴る。

 キャスターの付いた椅子は勢いで動き出し、机の置いてある部屋の奥から、手前の本棚にまで、斜めに移動した。

 それは博のささやかな楽しみで、機嫌の良い時に行う儀式だ。

 博は椅子の上でクルクルと回りながら、目に写る書斎の様子を眺めていた。あたかもそれはタイムマシーンのようだ。


 椅子が止まった目の前には、一冊のアルバムがあった。

 博は懐かしくなって、その場で開く。それは二十年以上開くことのなかった、結婚式のアルバムだ。


 だいぶお金が掛かっているような仕上がりで、結婚式の全てが写っている。結婚式場の外観、料理全品、お色直し再入場前、キャンドルサービス、ケーキカット、来賓の挨拶、宴会芸。

 全て記録されていて、写真の下には、何を踊っているかまでワープロ打ちされていた。

 それを見ると、いつどこで、誰が何をどうしてどうなったのか、一部始終を思い出すことが出来た。懐かしい。


 ジャーナリストの博にとってそれは、とても重要なことであったが、これは博が編集したものではない。

 博は、二台のニコンをブラブラさせながら、忙しく写真を撮っている男の姿を思い出した。誰だか知らないが、面白い人だったなぁと、笑った。


 結婚式のアルバムには『主人公が二人いる』はずだが、その一人である博の写真は、高砂でニヤけるのと、ケーキカットと、両親に花束を渡す後姿、位なもので、後は響子が大写しになっている。

 それでも博は満足していた。響子の美しい花嫁姿と微笑みを眺め、ゆっくりとページをめくって行った。


 このアルバムに記録されていないのは『音』だけであろう。

 しかし博は、ページをめくる度に、それを頭の中で再現することが出来た。なぜなら、全ての場面で曲を演奏していたのは、斉藤だったからだ。


 響子が博より、斉藤を好きだったのは知っている。

 一学年下の響子が、斉藤と博の会話に割り込んできたのが出会いだ。その時響子が話し掛けたのは斉藤の方で、博には愛想笑いを振り撒いただけだった。

 響子は、ことある毎に斉藤と博の間に割り込んで来て、斉藤にピアノの話題を振った。斉藤はピアノについて語る時、誰彼区別せず、その話に耳を傾ける。

 例えそれが、後のライバルであったとしてもだ。


 そんな響子を、博は『可愛そうに』と思いながら見ていた。

 何故なら斉藤にとって、一番大切なものはピアノで、二番目もピアノで、そして、三番目もピアノだったからだ。

 だから斉藤が大学在学中に、師匠の娘と突然結婚したのも頷ける。

 斉藤の結婚について、響子はとても怒っていたが、斉藤が響子と『何か約束』をしていたとは、とても思えない。


 来賓と親戚の写るページをめくりながら、博は響子に言ったプロポーズの言葉を思い出す。響子が博と結婚したのは、斉藤が結婚した、翌年のことだった。


 最後のページには斉藤と、アルバム製作者が写った写真が張ってあって、下にはメッセージが添えられている。

 首にニコンを一台ぶら下げ、黒服には似合わない『四桁の数字』が書かれた帽子を被っている男の、メッセージがあった。


『ずっと仲良しでいましょう』


 そこだけ手書きの、やさしい字だった。

 あの時は、ごく普通のメッセージだったし、笑って読み飛ばした。しかし、今はどうだろう。博は目を閉じ、本棚の上の方を見上げて想いを巡らせる。


「あの頃に、帰りたいなぁ」


 博はポツンと呟いて、アルバムを閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ