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piano  作者: 永島大二朗
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謎の調律師(六)

 するとその時、奥の方からピアノ演奏が聞えてきた。あっと思った。しかし、もうそちらを見るのは止める。今度観たら、絶対刺されると思ったからだ。極度の緊張感の中で、物音立てず、じっと聴くことにする。

 誰が演奏しているのかは判らなかったが、プロのピアニストであることは判った。音が違う。そう、あの斉藤の様な……。

「えっ! もしかして?」

 口を押さえて言った。斉藤はずっと自分を、待っていてくれたのだろうか。それとも裏口から、斉藤が来たのだろうか。どっちにしろ、今そこに斉藤がいる。そうに違いない。


 しかし二曲目になって、斉藤ではないと感じた。聞えて来たのは『エリーゼのために』だったからだ。そのエリーゼは、斉藤の弾くエリーゼとは全然違っていた。明るく楽しい、そう、ベートーヴェンが恋人のテレーゼに捧げたと言う、やさしい感じだった。普通とも言うし、平凡とも言う。


 三曲目が始まった所で、事態は一変する。カランカランという音がして、入り口のドアが開いたのだ。

「郵便でーす」

 そう言って真由美の横に、郵便配達人がダイレクトメールを置く。真由美は、生きた心地がしなかった。正面を向いたまま、目を瞑って顔を下げる。『私じゃない! 私は何もしていない!』そう思った。

 しかし、再び真由美に視線が注がれることもなく、刺されることもなかった。

「はい、ご苦労様ー」

 そういう声がしたかと思うと、ピアノ演奏が止まった。さっきの店員がトコトコと歩いてきて、カウンターに入る。それを追うかの様に、一斉に客が席を立つ。

 何人かは携帯電話を開いていたので、別に店内で、携帯電話を見ても良いのだと思った。真由美は、携帯電話の時計を見る。

 夏の日差しも今日は店じまいなのか、客が出て行く度に幾分涼しい風が入って来る。そして、さっきまでいた沢山の客が、一気にいなくなって、客は真由美一人になった。

「ケーキ多かったですか? ごゆっくりどうぞ」

 店員は笑って、集めてきたコーヒーカップをシンクに入れながら真由美に声を掛けた。そうは言っても、閉店間際に入ってきて、最後まで居残っても悪い。

 半分まで食べたケーキを猛烈な勢いで食べ始めた。


 店の奥で音がした。すると店員は「おかえりー」と言った。奥の方から「ただいまー」という女の人の声がする。

「奥さんですか?」

 真由美はちょっと聞いてみた。

「そうですよー」

 にっこり笑って、店員は顔を上げる。そして、真由美の方を見ながら口元を指差す。真由美は慌てて口元を拭いた。カウンターに飾られた、写真の人なんだろうなと思う。自分と同じ位の年だろうか。この店員、若い嫁さんを貰ったなと思った。


 ケーキを全て平らげてから、真由美は店内を見渡した。本当に、もう誰もいなかった。意を決して店員に聞いて見る。

「あのぅ、斉藤さんに、ここへ行けと言われて来たのですが……」

 すると店員は、洗い物をしながら顔を上げた。その顔が語っていた「え、あんたなの?」と。真由美は勘が鋭いのだ。

「おや、そうでしたか。お話は伺っています。ピアノでお悩みなのだそうで」

「はい。斉藤さんのピアノを聴く機会がありまして、それで斉藤さんに教えを請うたのですが、断られてしまいました」

 真由美がそう言うと、店員は水を出しっ放しにしたまま手を止め、顔を上げた。

「えっ! ピアノ、弾いたんですかっ?」

 驚く場所が違って真由美は驚いた。しかし斉藤が『自分にはピアノを弾く資格がない』と言っていたのを思い出す。あの言葉は、本当だったのだ。少し混乱する真由美に、店員はなおも聞いてきた。

「な、何弾いたんですか?」

 水道だけがジャージャー流れている。真由美にはそっちが気になった。蛇口の方を見ながら、事実を伝える。

「エリーゼです」

「えええっ!」

 店員が大きな声を挙げたので、真由美は蛇口から店員の方に視線を移す。そこには、驚愕の事実があるかの様な、顔があった。真由美には、エリーゼがそんなに難しい曲とも思えない。ただ、手を火傷していたことを思い出し、余程の重症だったのかと思い直す。

「エリーゼのためにを弾いたんですか? 本当に? いや、嘘でしょう。それは有り得ない」

 真由美のポカンとした顔を見て嘘と言い放った店員は、自分で勝手に結論付け、首を横に振って再びコーヒーカップを洗い始めた。

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