素晴らしき人生
1 自殺
私は二年前に離婚した。
ちょうど40歳になり、節目にはなる。
優しかった旦那は、今や職を失い、私のパートでの収入が生活を支えている。
当然、パート収入だけでは子供を大学に進学させるのも難しい。
いや、そもそも生活が苦しい。
旦那の親にも相談はしたが、話にはならない。
苦しい時も支え会うのが夫婦ですから。
確かにその通りかも知れない。
だけど、旦那は自分の意思で働かなくなり、家でゴロゴロするだけ。
私はタカられているだけの女。
ならば、いっそのこと┅
まず、私は家を出た。
パートで貯めたヘソクリで家を借りた。
子供達を迎え入れる為には、ある程度は生活必需品は揃えなくてはいけない。
なんとか、子供達を迎え入れる環境は出来た。
三ヶ月はかかったが、看護師助手とファーストフード店のパートで、身も心もボロボロだけど、それで子供二人と一緒に暮らせるなら本望だ。
家庭裁判所で離婚調停の手続きをした。
私にとっては子供の親権が取れればそれで良かった。慰謝料が欲しいわけでは無かったし旦那と別れられれば良かった。
結果、私と旦那は離婚した。
しかし、親権は旦那の物となった。
裁判所の回答は、「貴方は子供を捨てて家を出た」「その間の子供を養育していたのは紛れもなく旦那さん」「今の時代、男女平等です。旦那さんが働かないなら、働けないなら、貴方が働けばいい。」「結果、貴方はそれを放棄したから出ていかれたのでは?」「子供さん達はお父さんと一緒に暮らすことを望んでいますね。お父さんは僕達を捨てていないし、僕達はここで育ったから。」
と、私は裁判で完全に負けてしまった。
養育費も月々払わなくてはならない。
15万円。相手からの要求を鵜呑みしてしまった。
払わなければ、子供とは会わせないと旦那から連絡があった。
私は過労死するまで働こうと、そうすれば子供には会えると信じて、ひたすら働いた。
しかし、その約束すら裏切られる。
離婚後、初めて子供達と会える日。
私は1日休みを取り約束の場所で待った。
この日の為に頑張ってきたし、生活は休むことで更に厳しくなるけれど、それでも構わない。
私は、子供達が来るのを待った。もうすぐで来るんだと。
夜になった。約束は午前10時だった。
既に時間は午後9時を回った。
もしかすると、事故とかに巻き込まれてるのでは?と思い、旦那に連絡した。
「会いたくないんだってさ。」
もし、この世の地獄があるとすれば、今この時この場所だろう。
私は絶望の縁に立っていた。
名も知らぬビルの屋上。足を一歩踏み出せば、この地獄から踏み出せる。
私はこの日自殺しました。