回想2
そんな日がひと月ほど続いた、ある日のこと。
いつもの公園のベンチに見慣れた姿を見つけて駆け寄ると、彼は俯いたまま顔をあげなかった。
「どうしたの?」
心配になって声をかけると、彼は私の声に反応するとゆるゆると顔をあげた。
顔が見られてほっとしたのもつかの間、空色の瞳が少し潤んでいるように見えて私は動揺した。
もう一度声をかけようとしたその時、彼は一文字に噛み締めていた唇をほどいて、囁くような小さな声で言った。
「今日で、ここに来るのは最後になる」
一瞬言われた言葉の意味を理解できなくて固まった。
でも、つらそうな彼の表情に、理解できない、したくもないその言葉は本当の事なのだと知る。
「っなんで!?」
私は詰め寄った。
彼と会えなくなったら、私は、私はどうすればいいの。
どうやって、何を支えにしてこれから生きていけばいいの。
会っていたのは短期間ではあったが、私は精神的に彼に依存しきっていた。
ああ、だめ、視界がぼやけてきた。
鼻水まででてきて、私ははしたなくも音を立てて鼻を啜った。
「……ごめん」
「……」
申し訳なさそうにする彼に、私はそれがもうどうすることもできないことだと悟った。
急に無言になった私を見て、彼は自分のポケットに手を入れると小さな何かを取り出した。
「左手出して」
「……?」
言われるがままに左手の手のひらをだすと、彼はその手をひっくり返して薬指に何かを通した。
冷たくて、硬い感触。
「ゆびわ?」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、私は薬指に入ったそれを見つめた。
「そう。なかよしのあかし」
「なかよしの、あかし……」
空にかざすと、一つだけはめ込まれた青い宝石がきらきらと光った。
「……きれい。ありがとう」
「機嫌はなおった?」
「それはなおるわけないもん。一緒にいてくれなきゃ。でも、しょうがないことなんでしょ。がまんする」
「いい子」
唇を尖らせて拗ねた私の頭の上にぽんと手が置かれて、
その手は優しく私の頭を撫ぜた。
いつもしてくれるそれを私は大好きで、止まった涙がまた溢れ出そうになって堪えた。
でも彼にはお見通しのようでくすりと笑われてしまった。
「じゃ、じゃあ!私からも、なにかあげる!ええと……」
誤魔化すように早口に言葉を紡いだ。
でも、あげると言っても今日がお別れになるなんて知らなかったから何も特別なものは持ってきていないわけで……
とそこまで考えたところで彼が指輪を撫でて言った。
「モノはいらない。そのかわり、君の‘好き’をちょうだい」
「すき?」
「一番の好きを僕にちょうだい」
そんなことでいいの。
私はきょとんと彼を見つめた。
「いいよ、あげる!お父様より、お母様より、ずっとずっと、だいすきだもん」
言うと、彼は嬉しそうに空色の瞳をゆるりと細めて笑った。
「クローディア、僕も君のことが一番大事で大好きだよ」
そのとき指輪が鈍く光ったような気がした。
「……この指輪をずっと持っていて。そしたら、いつかまた僕達を出会わせてくれるから」
「……っ」
いつかって、いつなの、問いただしたくなったけどその言葉は飲み下した。
いつも明確な発言しかしない彼が濁して言った、多分彼も分かってないんだ。
彼は真剣な瞳をして、指輪のはめられた左手をぎゅっと握った。
寂しくて悲しくて、やっぱりまた涙が零れた。
拭いても拭いてもそれは止まることなく零れ続けた。
大分長い間二人してベンチに座っていた。
彼はずっと手を握ってくれていた。
「もう帰りな」
でも、別れの時はくるもので。
帰ったら、もう会えない、いつ会えるか分からない、そう思って首を横に振り、彼の服の裾を掴んだ。
帰りたくなかった。
でも、彼がずっと困った顔をしているから、それを見るのがつらくなって私はきゅっと唇を噛む。
これは、しょうがないことなんだ。
「ほんとに、また会えるよね?」
「会えるよ、絶対に。君が僕のことを忘れない限りね」
「そんなの、一生忘れないよ」
「だといいけど」
私達は別れた。
帰り道は指輪を見ながら歩いた。
何故か指輪の宝石が赤色に変わっていた。