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第7話

「ち、千代、ちゃん。ちよぉちゃん、だめだ、声が裏返っちゃう」


 運動部から熱烈な勧誘を受け、あまりの熱意に混乱したあゆむはあまり人気のない体育館近くのトイレまで逃げていた。


 すべて願ってもない誘いで、どの部活に入るものか大いに迷っていたが、それを上回るインパクトが千代のウインクにはあった。


 あゆむは、千代のことが好きだった。


 同じ保育園に通っていたころからずっと想いを寄せてきたが、生来の臆病さもあり特別な行動は一切出来ずにいた。

 今まで千代はだれかと付き合ったことはなかったが、告白されることは何度もあった。その度にあゆむの胸は締めつけられ、自分が嫌になった。


 勇気も自信もないうえに、不必要な距離を自分で空けてしまっている。

 幼馴染という立場に甘んじて、他の者より特別だと安心している。

 それがどれほど脆く、儚いものか。あゆむ自身、薄々気づいていた。


 だからこそ、先ほどの千代の期待にはどうしても応えたかった。


 これを機に二人の距離が縮まるのなら、ゴリラになった甲斐があると思っていた。用を足したあゆむは、決意を新たに教室に戻ろうとした。


「っしゃあ!」


 が、そのとき聞き慣れた声の勝鬨を耳にした。


 同時に巨大なゴリラの体が萎縮した。

 声の主は先日あゆむをカツアゲしたクラスメイトだったからだ。


 声のした方へ、あゆむは恐る恐る近づいた。

 もしかしたら、自分と同じようにだれかがカツアゲの被害に遭っているかもしれないと思ったのだ。


「次、どのボス倒すよ?」

「こいつやろうぜ。ここで手に入るアイテムが欲しい」

「おっけー。じゃあ、おれ回復役やるわ」


 体育館裏を覗くと、自由に伸びた雑草たちが生い茂っており、例の三人はその上に段ボールを敷いて胡坐をかいて、ゲームに興じているようだった。


 自分の心配が杞憂に終わり、あゆむは胸を撫でおろした。無駄にこの三人と関わりたくなかったあゆむは、足早に立ち去ろうとした。


「そういえば、金は貯まったのか?」


 ふと、あゆむの足が止まった。


「一昨日話しただろうが、義雄よしお。早乙女に借りた五万で全額貯まったんだよ」

「なら、オレたちのバイト代って余るのか? 信一しんいち

「そうだな。次のバイト代は自由に使えるはずだ」

「よっしゃー! じゃあ、おれ課金しようっと! 新島忠にいじまただし、いっきまーす!」


 悔しさと怒りで体が震えた。


 なんの目的で金を集めていたかは知らないが、わざわざあゆむから搾取しなくても別の手段があった。なのに、それを使わず自分たちは好きなことを楽しもうとしている。


 あんなにも嫌で、苦しんだのに。

 あゆむはふと、無意識のうちに握りしめていた拳を見た。


 なんて立派で、強そうな拳だろう。


 野生のゴリラは、ナックルウォーキングと呼ばれる歩き方をする。四つん這いでの移動だが、その際手は握られ、拳を地面に押し付けるようにして歩くのだ。


 あゆむは自分の拳を見つめながら、これなら一〇〇キロを超えるこの巨体を支えることもできるだろうと思った。

 そして、背後でゲームに興じる三人にも負けないんじゃないかとも思えた。


 三人は今日はまだ授業に参加しておらず、教室にも来ていなかった。彼らが午後から登校してくることは珍しくなく、千代とは違い理由もただのサボりだった。


 自分の変化を知らないのなら、驚かしてやることもできるかもしれない。


 体育でもあんなに活躍できたゴリラの自分なら、お金を取り返すことだってできるかもしれない。

 心臓がうるさいくらいに鳴り、まるで「いける、やれる」とあゆむを鼓舞しているようだった。


 あゆむは覚悟を決め、大きく息を吐き、踵を返して三人の前に飛び出した。


「お、おい!」 


 裏返ってしまった声に恥ずかしさを感じながらも、あゆむは自分ができる一番怖い顔で三人を睨んだ。


「うおああああああ! な、なんだこいつ!」

「ゴ、ゴリラだよ! え、なんで? この近く動物園とかあったっけ? どっから脱走したの?」

「お、落ち着けお前ら!」


 効果は大いにあった。

 というか、表情がどうあれ通い慣れた学び舎でいきなりゴリラが飛び出してきては、この三人でなくても慌てるだろう。


 あゆむは期待以上の反応に喜び、これなら大丈夫だと安堵した。


「ん? おい、お前もしかして早乙女か?」


 リーダー格の男が放った一言で、あゆむは血の気が引くのを感じた。


「え、うそ? あ、本当だ。制服着てるし名札に早乙女って書いてある」

「っち、なんだよ早乙女かよ」

「名札がなかったら、わからなかったな」


 ゴリラの正体を見破り、三人は安心して胸を撫でおろした。


「「「えええええええ!」」」


 が、正体がわかったことで目の前の異常さが際立った。


 ほっとしたのも束の間、揃って声を上げた。


 リーダー格の男の名は大野おおの信一。三人の中で最も喧嘩が強く、頭もキレる兄貴肌な男だった。


 小柄の男は新島忠。小柄な体格ながら両耳にピアスが光るチャラい外見で、お調子者な性格をしている。


 もう一人の男は、津川つがわ義雄。最も体が大きく喧嘩早い性格で、言葉遣いも荒かった。


 三人は幼馴染でいつもいっしょに行動していた。

 それ故、何をするにも息が合うのだが、今回の驚嘆の声はきれいにハモりが効いた。


「マジかよ、前とギャップあり過ぎじゃん」

「お、おおう、コラ! 早乙女だってことはわかってるんだからなぁ! ちょっとゴリラになったからって、オレ様がビビると思うなよ!」

「うるせぇ、ちょっと黙れお前ら」


 興味津々な忠とズレた対抗心を燃やす義雄を、幾分冷静さを取り戻した信一が抑えた。


「で、なんの用だ? そのナリを見せに来てくれたってわけじゃないんだろう?」


 探るように鋭くなった信一の視線に晒され、あゆむはねばついた唾を飲みこんだ。


 全身を覆う毛がさわさわと揺れ、頭の中が冷たくなった。

 自分はなにもしていないのに、膝と腕の震えが止まらなかった。今までのあゆむなら、この冷たい恐怖に負け、相手の目を見ることすらできなかっただろう。


 だが、今のあゆむは違った。


 午前中だけで、自分が生まれ変わったことを実感していた。


 自分の中にある力が、周囲から驚かれるほどのものだと自覚していた。


 一種の興奮状態にあり、燃える自信は付け焼き刃だったが、一歩を踏み出す理由には十分だった。

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