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第2話

「うわああああああああああ!」


 悲鳴がご近所に響いた。


 少年は、なにがなんだかわからなかった。


 鏡に映るこのゴリラが、本当に自分であると認めることができなかった。


 しかし、体に残る布きれは、無残に破れた愛用のパジャマに間違いなかったし、叫んだと同時に腰を抜かした自分と同じ格好を、鏡の中のゴリラもしていた。


「どうしたの? 開けるわよ?」


 階段を駆け上る足音がしたかと思うと、母親の心配した声がドアの向こうで発せられた。


「お、お母さん! ま、待って! ま、まだ開けないで!」


 言ったときには遅かった。


 すでに母の手はドアを開け、腰を抜かしたゴリラを目の当たりにしていた。


「き……」


 とっさに少年は耳を塞いだ。


「きゃあああああああああああ!」


 息子に負けない甲高い悲鳴が、またもやご近所に響いた。


「わ、わ、私のあゆむが! こここ、このゴリラ! あゆむを食べたのね? 返して! 息子を返して!」


 母は泣き喚きながら突進し、ゴリラを何度も殴った。


「お母さん、僕だよ! あゆむだよ! それに本物のゴリラは肉食じゃないよ」


 少しズレた弁明をするゴリラの顔を、母はまじまじと見た。


 その声は愛する息子のものに他ならなかった。


「え? あ、あゆむなの?」

「そうだよ。僕だよ、お母さん」

「っていうことは、これ獣人化アニマなの?」


 あゆむたちが生きる現代から六十四年前。人類は突然変異を起こした。


 始まりは、アメリカに住むアレックス・パーカー。

 税理士の父と専業主婦の母を持つ、本が好きな少年だった。


 しかし、彼が十五歳になって初めての夏、体に異変が起きた。四肢に動物のような体毛が現れ、爪と牙が伸び、人間の耳が消え頭部にイヌ科の耳が生えた。


 のちにコヨーテと判別されるその変異は、世界中に衝撃をもたらした。アレックスは然るべき研究機関へ移され、人々の関心を一身に集めた。彼を崇める者もいれば、差別の目を向ける者もいた。


 しかし、そんな状況は長く続かなかった。


 アレックスを皮切りに、世界中の少年少女たちに同じような症状が現れたのだ。


 動物の種類はコヨーテに始まり、馬・犬・猫・ワニ・羊など多種多様で、予測も不可能だった。

 変異する部位も様々で、全身に現れる者や牙が鋭くなるだけの者もいた。共通点として年齢が十五歳以下であることと、変異した動物の能力を得るということが判明した。


 得られる能力に違いあるが、皆それまでの人類を超える力を得ることとなった。そんな彼らを人はと呼び、現れる変異をアニマと名付けた。


 その後、彼らに対する差別。それに伴うデモなど、世界は一時混乱の渦に呑まれた。

 しかし、獣人の数は年々増え続け、十年前には十五歳になる人間の九割が獣人という状況にまで至った。


 そして現在。


 全人類の約八割がアニマを経た人間となり、世の中は獣人社会と呼ばれるようになった。

 アニマは思春期に訪れる体の変化として認知され、当たり前の現象として受け入れられている。


 しかし、アニマの原因として、遺伝子の突然変異という結論が出されてはいるが、なぜある世代から現れたのか。なぜ十五歳までに現れるのかといった理由は、未だわかっていない。


「うん、たぶんアニマだよ。でも、体形までこんなに変わるなんて……」


 改めて鏡を見ても、あゆむは信じられなかった。


 一夜で変わるレベルを超えている。

 昨日までの自分が、記憶の中以外には存在しなくなってしまった。


「そ、そうよね。アニマよね。おめでとう、あゆむ。周りのみんなより遅くて、悩んでたものね。お母さん、うれしいわ。でも……」


 笑顔を向けていた母が急にうつむいた。


「お母さん?」

「なんでゴリラなのよおおおお!」


 再びご近所に悲鳴がこだました。


 黒い尻尾と長髪に隠れていた猫耳が上にピンと伸びて、叫びに呼応した。


「あゆむはぁ! かわいいのがよかったのぉ! 猫耳とか絶対似合ってたのにぃ! 手とか肉球になってたら、ぷにぷにできたのにぃ!」

「えええ……」


 理不尽な嘆きが、あゆむに向けられた。


 母である英梨えりは、一人息子のあゆむを溺愛していた。


 中性的だった彼の容姿を認め、そのまま長所として伸ばしたのも彼女だ。


 おかっぱのような髪型や、女子にも負けない毎日のスキンケアなどは英梨のアドバイスによるものだった。

 事実、男らしさとは無縁だったあゆむだが、女子からの人気は凄まじく、また、一部の男子生徒の趣味嗜好を変えてしまうほどの魅力を携えていた。


 だが、そんな愛らしさや母性本能をくすぐる容姿は消え去り、雄々しさと闘争本能を刺激するゴリゴリのゴリラに変わってしまった。


「お母さん。お母さんの気持ちはわかるよ。だって、いつでもお母さんは僕の味方だったし、昨日までの僕を本当に愛してくれた。でも、でもね、僕、ちょっとうれしいんだ。今まで、かわいいって言われてきたけど、本当はかっこいいって言われたかったんだ」

「あゆむ……」


 英梨は涙を拭いて変わり果てた息子に近づき、そっと抱きしめた。


 昨日まで、自分の胸に顔をうずめられるほど小さかった息子は、逆に分厚い胸板に自分が寄りかかるほど頼もしくなっていた。


「わかったわ。ごめんね、取り乱しちゃって。大丈夫、どんな見た目になっても、あゆむはあゆむだもの。猫耳とかは、お母さんの勝手な妄想。今のあなたも、私の息子よ。愛してるわ」

「あ、ありがとう」


 英梨は、あゆむの目を見つめて言った。


 あゆむは照れ臭くて、鏡の自分へ目を逸らした。


「ところで、あゆむ」

「うん?」

「ゴリラって、あゆむ的にはかっこいいの?」

「……捉え方によっては」

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