それはもう何度目の
「すまない、実は他に付き合っている人がいて、その人との間に子供が出来たんだ」
私の婚約者であるはずの目の前の男は、泣きそうな顔をしてそう言った。
一つだけ年上の彼は、気は弱いけれどとても優しくて、私のことをいつも一番に考えてくれている……と思っていた。
恋をしているわけではなかったし、政略結婚ではあったが、この人とならば暖かい家庭を作れると、そう思っていたのはどうやら私だけだったらしい。
「だから、その、本当に申し訳ないんだが、婚約を解消してほしい」
まあ、そうなるよね。
予想していた言葉がそのまま少し薄目の唇から吐き出された。
可哀想なくらい震えている彼、傍から何も知らない人がこの光景を見たら、私が彼のことをいじめているように見えていそうだ。
「分かりました。では、正式な書類は後ほどこちらで記入してから送らせていただきます」
彼の気が少し緩んだのが分かった。
まさか、反対されるとでも思っていたのだろうか。
信じていたのに裏切られた、その事実に私は打ちのめされたし、相手は見知らぬ女ではあるが、口が裂けても子供を堕ろせなどとは言えるはずもなかった。
「ありがとう、本当にすまなかった」
彼は、私にありがとうと言った。
最早怒る気も起きなかった。
だが彼らの幸せを祈る気にもなれず、去っていく彼から目を逸らした。
ぱたん、と扉が閉じたあと急に視界がぼやけだす。
ここまで、もってよかった。
彼のために泣いていると思われるのが嫌だった。
このくらい、大丈夫よって気丈に振る舞いたかった。
あなたのことなんて、なんとも思ってないのよって、見栄っ張り。
ああ、もしかして、こんな意地を張るような私だから、別に女の人を作られてしまうのかしら。
考え出すと止まらなくなって、ベッドで声を押し殺して泣いた。
大丈夫、だいじょうぶ、わたしはつよいのだから。
自分に必死で言い聞かせた。
―――――……
チュンチュンと鳴く小鳥の囀りで目が覚めた。
どうやら、昨日はそのまま泣き疲れて寝てしまったらしい。
着ていたドレスが皺まみれだ。
よろよろと部屋に付いている洗面所へ向かい、ふと鏡を見る。
「……ひどい顔」
そこに映っていたのは、泣きすぎて瞼が真っ赤に腫れて別人かと思うほど酷い顔をした私だった。
結われていた髪もほどかないままだったため、ぼさぼさになっている。
長い溜息を一つ吐いて、冷たい水で顔を洗う。
少し気持ちが引き締まった気がした。
コンコン
遠慮がちに扉がノックされて、私が返事をすると侍女のイリーナが入ってきた。
暗い表情を見るに、もう私に何が起きたか知っているらしい。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、イリーナ。悪いのだけど、今からお湯を沸かしてくれる?昨日そのまま寝てしまったから湯船に浸かりたいわ」
私の顔を見たイリーナはくしゃりと顔を歪めたが、昨日のことには触れずいつも通りの態度と指示を行った私に、彼女もいつも通りの返事をした。
―――……
暖かい湯船に体を沈め、一息つく。
昨日のことを思い出しそうになって、ぶんぶんと首を振った。
もう、わすれるんだ。
イリーナが心配そうに私の方を見ていたのには、気が付かないフリをした。
誰かに優しくされるとまた泣いてしまいそうだから。
―――……
お風呂から出て身支度をすると、書斎へ向かった。
イリーナが知っているということは、もうお父様もご存知のはずだ。
「お前が至らないから、このようなことになる」
部屋に入って開口一番、お父様は手元の書類から目を離しもせずに言った。
どこまでも冷めた口調に怯みそうになるが、謝罪の言葉を絞り出し、頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「これで何度目だ?」
「三度目、でございます」
私は昨日のものを入れて、過去に三度婚約が解消となっている。理由は違えど、二度婚約が解消となった時点で夜会では憐れみや好奇の視線に晒された。
今回のことも、と思うとため息が止まらなくなりそうだった。
1人目の婚約者は職場で金銭の着服を行っていたことが明らかとなり婚約解消。
そして彼は逮捕された。
二人目の婚約者が行ったのは、美術品の模倣品を職人に作らせ、それを本物として売っていたこと。
彼もまた逮捕された。
今回は犯罪ではないものの……外聞はよろしくない。
「……少しはシンシアを見習ったらどうだ」
……また始まった。
お父様はため息をついて、最早口癖のようになっている言葉を吐き出した。
それは昔から耳にタコができるほど聞いてきた。
ため息をつきたいのはこちらの方だ。