リミットブレイク
~相馬 志穂の14:00~
天高く、馬、肥ゆる秋。
スポーツの秋。
芸術の秋。
そして――
――爆発の秋。
秋更かし、隣は何をする人ぞ。いや、別に興味があるとか無いとかそれ以前に、今はそれどころじゃ無いのよね。ホント。
あたしは現在、膝もとい左足に爆弾を抱えて水練町内を疾走中だったりするわけで……何故か。本当に、何故か。
『おーい、志穂。ペース落ちてるぞ~』
「あのさあ、九龍。あたし、もう余裕でフルマラソンの距離相当以上を走り続けているんだけど」
それを言えばお互い様なのだが、とにかく口に出して言わないと気が済まない。
ちなみに九龍は右腕に、やっちゃんは左腕に爆弾を抱えながら、あたしと同じように町内を走行中である。
その、抱えているリング状の爆弾のルールは、判明しているだけで大きくみっつ。
ひとつ、ゲームスタート時から六時間経過で爆発。ゲームスタート時に装着が成されて無いリングについては即時爆発。
ふたつ、リングを一度装着した後、無理に外そうとしたり壊そうとしても爆発。装着者が自動車自転車等の乗り物に乗っても爆発。
みっつ、ゲームスタート時より一定速度以上で走り続けなければ爆発。リングの合計速度が設定速度に満たない状態が5秒以上続いても爆発。
爆発爆発アンド爆発。ほんとなんなのよこの一方的な爆発ゲームは。犯人見つけたら同じ爆弾を首に巻き付けたいくらいだわ。
九龍の方は仮に右腕の爆弾が作動したとしても闇化で爆風を押さえ込めるしと豪語していたし、やっちゃんの方は……うん、まあ、ナチュラルに平気でしょ。間違いなく。
だけど、あたしの方は無事ではあっても無傷でいられる自信なんてものは、まったくこれっぽっちも無いワケで、最悪の事態を想定して命より大事な腕ではなく足の方に爆弾を抱えることにしたのだ。
まあ、それはそれで頭を抱える問題なのだけれども……あーっ、それにしても空がやたらと青くて高いわねえ。憎らしいほどに。
~四季野 夏羽の10:00~
さて、世の中は行楽シーズン行楽日和。
快晴の空の下、これから日神神社やその周辺へ、紅葉狩りに訪れる方が日に日に増えてくることが予想される。そんな日曜日の朝。
その日も早朝から神社の手伝いを予定していたわたくしは、澪さんからの突然の呼び出しで、水練町警察署内の会議室を訪れることになったわけなのですが……
そこで集まっていたのは、わたくし以外に集められていたのは、九龍様に志穂さんに矢島先生に雷さんとお馴染みの顔触れでした。
「さーって、と。これで全員集まったわね」
そして、わたくしの入室を見計らったかのように、たった今閉めたばかりのドアをやや大袈裟に開けながら、まるで西部劇の酒場で見かけるワンシーンように、澪さんが登場してきます。
左手には謎のリングをみっつを指に引っかけながら、右手に一通の手紙を持ちながら。
「そんで、どういう用件だ? ミオ。ここの署員もぜんぜん見かけないし、どうやら穏やかじゃないようだが」
そんな不可解な状況に対して、最初に言葉を発したのは矢島先生でした。
「まあ、ちょっとイロイロあって、ほとんどの同僚が出払っちゃっててねえ。正直、猫の手も借りたいのよ。麒麟も交ざってるけど」
「むう。それは、どういう事態でしょうか? 滝谷殿」
そう続く雷さんの言葉に、澪さんはリングを会議室中央のテーブルに置き、手紙を読みやすいように広げます。
そこに書かれていたのは、警察への挑戦状と題したゲームブックのような文章で、挑戦を受けない場合は水練町内の施設を無差別に爆破するという、脅迫状でもありました。
要約すれば、ゲームの開催時間は本日の正午より6時間。それが過ぎれば、用意した全ての爆弾を爆発させるということ。
そしてみっつのリングの合計が75キロ以上のスピードになるように走り続け、なおかつ、リングの液晶パネルに出てくる指定された場所へ設定された時間内に向かうこと。
もし時間内に目的地に到着しなかった場合指定された場所を爆破するということ。自動車自転車等の乗り物の使用を禁ずること。
警察側の勝利条件は、指定された場所にあるヒントを集めて最終目的地に到着することであり、もし時間内に最終目的地に一人も到着しなかった場合は警察側の負けとなる。
等の事柄が書かれていました。何にせよ、随分とこちらに不利なルールのようです。
「で、澪ねえ。いったいあたし達に何をさせたいわけ? もしかしてあたし達がここに集められた理由って……」
半分、もしくは既にあきらめ気味な志穂さんの問いかけ。まあ、その気持ちはわたくしにもよく分かります。
「何って、ねえ……決まってるじゃない。あんた達にはこのゲームに参加してもらいたいのよ。単刀直入に言えば――走れ! 青春」
「いやいやいや。待て、ミオ。走れって言われてもなあ……一人頭の時速が25キロ。6時間で150キロもの走行距離だろ? フルマラソン3週でもお釣りが出るぞ」
「さっさと犯人捕まえちゃえば問題なーし」
「なるほど――って言うとでも思ったか?」
そうですねえ。矢島先生の言うことにも、澪さんの主張にも一理あるのでしょうけれども……ところで、です。
「あの、九龍様? 先程からずっと黙ったままのようですが」
「ん? そうだなあ。こいつは、澪ねえに呼び出される前に見かけて撮影してきたものなんだが」
そうして九龍様が取り出した携帯の画面には明け方の空と小学校の校舎が映っており、一階部分の窓ガラスは全て四散したらしく、遮るものも無く覗ける内部は、真っ白に焼け焦げた跡が見られました。
ひとつ判ることとしては、通常の火事等では、到底このような光景にはならないということでしょうか。
「やっぱりくーちゃんねえ……一応、情報規制は敷いてるはずなんだけど――いや、この時間帯ならその前の撮影かしら」
「何でもいいだろ。そんで? やっぱこの爆破事件と関係あるのか?」
「あるかもしれないし、無いかもしれない。ただ、この手紙とリングを無視するワケには行かないのよ。どう考えても、ね」
「まー、確かに。澪ねえの立場上、このふざけたゲームに付き合うのはしゃーないか」
さて、九龍様はこの話に乗るようですが、矢島先生と志穂さん雷さんの方は……
「なあ、ミオ。俺はパスでもいいよな? 給料日前でまともなもん食って無いんで、走るのもしんどいんだが」
「あたしもちょっと……徹夜明けなんで遠慮したいんだけど」
「自分は九龍殿の意向のままに」
そうですね。わたくしも雷さんと同じ考えです。
「それじゃあ、孝助とくーちゃんと志穂ちゃんの三人にリングをはめてもらおうと思うんだけど、何か異論はある?」
「「たった今言ったでしょ!」だろーが!」
志穂さんと矢島先生による、同時の抗議。
それに対して異論を続けたのは……
「あー、澪ねえ? やっちゃんにリング全部取り付けて、一人で25キロ以上の合計75キロを出してもらうってのは?」
「それも考えたんだけどねー」
「くおぅるぁあっ! 九龍っ! ミオっ! てめえらなあっ! 話を聞けやぁっ!」
……異論と言いましょうか、それとも奇論と言いましょうか。
「あの、九龍様。各ヒント間の制限時間や距離がどれほどなのか今の所不明ですし、それは得策ではないかと」
「ん~。そういやあ、そうなんだがな……」
「もーっ、なっちゃんてばネタバレ早過ぎ。と、そうそう。志穂ちゃん。屋根の上を飛び回るとかも、できれば控えてね」
確かに澪さんの言う通り。万が一にでも、屋根の上で爆発が起きれば、路上での爆発よりも被害は大きくなっていることでしょう。
「ってえ! だからっ! なんであたしも付けるの前提で話進んでるのよお!」
「そりゃあ、なあ? お前らもこのまま、あちらこちらの爆発騒ぎの中を帰るってのは気分悪いだろうし」
「ぐ……っ。確かに九龍の言う通り。そう、なん、だが。腑に落ちねえなあ、やっぱ」
「ねえ、じゃあさ。ローラーブレードとか、せめて靴にコロコロ仕込むとかはダメ?」
慣性移動ができるのであれば結構楽になりそうですが、その辺はどうなんでしょうね。
「乗り物と見なされて爆発する可能性もあるけどいい? 志穂ちゃんがそれでもいいって言うなら、私も強制はしないけど……」
「……それならいっそ普通に走ります。って雷はどうなのよ。走るのは得意そうだけど」
そうですね。麒麟ですし獣化できますし。
「あの、ですね。乗り物の使用で爆発など、ルールを読み取る限りそのリングは遠隔での操作も可能のようですし、リングが送受信するであろう微弱な電波を、自分が辿るというのはどうでしょう」
なにやら往生際が悪く見える志穂さんですが、それにしても雷さん……上手く躱しましたね。確かに、雷さんであればそういう事は可能かもしれません。他の電波に紛れて見失う可能性の方が遥かに大きいですけれども。
「いいわね、雷ちゃん。とりあえずそれ採用で、雷ちゃんは他のサポートかしら」
あるいは、単独でもリングそのものに作用できるような悪意や思念の類が宿っている可能性もありますが、そうだとすれば、それを看破するのはわたくしの役目でしょう。いずれにしても、今はただのリングにしか見えないわけですけれども。
「う……っ。じゃ、じゃあっ。あたしよりも走るのが得意そうな――そうね、韋駄天の知り合いとかいないの?」
「そうですねえ。そういえば九龍様が以前、自分の足の速さを誇示する為にと、全国を横断しながら食い逃げやピンポンダッシュを繰り返し続けていたという韋駄天もとい韋堕天を捕まえて懲らしめて、迷惑掛けたお宅の草むしりやお店の皿洗いなどの丁稚奉公をさせていましたが……」
「いいわね、それっ! 今すぐそいつを連れて来ればいいじゃない! 24時間走り続けられるような奴らなんでしょ?」
「それが、九龍様に追いかけられた時のことを思い出すともう速くは走れないと。さめざめ嘆いていました」
「何軽くトラウマ植え付けているのよおっ! アンタってヤツわぁっ!」
「人聞きの悪い事を言うな。ちょーっとそいつを捕まえる時に高速で足を動かして、歩きながら追いかけているように見せかけてみただけだ。想像以上に疲れたんで長時間続けるのは無理だったが」
「うわ、その現場想像しただけでも怖っ! 怖すぎだからっ! それっ!」
逆を言いますと、短期決戦なら韋駄天以上の速度は出せるということになるのですよねえ、九龍様は。
「あのさあ。それ以前に、もう少し相手の神経を逆撫でしないような方法で事件の解決に向かえないのかしら。貴方達は」
澪さんが何か呟いていましたが、その提案には多少の無理があるような気がします……
~矢島 孝助の12:00~
事が済んだ暁もとい夕暮れには、ミオの奢りでカツ丼をたらふく食わせてもらうという約束の下、一飯の恩には少々釣り合う気がしないデッドランが始まる。
せめて俺の給料日まで食い放題とかならなあ――にしてもなんでカツ丼限定なのやら、深くは考えないことにしよう。うん。
結局、リングを付けることになった俺と相馬と九龍とが正午直前に走り始めることとなり、四季野と雷は待機ないし目的地に先回りできそうな場合の給水所係で落ち着いた。
その後、町中に響くお昼を告げるチャイムで目を覚ましたかのように、リングには現在の時速やリング全ての合計時速らしき、秒刻みで変動する数字と、次の目的地と制限時間らしき文字とが浮かび上がってくる。
「俺の所は水練岬の制限時間50分か。そっちはどうだ?」
『俺は……鳳徳学園で30分だな』
『あたしは――はえっ?! ちょっと待ってつぅっ! 足つるっ! コレえっ! ねえ、ちょっと速度落としていい?』
そんな、ミオから借りた無線からの九龍と相馬の声。てか何をやってんだ、相馬は。足にリング付けるよりも前にその事態を想定できなかったのか。
『制限速度下の猶予は5秒だっけか。とりあえず3秒で確認すればいいだろ』
『無理ぃっ! この速度から急に止まるとかえぎっ、こむらがえるぅっ!』
『あー、ったく。んじゃ10秒で確認しな。それ以上は知らんからな』
その瞬間、リングの合計時速らしき、80手前をうろついていたはずの数字が99へと跳ね上がり、その状態を維持し続ける。
「うをい九龍! ちょっ、これカンストしてんじゃねーか! 今の時速どんだけだよ!」
『きゅーう、はーち、なーな、ろーく』
「は、な、し、を、聞けやあっ!」
『みっ……見れたわ。日神神社に40分』
『さーん、に――っとそうかい。んじゃ、俺は疲れたんで目的地に間に合う程度に少し速度落とす。その間はお前らでペース上げろ』
そうして99を続けていたはずの数字はまた、80手前へと戻っていき、やがて75を切ろうと――
「って、ちょっと待てや! 俺ただのとばっちり?! なんもしてねーだろーが。てか、新しい目的地が出るたびにこれとか言わねーだろーな、もしや」
とにかく俺自身の時速が30キロになるまでペースを上げ、また80手前の維持に努めたわけだが、正直今のペースはきっついぞ。
相馬の方も同じく30キロだと仮定して、九龍の方は現在時速15キロから20キロって所だろうか。
『うう、なんであたしは足に爆弾を……後悔はあんまり無いけどさあ』
『いーから走れ。志穂、やっちゃん。少しでもスピードを緩めたら、お前らのアレをあいつらにばらすからな』
『…………』
「…………」
『「ガンバッテハシラセテモライマス」』
いや、そうは咄嗟に言ったがな。
アレってどれだあーーーーっ!!
そんでもってだな。
あいつらって誰だあーーーーっ!!
~月神 九龍の12:20~
「ほいよ、とーちゃく。っと。澪ねえ、聞こえるか?」
さてさて、鳳徳学園には余裕で着いたもののここから先は完全にノーヒント状態。
小等部から大学部まで存在するこの広大な敷地内の何処に向かって何をすればいいのやら、それを考える時間も残り10分を切ったばかりなのだが……ふむ。
『流石に速いわね。でも、これからどーうするつもりなの? くーちゃん。残り9分もあるとも、残り9分しかないとも言えるわよ』
「――ま、適当に“視”て回るか。探し出すだけなら5分もあれば足りるだろ」
それから先は……まあ適当にだな。
『いやいやいや、ちょっとちょっとくーちゃん。そこの敷地内を? 5分? いくらなんでもそんな短時間で“見”て回るのは――』
そういえば澪ねえには魔王の右腕はともかく眼の方までは教えたこと無かったんだっけか? まあ、説明するのはめんどいし時間も無いんで後回しだが。
「ん~っと、大の一階から四までチェック。高の一階から三まで……お次は部室棟と……今んとこそれっぽいのは無し」
『ええっと、くーちゃん? なにその歯医者ペースもといハイペース』
「さて、あと残ってるのは小等部と……」
視れば小等部の校庭で遊んでいたらしき子達の中に混じって見覚えしかない、やや斜め上方向へと飛び交う元気っ子オーラ。つまりは雷が仕えているお嬢様の由菜。
『くーちゃーん、途中で黙らないでー。爆弾が作動しちゃったかと思うから』
「ああ。いや、ありゃあ、由菜じゃねーか。休日の学園で何やってんだか。おい、雷!」
『あ――あと40秒で到着します。九龍殿』
「なんだ、雷。もうこっち向かってたのか」
他に校庭に居るのは由菜のクラスメイトらしき子達が四人ほどだが、今はゆっくりと話しこんでる暇は……っと思ったのも束の間。
「ほぇっ?! 浮いたーっじゃなかったー! やほーっ、くーうりゅりゅのわーっ!」
見れば由菜は何やら無機質で異様な黒い箱を持っており、仕方無しに箱ごと由菜を抱えて周囲を走ることにする。
取り残された子達の方からは「え、なに? 誘拐?」とか「わわーっ?! ゆーちゃーん?!」とか聞こえて来るのだが、それを気にしている余裕は無さそうだ。
「とりあえず舌噛まないようにしとけよー。で、由菜。なんだ、その箱は」
「箱? ひ、拾っはーっ」
「拾った? 今、そこでか?」
「ん」
そう、口を小さく結んで大きく首を縦に振る由菜……ああ、やっぱ舌噛んだか。
「九龍殿」
「おっと、ナイスタイミングだ、雷。随分と早かったじゃねーか」
「日に、何度も、出したくない速度ですが」
まあ、そうだろうなあ。由菜の前なのか平静を装っているようでも、それなりに無理をしているらしき様子は伺える。
どうやらある程度の休息を挟まなければ、連続使用は難しいのだろう。
「そんじゃあ、俺は今からこの箱を調べるから、雷は由菜の方を――」
そうしてまた聞こえて来る、子供達の声。
「あーっ! あれっ! 由菜ちゃんのすとーかー!」
「ゆーちゃん逃げ……黒いにーちゃん早く逃げてーっ!」
さて、あの子達の中で話がおかしな方向に向かっている気がしないでもないのだが。
「雷……やっぱ箱の方を頼む。つーか由菜、お前、雷のことクラスメイトになんて説明してんだよ。いつも由菜の後ろを付いて来る獣人とか、そんな感じか?」
「んう? うん」
「そーかそーか。とりあえず今すぐにでも、もう少しだけ丁寧に説明してやろうな」
「あの、九龍殿? 何か」
「いやなに、あの子達の声が聞こえて無いならいいんだ。んで、雷。箱の方はどうだ?」
「それが……微弱な、暗号文のような電波を出し続けるのみで」
「ふ~む」
それならばと、由菜だけを降ろして雷と並走しつつ、腕のリングを雷の持つその箱に近づけてみる。
「それでは由菜様、また後ほど」
「ん~ん~」
そうして手を振る由菜から離れた頃、リング上では制限時間が消えており、代わりに今まで鳳徳学園の文字が表示されていた場所には別のカウントダウンとNEXTの文字。
もちろんこの周辺にそんな名前の地名や建物は存在しないはずだし、計算してみるに、カウントが0になる13時に次の場所を発表するってことだろうか。
「――箱からの電波、完全に沈黙しました。併せて中の仕組みはほぼ停止しているかと」
「なるほど、リングの目的達成は箱一つにつき一回まで。この箱を志穂ややっちゃんのトコへ持ってって使い回す……みてーなのは無理そーだな」
「そのようですね」
にしても、最終目的地とやらへのヒントっぽいのが見当たらないのが気にはなるが。
もしくは、箱の位置や時間そのものに何か意味でもあんのか?
「まあ、とりあえずここでの課題はこれでクリアのようだし、雷、ひとまずその箱は澪ねえの所へ。停止した今なら爆発の危険はないだろ。あとはまあ……なんだ? あんま気を落とすなよ」
「気を? 箱ではなくて、ですか。それと、自分はその後、志穂殿の方へ向かおうかと」
「あ~、そうだな、箱も落とすなよ。んじゃあ、そっちも頼む」
俺は俺で、次の目的地に向かうとするか。
~相馬 志穂の12:30~
「日神神社……やっと……到着」
『おつかれ~、志穂ちゃん』
「志穂殿、お疲れさまです」
そうして、合流した雷と一所に、日神神社の敷地内を適当に駆け抜ける。
「澪ねえどーも。それから先回り御苦労様、雷――ホント、できれば代わってほしかったわ。ホントに」
それでも何やら疲れきってるっぽいけど。
『まあまあ、志穂ちゃん。適材適所』
まあ確かに、休み休みの瞬発高速移動じゃあ今回のルール的には相性が悪いのが問題なのよねえ、残念なことに。
「それで? 雷。さっき九龍と話していた黒い箱っての、ここにもあったの?」
「いえ、まだ見つかってません。が……その前に、ですね。志穂殿」
「ん、何?」
「……そちらを」
そうして、雷は無言であたしが使っている無線を指さす。
どうやら外に聞かれたくないのか、発信を切れって事のようね。
「と、これでいいの? 雷」
「はい……それで、ですね。実は夏羽殿が」
「夏羽? そういえばさっきから無線の会話にも参加してないみたいだけど」
「その……志穂殿が次の目的地を、日神神社の名前を出した瞬間から、夏羽殿を中心に部屋中の秋が逃げ出して、取り残された冬が部屋の隅で凍え震えているような空気になってしまってですね」
「……あ~っと、そうよねえ。それはまあ、そうなるわよねえ」
そこまで気を回すのを忘れていたわ。っていうか、警察相手はもとより日神神社にまで手を出すとか、何気に怖いモノ知らずなのよねえ、この愉快犯は。
その所要で並の爆弾よりも、も~っと厄介な導火線の火がつけられているようなものだし。って、一見火が消えているように見えている状況なのが問題なのかもしれないけど。
「それで、何か助言を頂ければ。と。九龍殿にも尋ねようかと考えたのですが……」
まあ、確かに。ホントそこにも向き不向きがあるわよねえ。
というか、それで全力で逃げるように現場を渡っているのかしら? 雷は。
なんにしても、今の現状では裏方に居るよりもこうして現場で走っている方がよっぽど精神的に楽な気がしないでもないでも……うん、どっちもどっちね。やっぱり。
「まあ、そうねえ、とりあえず注意するなら怒ってるかどうかを聞かないことかしら。今の夏羽の『別に怒ってませんよ』の一声で、その冬が失神しかねないわよ」
「――その助言については、もう十分ほど早く聞きたかったです」
そう、既に言っちゃってたのね。そして澪ねえの方はどうやら今のところその空気には微塵も気付いて無いまま、と。
あ、なんか頭痛と怖気が……なんか今頃、あの会議室の体感気温が下がり続けている様子しか思い浮かばないんだけど。
~四季野 夏羽の12:40~
はぁ……まったく、まったくです。
せっかくの行楽日和も台無しとなり、せっかく足を運んで頂いた方々には失礼ながらも大事を想定して一時的な日神神社の人払いまで手配しなければならなかったという、散々な休日。
署内の会議室。時折、慌ただしく出入りする制服の方々。並ぶ無線機。
『あ、あー。聞こえてる? 澪ねえ、夏羽。とりあえず間に合ったみたいよ。今、雷が例の箱持ってそっちに向かってるわ。それと、雷に確認してもらったんだけど、やっぱりあたしのも次の目的地の表示は無し。代わりにNEXTの文字と13時までのカウントダウン中みたい』
そこへ響く声は、いつもの締め切に追い込まれたような、あるいは追い詰められたような志穂さんの声。
「そう。ひとまず、志穂ちゃんおつかれ~。一つ目の箱の解析結果が来たみたいだけど、やっぱり今朝爆発したのと同様に数m四方は軽く吹き飛ばせる程度に強力みたいねえ。他の情報もすぐに出ると思うわ」
まったく……そのような物騒な代物が仕掛けられていたことに気付かないでいたとは、わたくしもまだまだのようですね。
これは多少なりとも、戒めとするべきなのでしょうか。わたくしにとっても、そしてなにより神罰をも恐れぬ愉快犯にとっての。
会議室の片隅へと追いやられていた、余った机。真っ白だったその机の四隅へと並べるのは、手持ちの呪符達。
そしてそれらから中央へと流れ出し、浮かび上がっては止まる水流によって見立てるものは、この町の全景と一連の流れ。
思案すべきは、一連の現場や経過の法則ないし規則性。あるいはそれらをその場、もしくは最小限の移動で観測できるような場所。
例えば……そうですね、この水練駅前に程近い雑居ビル等は各地を視認するのに向いていそうです。
単純な推測や憶測ではない、今現在有する事実から導き出せる限りの可能性。そしてわたくし達が取れるであろう、事件の解決へ至れそうな手段。
それも犯人による爆弾の操作を考慮するならば、相手を刺激しないよう、追い詰められている、もしくは追い込まれていると感じさせないような方法を取るべきでしょう。
絶望も後悔も、それらはすべての事柄が済んでからか、遠隔による爆発が不可能となったことを確認してから。
九龍様であれば容易に思いつく、あるいはとうに思いついているかもしれないのでしょうけれども……今は嵐の前が如く静観中のようです。で、あれば――
「穏やかには、終わらせられないでしょうねえ。この事件」
「……ねえ? なっちゃん」
「はい、なんでしょうか。澪さん」
「やっぱり、おこなんでしょ?」
いえ、そんなことはないですよ? ええ、本当に。本当ですとも。
~矢島 孝助の12:45~
探せども、探せども見ぬ、黒い箱。酸素が美味いぜ水練岬。
「何~処~じゃ~いっ」
時間に余裕があったおかげでひとまず到着出来たパトカー覆面計5台にそれぞれ乗り込んだ警官刑事達10名弱と一緒に、話に聞く黒い箱とやらを探し始めて数分が経過。
にしても、学園や神社もそうなのだが、岬は岬で範囲があやふやに広いぞ、おい。
そんな中で俺だけが自分の足で走り回らなきゃならんわけだが、まあそれは仕方あるまい。車両搭乗はルール違反のようだし――いや、待てよ。
「もしや……船ならセーフになんじゃね?」
『それじゃあいっそ、船上で走り回ってみたらどうよ? それなら確実にセーフだと思うわよ。こーすけ』
「いやいや。冗談だって、ミオ」
それにしても船。船……黒船? いや、あれはまさか。なあ。
『っと。ねえ、こーすけ。今そっちに居る部下から報告が上がったんだけど……』
「ああ、俺もたった今気付いた。海上になんか浮かんでんな。黒い、箱みたいなもんが。まあ、あそこなら爆発してもたいして影響無さそうだし……って、それだと俺のリングも一緒に爆発するよなあやっぱ」
『ん。湾岸にでも置いてたはずが、満ち潮で沖に流されでもしたんか? さては』
「あーのーよーう。気楽に言ってくれるがなあ、九龍よ。それならそれでこっちはいい迷惑だっつーの」
『行くも地獄、引くも地獄ねえ。どーすんのよ、こーすけ』
「……なあ、九龍。相馬。モノは相談だが」
『おう。がんばれ、やっちゃん』
『期待してるわよ~』
「泳げと?! 時速25キロ維持でか?! この初秋で地味に冷たそうな海中をだぞ?! 無茶苦茶言うなやああああっ!!」
『そんじゃあ、とりあえず泳いでから爆発であったまればいーんじゃね?』
「おい。九龍、おい。適当にも程があるぞ」
なんでこうも俺ばかり……ちきしょーめ。
~月神 九龍の13:00~
さて、そろそろ次の目的地が表示される頃だと思うのだが――まあそれすら無しにどかん、なんてことにはならんだろ。たぶん。
『ふぁ……ふぃぐっ、ふぇーっきしん!』
「お、やっちゃん。服の方はいい加減に乾いてきたか?」
『うあ? おかげさまでなあ。まあ正直、乾いたって言えるかどうかは微妙なとこだが。パリッパリに凍りつか無いだけマシか?』
「うーん、それは残念。まあ、志穂が表示確認する間の時速稼げて、服も乾燥出来て一石二鳥だったな。っと」
そうこうして遊んでいる間にリングのカウントはゼロになり、次の場所とまた新しいカウントが出て来たのだが――
『今、残念つったか? なあ、おいい!』
「次の場所は……水練駅前の銀行、か。制限時間は40分ねえ。ここからなら10分もいらんのだが、まあいいか」
「あたしはその裏手にある宝石時計店。残り時間は50分だけど20分もあれば余裕で到着出来るし、楽勝っぽいわね。それじゃ速度戻すわよ、やっちゃんどーも」
『ああ。俺は……その横手にある雑居ビルの名前だったかなあ、コレは。ってかタイムリミットまで30分。カッツカツじゃねーか』
なるほど、今回指定された地点は今までの3カ所に比べればまだ範囲は限定されているようだ。だが、これは――
「なんっつーか、妙だな」
雑居ビルはともかく、銀行に時計宝石店ともなると下手な騒ぎは大事な場所であり、それだけに爆弾なんかの警戒は常日頃から行っているはずだ。いや、むしろそれが犯人の狙いで、計算に入れてのことだとしたら……
『おーけーい。くーちゃん、志穂ちゃん、それにこーすけ。とりあえず、その場所なら近くに居る同僚達を先に現場へと急行させられるわ。例の黒い箱もすぐに見つけて、皆が着いた時には渡せるはずよ』
「ん? っつーことは、だ。澪ねえ、今の今まで、その3カ所からは不審物や爆発物なんかの通報は無かった。ってことでいいか?」
『あ~っと、そうね。そう言われてみれば、そーいうことになる……の、かしら?』
「ふーむ、そうかい」
そういうことならまあ、一旦黒い箱は向こうに任せといて、現場到着はもう少し遅めでもいいかね。寄る所も出てきたみてーだし。
~四季野 夏羽の13:10~
先の3カ所及び今回の3カ所における総合的な関連性、規則性については、該当地の名前や黒い箱が置かれていたという場所等の要素を考慮しても今の所心当たりは思い浮かばず、最終目的地への手掛かりは無いまま。
辛うじて、位置的に見た場合、先の3カ所が描く細長い三角形の中央付近に今回の3カ所が来ているように見えなくも無い……という具合でしょうか。
今回の3カ所はひとつ所に集中しており、そこから北々西6kmほどの地点には九龍様が向かった鳳徳学園が、そして南々東4kmほどの地点に志穂さんが向かった日神神社があり、南西方面5kmの地点にに矢島先生が向かった水練岬がある形になります。
直線距離であれば志穂さんや矢島先生も早めに到達出来そうですが、お二人は今現在、町の中心下に広がる水練湖を迂回して向かう形となっている為、実際にはほぼ直線の距離で向かえる九龍様が一番近く、志穂さんと矢島先生はもう少し時間がかかっての到着となりそうです。
それにしても、今回の指定にあった雑居ビルは先の3カ所の様子を視認するのにちょうどいい拠点の一つだと予想していたのですけれどねえ。いえ、それは現時点でも変らないと言えますけれども。
仮にそうだとして、そうだったとして、犯人がいまだにその場に留まって居る可能性は皆無であるわけで――
「えーっと、皆聞こえてる? 現場に急行した同僚の一人が、例の黒い箱と一所に今回の爆弾魔からと思わしき声明文を見つけたわ。見つけたんだけど……」
――えっ、澪さん?
『澪ねえ。それホント?!』
『で、ミオ。なんて書いてあったんだ?』
『…………』
少なからず驚きを隠せない志穂さんと矢島先生。九龍様の方はどうなのでしょうか、何も言葉が聞こえてきません。
「箱に貼ってあったのはいたって普通の、市販の付箋。書かれたいた言葉は『退屈』の二文字だけ――どう思う?」
『えっと、そのままの意味なんじゃない? 速度についてはどーにでもなるのがこっちに居るワケだし。箱も順調だし、ねえ。でも、それならそれで犯人は今この瞬間も他の場所に爆弾を置いて回ってるって事になるケド』
「わたくしも色々と考えてみましたが、やはり志穂さんの考えと同様です」
「そうねえ。それならさっきくーちゃんが疑問に思っていた通報無しの説明にもなるし、犯人はそう遠くには行って無いようね」
つまりは現場を移動しながらの犯行ということですか。それはそれで、次なる仕掛け先を予想出来ればいいのでしょうけれど……そう簡単には絞り込めそうにないです。
『5時……いや17時40分55秒――ってとこか。多少のズレはあるだろうが、さてさて何の時間なんだか』
「お? くーちゃん、何か分かったの? もしかして最後の爆弾の手掛かり?」
『さーてなあ、今んとこ見当つかん。ゲームは18時までっつってたから、その時間に作動ないし逆にその時間までに停止させろって意味かもしんねーし』
『いや、ちょっと九龍? それもなんだけどさ、そうことじゃないでしょ。いったい何処から出てきたのよ、その時間帯は』
だんだん疲れが見え隠れし始めた志穂さんの言葉。さて、その時間、当てはまるであろうものですが……なるほど。
「何故、わたくしは先にこちらの形を思い浮かべなかったのでしょうね――最初に指定のあった3カ所から今回の密集地帯への直線、というわけですか」
『あ、っ! そういうこと。秒針は九龍が、長針はあたしが、短針はやっちゃんね』
ええ。確かに少々歪で誤差もありそうですが、それらが地図上で描く形こそが、九龍様の言う5時ないし17時40分55秒。
ですが、これが正解であるのかも、正解であるとしてこの時間が何を意味するのかも、今の時点ではやはり不明です。
~矢島 孝助の13:50~
――コンディション・イエロー。呼吸脈拍その他諸々、正常値より外れ始めているものと推測。視界、聴音クリア。任務継続は十分可能範囲。但し要水分補給、可能であれば塩分も――
って、さっき海水飲んだばかりなはずなんだがなあ。いや、たらふくではないが。それでえー、っと。あー、なんだっけか。
そうそう、さっきすれ違った時に見た限りでは九龍の方はまだまだ余裕がありそうだったが、相馬の方はと言えば少しばかり息が上がりはじめてたようだ。
まあそれは俺も似たようなもんだし、既にフルマラソンの距離は走っているからなあ。
今回は先行してくれていた警官刑事のおかげで黒い箱は探す手間が省けたものの、それでも時速25km前後で走り続けていることに変わりはなく――
次の目的地……は、どういうわけか15時に表示するつもりらしい。明確な目的地が無いままに、あと1時間近く適当に走り続けなきゃならんというのは、我が事ながらなんとも滑稽でしょうがない。
それもまた爆弾魔の思惑通りなのかもしれんが……あんだけ細かいルールを指定して来た奴だ、その上で遠くの地へ逃亡している最中とも考えにくいし、今は何処かで次の爆弾を置いて回っては自作ゲームの成り行きを堪能していることだろう。
何処か。何処か、ねえ。はあ。それにしてもなんだな、さっきから何かが引っ掛かってる気がするんだが。さて、なんだっけか。
謎の指定時間か、黒い箱の存在か、不明な観測地点か、でなければそもそもの元凶であるこのおかしなルールか。
――駄目だな。こういう極限に差しかかってきた状況では余計なことを考えるくらいならば手足を動かす方に集中する。という習慣は、一年かそこらでは抜け切らないらしい。
逆に相馬の方なら色々と動いて回ってる間だろうと考え事もとい妄想の世界に耽るという状況は多々有るとは思うのだが。
~月神 九龍の14:20~
ふーむ。考えられる限りの次の目的地、予想するべき最悪の事態、犯人である爆弾魔についての考察事項はそこそこあるのだが。
『なあ、ミオ。次の爆弾まで余裕はあるし、どっか適当な場所で水分補給したいんだが。できれば塩分も』
「ん? なあ、やっちゃん。ふたつ前の箱の時に海水は飲まなかったのか?」
『飲んだ結果がこれだよ! 察せや!』
『署の前でよければすぐにでも用意できると思うけど……寄れそう? こーすけ』
『そんくらいなら余裕。頼む、ミオ』
ふ~む、それならば。
「あー、澪ねえ。俺の分もよろしく」
『はいはい~。水と一緒にポテトは? お箸とかフォークも付けとく?』
『いらねーよ、塩分っつってもなんでそっち方向にいくんだよ。つーか何処のファーストフードだよコンビニだよっ!』
「叫ぶ元気はあんだな、やっちゃん。と、そうだな……俺も小腹空いたんで走りながらでも食えるやつを適当に」
『よろこんで~。あ、なっちゃん手伝ってくれる?』
どうやら、まだまだ余裕はありそーだし、それらは後回しでもよさそうだ。
『居酒屋か……いや、もういいか。それよりもこのペース維持で間食可能とか、ほんっと余裕だな――ところでよーう、人間の七割から九割が水分で出来てるんだし、水だけ生活でも九割は生きてるって計算になるよな?』
「いやあ、残りの一割にヒトとして大事な部分が詰まっていると思うぞ。やっちゃん」
『ダメなのか? やっぱ九割じゃダメなのかいよぉおおおおおっ!』
事件もそうだが、こっちもこっちで愉快なことになり始めているよーだし。
『ねー九龍? フォークで思いだしたんだけどさ』
「こんどは志穂か。どうした?」
『スプーンとフォークってさ、ある意味幼馴染み的存在じゃない?』
「……は?」
『でね、ナイフとフォークは大人になってからの紳士的なお付き合いをしてて、スプーンとナイフはフォークを通して知り合った仲なんだけど、相性としてはかなり最悪なのよ』
「そーかそーか。志穂、酸素足りてるか?」
『それに関してはあたしも自信無いわねえ』
そろそろ時間的に折り返しに差しかかるというのにこの状況……か。やはり、悪い予測はしておくものだ。
時速25キロの維持、あるいは18時まで走るのどちらか片方だけならまだまだ余裕はあっただろうけれども、両立は辛いらしい。
このままのペースだと18時まで持たない可能性も考慮に入ってくるぞ。おい。
『あーっと。くーちゃん志穂ちゃん、それとこーすけ? もう一度言っておくけどこの無線、一応情報共有で他の同僚も聞くだけ聞ける状況だからね? その辺り、ちゃんと注意してるわよね?』
もちろん、対策手もそれなりに考えてない訳ではないのだが。
『そうそう。相性と言えば、どんな相手とでも相性最悪の凸凹コンビになりそうなキャラ付けでもね、とりあえず刑事物って事にしてしまえば原則単独行動が御法度になるから、カップリング的に唸っ――』
「……っておーい、志穂。ランナーズハイも結構だが、ほどほどにしておくかもう少し後半に取っておけー」
今のうちにトバしすぎでバテられると、少しばかり修正が……というか俺一人で75キロペース維持の大半を担当するという面倒臭いことになる。
『そういえばさあ、澪ねえには相棒とか相方みたいなのっていないの?』
『私に? そうねえ。相方とか急に言われても、ピンとこないわよ。ほんと』
「そうだな。澪ねえはなんだかんだ優秀だから、ノル――手柄が足りない警官刑事から同行を申し込まれる状況がほとんどで、毎回固定の相方ってのは皆無なんだよな、これが」
『なんでくーちゃんそんなことまで知ってるのよ、それと誉めても何も出ないわよ?』
「ちなみに手柄ひとつにつき平均1.63枚の始末書が連帯責任で飛ぶんで、引っ張りだこって程じゃあねーみてーだけどな。まあ、アレだ、最終手段?」
『なるほどなるほ……あ、メモ無かったわ。ねえ、夏羽。余裕あったらあたしの荷物の中からメモ一式と――』
『くーちゃーん?! けなすなら何も出さないわよ?!』
さてさて、次の箱の位置にもよるんだろーけど、ここからどう動くのが一番愉快なことになるのかねえ。
~四季野 夏羽の14:45~
志穂さんが言っていた荷物はすぐに見つかり渡すことが出来たのですが、問題は九龍様の方です。
走りながらでも食べられそうな物――等と言われましても、走る前や後ならともかくそのような状況に最適な食品……とりあえず、食パンでしょうか。曲がり角で何方かとぶつかりそうな気がしないでもないですけれど。
まあ、念を入れておにぎり等も合わせて用意しておいたのですが。
「制限下の猶予5秒をギリギリまで使った上で、結局全部持って行かれましたねえ」
九龍様のことですから、腹痛等の心配は皆無ですが。
それにしても、矢島先生の方は少々遅いようです。何事も無ければ――
いえ、どうやら到着したようなのですが、その手には……半透明の、ビニール傘?。
「っと。わざわざすまんな、四季野。それからこいつはミオに、拾ったと伝えてくれ」
あまりの唐突な出来事と去って行く速度に返事をする間は無く、結局矢島先生は用意しておいた飲み物と傘とを入れ違いに手にとって、そのまま走り去って行きました。
それにしても拾った、ですか。さてさて、どのような意味があるのでしょうね。この傘には。
さっそく澪さんの所へ戻って聞いてみたのですが。
「傘、ねえ。たぶん、前の所で使ってた暗喩じゃ無いかしら。一応『スパイ』って意味でもあったのよ。由来はコウモリ傘からね」
あちらこちらへと飛び回っては、傘下に入るその姿から。ですか。なるほど。
「それで矢島先生は無線で知らせずに直接来たのですね。聞かれないように」
「たぶんそういうことでしょうけど……透明なやつなら未明、未確認情報って暗喩でもあるから、スパイが紛れ込んでいるのが確定とも言えないのよねえ。さ~て、現地のアイツらはどんな手掛かりを掴んでいるのかしら」
~矢島 孝助の14:50~
水分も塩分も取れたことだし、まあまあ楽にはなってきた。が、これでも時間的には折り返し前なんだよなあ……辛い。
給水所もとい警察署前での用は済んだし、あらかじめ切っておいた無線の電源は忘れずに再度入れておく。それにしても、だ。
――原則単独行動が御法度になるから。
だっけか。相馬の奴はそこに気付いて言ってたのかねえ、なんか素っぽいがまあいい。
言われてみれば水練岬に到着したパトカー5台に対して、警官刑事は10名弱。
というか、単独行動をしていた警官が居たような気がするんだが……今となってはそいつが本当に警官だったのかも怪しいな。
あの格好なら現場をうろついてても怪しまれないし、なにかと都合が良さそうだ。単純に情況証拠としては十分な気もしてくる。
まあ現状報告だけしておけば、後のことはミオがよろしくやってくれるだろ。うん。
俺は俺でもうすぐ判明するであろう次の箱に向けて、各地に向かいやすそうな場所に移動しておくとしよう。
~相馬 志穂の15:00~
夏羽からメモと一緒に取ってきてもらった栄養ドリンクで、多少の気力は戻ってきた。
耐性が付いてしまう関係上、あまり多用はしたくなかったのだけれど、そうも言ってられないハーフタイム。午後3時。
3……2……1……来たわね。
「ええっと、水練湾の向こうの灯台ね。残り時間30分。九龍、やっちゃん、悪いわね。まあ減速して居た分、また少しスピード負担するけど」
もといさせられるわけだけど。それにしても、ここからならそこそこ近い場所だし。運が良かったわ。
『ん~と、俺は学園裏山の東屋でいーのか? これは。とりあえず残り40分。やっちゃんはどうだ?』
『こっちは水練町東バスターミナルか。残り50分だし、全然余裕』
「場所として見るのなら、例の時計で言うところの3時もしくは15時50分25秒って感じかしら」
やっちゃんが3時、九龍が50分。そしてあたしが25秒の位置。
『時間的にはもうすぐでもあるし……一応警戒した方がいいわねえ、これは』
今回の3カ所も楽は出来そうだけど、これがあと2~3回続くかもしれないのよねえ。
「ねえ、九龍。まだ犯人の目星とかついてないの? できることなら早いとこ終わらせたいんだけど」
『さーてな。こんなヒントじゃあ、現状皆目見当も付かん。せいぜい手掛かり程度か』
「……そう」
ま、本当でしょうねと聞いた所で九龍のことだし、応えは覆らないし覆さないのは目に見えてるし。貴重な酸素を無駄に消費するワケにもいかないし。
『それで、九龍様? その手掛かりというのはどのような……』
『数字の語呂合わせとか、でなきゃこんな中途半端な時間に相当するものは、そう多くは無いってことだ。例えば、満潮・干潮時刻』
『あ~、そっか。俺の箱が満ち潮で流れていたとして、17時40分55秒なら干潮時刻でもおかしくな――っておい待て、干潮……まさか何処かの官庁のに最後の爆弾が仕掛けてあるとかじゃ――』
そして二つ目三つ目のヒントで詳細な場所が確定……無い話じゃない。
『まあ、俺も最初はそう思って少し調べてみたんだがな、今日の干潮時刻そのものが全然違ってた。やっちゃんの箱の位置がいくらかズレていたと仮定しても、な。それに15時50分25秒との関連性も無さそうだし』
まったく……なんだか心臓に悪い話になってきたわねえ。
~月神 九龍の15:50~
「さて、今回の爆弾巡りも特に目新しいことは無いまま無事に見つかったことだし、あとは次の場所を示すであろう16時もしくは例の15時50分25秒を待つのみとなった訳なのだが……」
『どぉい! 九龍こら何悠長なこと言ってやがる! こちとら回送中のバスの屋根に黒い箱が置いてあったと報告受けぐえっへげっ』
息も絶え絶え。時速も25キロ維持が難しくなっているらしいやっちゃんの呻き声。
今どんな状態なのか見てみたくもあるし、どのような惨状であろうと、追いかけられてホラーな思いをしたであろう運転手には多大なる同情をしておくとしよう。うん。
『こーすけ……うん、どんまい』
「まあ電車の上じゃなかっただけ、まだ有情だと――っと、もう時間か」
これから何が起きるのか、それらを見逃すまいと見渡すは世界を観察し、観測する魔王の眼。
パノラマ写真を連続で、高速で切り続けているかのように、広がっては重なり続ける周囲への認識、確認。
言ってしまえば、放置すれば膨大になるであろう情報の氾濫から必要そうな情報だけを切り抜いて集めては、それを眺めるの繰り返しになるのだが……
過ぎ行く景色の中に映り混むのは、15時50分25秒を表示する時計がいくつか。
この時間に何が起こるのか、そして17時40分55秒との関連性は……
それを考えている間も、考えてみた後も、俺の周囲には何も起こる気配は無かった。
いや、正確にはそれを認識するのが遅れていたとでも言うべきだろうか。
『どあっ!? なっ! ながなな!』
「っと、どーした? やっちゃん。んな愉快な声出して」
『ひゃうひっ!? なんで……なんで締め切りがあっ! なんで締め切りが追ってくるのよおぉっ!』
「今度は志穂か。つーかなんだよ締め切りって。なんでんなもんが追っかけてくんだよ」
しかしまあ、二人とも何かに追いかけられているのは事実らしく、現在の合計時速は少しづつ上がって行く。俺としては速度が落とせて楽なのだが。
『ちょっとこーすけ、一体何が起きてるの? 状況報告っ!』
『ととっ、突撃兵に追われているっ! 装備は旧式の対戦車槍身砲が一丁! 他不明! 目印は赤黒いジャケットにヘルメット!』
「……なんだそりゃ」
旧式な上に対戦車って言うくらいなら、両手使って抱えないといけないような大きさの代物になるだろう。
この警戒体制の町中でそんな派手な色と装備で武装した奴が走り回っていたら、とうのとっくに御用だっただろうし、まるで何処かから沸いて出たような――
「――やっと、おい、ついた」
背後から聞こえてくるか細い声。もちろん無線からではない。
というか、多少は落としているとはいえ、今は時速20キロ程で走り続けているはずなのだが。どういうことやら。
「んで、何か用かい? 俺に追いついて、どうするつもりだった?」
さらに速度を落として、追いついたという何かと並走してみる。
魔王の眼では認識出来なかった、あるいは認識しなかったその何か、もとい誰かさんだが、俺の目には少年のように見えた。
走りながらなので正確には不明だが、俺の3分の2ほどしか無さそうな身長。
林檎みたいな色の帽子に、葡萄っぽい色のシャツ。それから蜜柑のような色のズボン。
「ええっとね……どう、するんだっけ?」
「俺に聞くな、考えて無かったのかよ。その足で追いついてきたことだけは褒めてやらんでも無いが」
まったく、何が起こったんだ? これは。
『来るんじゃねえええっ! 撃つぞ! 今回銃は持って来て無いが撃つぞ貴様あっ!』
『こーなーいーでええっ! あんたは来月でしょおがあぁっ! 原稿は部屋よおぉっ!』
無線からはそんな、なんとも愉快でカオスなBGMが流れ初めていた。
「楽しそうだね、それ」
無理に速度を上げる必要が無くなって余裕が出来たのか、軽快に尋ねる少年の声。
「こいつらのことか? そうだな。おかげで退屈だけはしないですむ」
今はどうなっているのやら、まるで過去のトラウマにでも追われているかのような。
観察に行ってみたい気もするが、今は横に居るこいつと爆弾の両方が相手なわけで。
「そっかあ」
それにしても、こっちはこっちで見れば見るほど微妙なチョイスの服だ。こいつの趣味か、でなければ保護者的な存在の……
「――なるほどな、お前はアレか」
俺か。それも、随分と、昔の。
~四季野 夏羽の16:00~
さて、九龍様達が抱える爆弾に次の目的地が表示される頃合いだとは思うのですが、音に聞く限り今はそれどころじゃ無いご様子。
「……ねえ、なっちゃん。これ、どうなってると思う? 特に志穂ちゃんとこーすけ」
そうですねえ、現状から考えうる仮説はそう多くはありません。その中から有力そうなものを上げるとするならば――
「恐らく、追われているのでしょう。過去、あるいは時間そのものの幻影に」
「あ、あのさ? もうちょっと分かりやすくならない?」
あまり考えたくはありませんが、言ってしまえばこの謎解きそのものが、仕掛けられた罠だったということです。
この町そのものを円に、時計という魔方陣に見立て上げ、さらに15時50分25秒と17時40分55秒という二つの瞬間。
そこへ、その間に起こりうる何かをこちらが強力に意識したことで、おそらくは発動ないし発現のきっかけとしたのでしょう。
ただ、この仮説通りであるならば、効果が及ぶのはその範囲内の僅かな時間。もしくはこの町中だけとなるはずですし、なにより、追跡者である時間は実体を持つこと適わず、物理的にはたいしたことが出来ないと推測するのですが……
「いずれにしても、本当に、本当に手の混んだ嫌がらせです」
「それでくーちゃんの方は? 平気なの?」
『あ~、まあな。無理してでも逃げなきゃならんような相手じゃねーし』
聞こえて来る限りでは心配は無さそうなのですが九龍様の方は今、何に追われているのでしょうか。それが少し気掛かりです。
~月神 九龍の16:10~
見ればいまだ後をついて来る少年に影は無く、手に触れてみようにも。そこには空を切る感覚が伝わるのみ。
「なるほど、確かに実体を持っちゃいないみてーだな」
それが確認出来ただけでもいくらかの余裕は出て来るというものだ。
『こっち来るなって言ってるでしょーっ!』
『ミオぉいっ! なんでもいいから武器っ! 弾薬っ! 交戦許可あぁっ!』
……もっとも、やっちゃんと志穂の方は万が一の事が脳内によぎるのか、確かめる余裕も無く逃げ回ってるみてーだが。
にしても、時限爆弾で物理的に追い詰めるだけでは物足りず、どういう手段か精神的にも追い込もうという算段のつもりらしいが、よりにもよって自分自身ねえ。
確かに、思いつく範囲では厄介な部類ではある。これがお師匠ならたとえ幻影であろうとそもそも逃げるという選択肢自体が無意味無駄級だし。
まあいいか。とりあえず次の目的地は……っと、見てみるもリングに表示さているのはアルファベットのIとV、いや、ローマ数字でⅣだろうか。それから残り39分の表示のみか? なんだこりゃ。
「ねえ、助けに行かないの?」
「ん? ああ、こいつらのことか。そうだなあ……まあ、まだいいだろ。別に」
それよりも次の爆弾が問題だ。リングの意味はわからんが、ヒント抜きにしても場所の見当くらいはつく。
~矢島 孝助の16:20~
死線なら、飽きるほど潜った。吐き出したくなる程に踏み抜いた奴を見てきた。
たった今すれ違ったかのように思い起こさせる一線だってある。
追跡者が何者か――軍に在籍中、最も厄介だった敵であり、最も同胞の命を奪った名も知らぬ突撃兵に酷似しているのだが、ミオ達の予測では奴は実体を持たない可能性が高いと言う話だ。
実際、すれ違う人々の視線は俺には向いても俺の後ろへの注目は皆無であり、更に九龍の方はただの幻影だったとの報告もある。
だが、それを確かめる為だけに奴との距離を縮めて対戦車砲の餌食になるというのはあまりにもリスクが高い。
このままの距離ならば奴が一発でも撃ってくれれば全ては明瞭となり、もしもそれが実弾だったとしてもそれを避けて次弾装填完了までの間にケリをつけられる自信がある。
故に、今は発砲時に対応出来る距離を取りつつ相手との間合いを維持するのが最善。
その結果がお互いに30キロ以上の速度でかれこれ30分以上も走り回り続けることになっても、だ。
そもそも次の目的地だってサッパリ見当がつかない。
リングが示す文字は……カタカナのヨだろうか、そして残りは40分を切っている。
――って俺、ヤバくね? マジで。
~相馬 志穂の16:30~
魔王だの悪魔だの、幻獣に妖精。天使だの神様だのと、そういった奇跡やら災厄やらをこの目で見続け、あるいは実際に触れてきたことで少しだけ覚ったことが、弊害にも満たないような小さな引っ掛かっりが出来た。
本来ならば、それこそお伽話のように遠すぎる世界へ一歩でも足を踏み入れてしまうというその行為には、それらを近くて遠い距離として知覚する為にはやはり、通行料のような代償が伴うのだ。
支払う対価はそれまでの日常、あるいは常識の一部。あるいは大部分。
それを失った上でも、それを失ったからこそ、自負したことがある。
やはり結局の所、あたしはごく普通の一般人なのだと。
それこそ遥か彼方で輝く一等星よりも、身近な豆電球一個の方がよっぽど眩しく見えると言い切れる程度には。
もちろんその二つは本来同列に語るべきではなく、その距離を知る人間にとっては一等星の方が比べるまでも無く偉大なのだろう。
そんなことは先刻承知なのだが、あえて言わせてほしい。
「やっぱり納得行かないものは納得出来ないのよ……」
停まらぬ影のように月のように、ただただあたしを追い続け、締め切りのような焦燥感を植え付け続ける得体の知れない何か。
走ることを止めた瞬間に追いつきそうなそれに対抗する手段は、ごく単純に走ることを止めないだけ。
まったく、なんなのよこれ……
~月神 九龍の16:40~
俺の方は歩くような速度まで落とせたにも拘わらず、リングの合計速度は時速75キロ以上を維持し続けている。どうやらやっちゃんも志穂も相当頑張ってくれているらしい。
……無線の方からはまるで息と魂と声帯とが擦れ、掠れ、削れたかのようなBGMが流れ始めているのだが、まあ気のせいだろう。
「さて、と。少し早いかもしれんが、答え合わせといこうかね」
三順目の位置もまた時計の針に見立てるとするならば四順目の位置は必然的に、二順目と同じか近い位置になってしまうはずだ。
そうして辿り着いたのは二順目の爆弾が置いてあった内の一カ所、この町全体を巻き込んだ事件の中心でもある――宝石時計店。
リングのルールに時限爆弾に、それらが繋ぐ模様、それを利用した過去からの追跡者。
と、この事件が進めば進む毎に浮き出て来るのは、時間という共通の拘わり。
黒幕であるが故に、それを悟られないようあえて被害者のフリをするというのもまあ、ありえん話ではないしな。
つい先刻爆弾騒ぎがあったとは微塵も思えないほど平静を保っている店頭。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
音も無く開いたガラス戸の向こうからそう俺に声を掛けて出迎えたのは、黒いビジネススーツの若い男性だった。
アイスピックのような先の細い精密ドライバーを、ペン回しのように器用に右手で遊ばせながらこちらの様子を観察している。
その対象は――俺と、俺の追跡者。
「少し聞きたい。ついさっきまで、ここで警察沙汰があったと思うんだが」
「ええ、刑事さんが一人。ですがもう、事情聴取を終えて引き上げられました。何やら人手が足りない程に大きな事件を抱えて居るご様子で」
それこそ、二人一組の原則をいったん置いておく程度には。かな、そりゃ。
「まあ、そうだろうなあ……だが、それが聞ければ十分だ。単刀直入に言おうか、最後の爆弾はどこにある? 何故、後ろのこいつが見える?」
ゆっくりと――合計時速75キロをギリギリ維持しながら――広い店内を俺と追跡者の二人で、店員の周囲を歩きながら訪ねる。
「まあ、待ってください。そうですね、あと3秒……2秒……」
「っ!」
さて、どういうつもりだ? 視た限り、何かが起こる予兆は無い。が――
「1秒……0。さて、何かが起きると思いましたか? 冗談です“今は”何も起こりません。ちなみに最後の爆弾はそこに置いてありますので」
店員が手にもったドライバーが指した先には確かに、例の黒い箱がふたつ、いつの間にか置いてあった。
「って、なあ。ひとつ足りなくねーか?」
「ええ、そうですね。ひとつたりないですねえ。くっくっ、困りましたか? 困りましたよねえ」
さて、どういうつもりか。醜く取り合う姿でも堪能したかったんだろーけれど、それは別の奴にしておくべきだったな。
「ん~、そっか。そんじゃあ――雷、聞こえるか? とりあえず、そのふたつはやっちゃんと志穂の所へ持って行ってやってくれ」
そうして数秒も経たずに、何処からか店内の時計を少しだけ狂わせながら、僅かに電気を帯びた風が吹き荒れては通り抜けて黒い箱を持ち去ってゆく。
「後は、頼みます。九龍殿」
「俺はいいから、急げよ。時間が無い」
少し視た限り、どうやら雷の方はもはや声を出すのも億劫な程に疲弊しているらしい。
持って行った後はもう、休ませるしかないだろうな。
「まったくの躊躇無しですか……少しは面白くなってきたと思っていたのですけれど、やはり貴方だけは退屈で退屈でしょうがない」
「あー、なんだ? とりあえず同情しておけばいいのかね? そいつは」
「出来ればそうしてほしいですね。せっかく私が仕掛けた幻影も、追跡ではなく追従させてしまっているようですし」
「…………」
その言葉にもう一人のちっこい俺は小さく身構えるだけで、特に何か動く様子はない。
「そんで? 何が目的だ」
「そう、ですねえ。言ってしまえば、ただの食事でしょうか。時間に囚われ一喜一憂するその姿こそ、我が至上の嗜好品なのですよ。それも私が、この手で作り上げた時計であれば尚、この手で作り上げた時計であるからこそ、私が欲を満たすのです」
だからこそ、あんな手の混んだことをしでかしたって訳か。納得――していいのかね?
「やれやれ。まったく予想してなかったわけじゃねーが……どうやらあんたは時間を司る悪魔の類か、それに魅入られたみてーだな」
そして、その為に作られたであろう悪魔の時計は、この町にあり溢れていた……とも、言い難いだろうな。
おそらくだが、それだけでは満足できなくなり、結果こんな騒ぎを起こしたのだろう。
確かにそこそこ数はあれど、携帯やスマホで事足りる昨今、こいつの手で作られた時計は人の手から離れるようになり、それは日毎にこいつの嗜好とやらを妨げてきたはずだ。
「くっくっ、どうとでも。お好きなように。良いですか? 万里の彼方を見渡しても尚その存在すら確認出来ないものを、人の手で、好き勝手に取り決め、区切り、挙句の果てには勝手にそれらに縛られ、追われているのですよ? これ程に愉快なものは、これ程痛快なものは他にあるでしょうか」
確かに、よくよく考えてみれば困った話なのだが。それ以上に、必要に応じた効率というものはあったわけで。
「そりゃあ、探せばあるんじゃねーのか?」
例えば、そうだな。志穂の同人誌――は、悪魔連中にとっちゃ代用食か非常食みてーなもんだっけか。それでこいつが満足するかどうかは別になるな。
「本当に……退屈ですねえ、貴方は。ですがまあ、せっかくです。まだ18時まで時間はあるわけですし、ボーナスステージ――最後のゲームを始めようではありませんか」
「それに俺は付き合う必要があるのか?」
「ある。と、思いますよ? これから私が賭ける対象は、私が仕掛ける爆弾は私の命である私の糧。私がこれまでに作り上げ、取引の末にこの町中へと流れた時計の全て。というのはどうですか? 面白そうでしょう」
そう言い終えるなり、悪魔はその手に持ったドライバーの先端を壁に掛かっていた時計の一つへと狙いを定め――
「3……2……1……0」
そのカウントが進むほどに時計は大きく振動し、ゼロと同時にスイカ台の火球となって爆発四散した。
「あー、なんだ? 全部の爆弾がこの程度、ってことはねーよな? やっぱ」
「ええ、当然です。この程度の時間では私自身も満足が行きません。やはり、それなりの時間を重ねたものでなくては。それでは、始めましょうか――タイムリミットは18時、残り4444秒程ですね」
その瞬間、店中の時計達が永い眠りから目を覚ましたかのように、小さく、気にも止めないような微細な震動を始めた。
「……ったく。てめえの最後の晩餐にはもったいないくれーだ」
~四季野 夏羽の16:45~
それは突然、この町中に溢れ出したかのような、悪鬼の類、その気配達。
落ち着いて、ひとつづつ、その小さな気配を辿っては、目の前の地図上にその位置を示し続けては澪さんに教えているのですが……
「数、多過ぎです」
一家に一台ないし複数あるとまでは行きませんし言えませんが、それでも、百や二百では済まないような総数の気配が同時に現れたという、この異常事態。
そして、町の中心部にはおびただしい数の群れが居るようなのですが、そちらは九龍様に任せるとしましょう。
わたくしは、今出来得る限りの事を為すだけです。
~矢島 孝助の16:50~
――コンディション・レッド。
「っく、あぎぃ!」
右腕、損壊――いや、そんなはずはない、どう見ても右腕は無傷のはず。だが、この激痛はなんだ? 何故右腕の感覚が無い。
確か俺は……そうだ、膝の痛みで硬直した隙に撃たれた槍身砲を避け切れずに――
いや、何を言っている? アレはただの幻影の可能性が高いとミオ達も言っていた……
「思い込みって、恐いよねえ」
そこで始めて聞く、突撃兵の声。くすくすとした、不気味で躁鬱揺らいだ笑い声。
そうだ、右腕を失ったと思い込むから感覚が無いのだ。俺は無傷だと思え。
――コンディション・グリーン。
「ぐ、ぃぎ。あ」
――コンディション・グリーン。
「無駄じゃないかなあ。もう使い物にならないんじゃないかなあ? だって、直撃だし? よく生きてるよねえ。しぶといねえ」
「だ、まれ……っこの」
――コンディション・レッド。っち、どうしたよ、おい。動かねーか、俺の右腕。
「矢島殿……? あの、一人で一体何を」
「っと、雷か。驚かすな」
一人、一人か。やはり後ろの奴は幻影だ、それさえ確信出来れば……
俺の顔も相当青いとは思うのだが、それにまけじと疲れきったした表情の雷が、その手に二つの黒い箱を持ってやってきた。
その一つが差し出されるのと同じくして、俺は左手を延ばしてリングを近づける。
そうして、残り時間の表示は消え、次の目的地代わりに表示されていた『ヨ』の左側には、追加で『N』と……『D』の文字か?
いや違う、逆だ。これは『ヨ』じゃなくて『E』だったらしく、繋げて『END』と。
「それでは、矢島殿。自分は最後の役目を果たしてきます」
「お? あ、ああ、助かった。お疲れさん」
そうしてまた弾けるように、最後の力を振り絞るように、雷は何処へともなく音を裂いて去って行く。
本当に助かった。どうにか動くようになってくれた右腕で数度、空を握っては開いてを繰り返してみる。
「なあんだ、つまんないの」
幻聴が何か言っているようだが、今までのような恐怖は感じない。な。
「っと、そうだ」
この左腕のリング。もう外しても大丈夫、だよな?
「大丈夫だよ~。油断した所で、外した瞬間にどっかーん! なんてことは絶対に無いから。本当だよ?」
「うおおおぉい! その言い回しは逆に不安要素十分過ぎるだろうがごらあぁっ!」
これは幻聴これは幻聴これは幻聴……というか、なんでまた奴は対戦車砲の装填を開始しているんだ?
とりあえずまたこいつから逃げなきゃならんのか? いや、しかし。だがなあ。
今直ぐにリングを外すのは早計というものだろう。だが、それは、とどのつまり……
「さーって。次は耐えられるかな~?」
「状況がまるで変わってねえええぇぇ!?」
俺はまだ、合計75キロ以上の速度で走り続けなければいけないということになる。
~相馬 志穂の17:00~
「はーっ。助かったわ、雷」
「微力……なが、ら。お力に……なれた、ようで。なにより、です」
どうやらギリギリの所で黒い箱を受け取れたらしく、今、あたしの足のリングには『END』の文字が表示されているだけ。
だけ、なんだけれど……
「念には念を、よねえ」
「志穂、殿? いったい何を」
文字通りの骨折り損でも構わない。あたしは足首から先の間接を外せるだけ外し――
「で、えええぇぇぇいりゃああああっ!!」
残った余力をつぎ込んで空を蹴り上げ、あたしの靴とニーソとリング状の爆弾は高く遠く、大きな弧を描いて打ち上げられた。
その軌道の先で蠢く締め切りをまるごと巻き込みながら、目算3メートル近い高さの、真っ赤な爆炎球を咲かせながら……
さて、と。こっちの方はこれで終わり、かしらね。
九龍の方はどうなっているのかしら。締め切りに追われている間のことは途切れ途切れでしか聞いてなかったけれど。
今、無線から流れて来ている情報はほとんど無く、澪ねえも夏羽もこちらの呼び掛けに答えている暇さえ無さそうな、そんな慌ただしい雰囲気だった。
~月神 九龍の17:10~
現状は補足込みで澪ねえに報告してあるのだが、こいつが時間に追われるという行為そのものを糧にしていると言ってる以上、町中の人達に今の状況を伝えて警告を促す――なんてことはそうそう出来ない。これを知る人間は必要最低限であることが望ましい。
が、その上で過去にこの宝石時計店が売り捌いたであろう商品全部を調べ上げてそれら全てを処理するというのも1時間かそこらでどうにかなるような仕事量じゃないわけで、問題は割りと平積みだ。もしくは山積みだ。
「さて、後3000秒を切りましたね。いいのですか? そんなにのんびりしていて」
「まあ、そう急ぐな」
ならば自称ゲームマスターであるこいつを利用して全ての爆弾をどうにかしたもらったほうがてっとり早いのだろうし、それが適わなくとも、この店には奴の作品の売れ残りが大量に置いてある、いわば火薬庫。
場合によっては俺がこれ全部をどうにかしないといけないのだが……ふーむ。
「ねえ。悪魔さん」
そういえば、まだ居たのか。あるいは今まで事の成り行きの観察に徹していたのか、小さな俺が話に入ってくる。
「なんでしょうか、幻影」
「今この場であんたを倒せば、その爆弾全部が止まったりするの?」
「ただの幻影に何かが出来るとは思えませんが……まあ、もしも仮に私が今この場で首と胴が離れるような事があったとしても、私が絶命するよりも早く、全てのカウントを0まで進めてご覧に入れますよ。不本意ながら」
あくまでも、私欲が優先ってことか。その辺はある程度予想済みなのだが、一瞬で消し炭にした場合も無理だろうかねえ。まあ、それは最後の手段だけどな。疲れるし。
「ふーん。そっかあ」
「それにしても不思議ですねえ。貴方は私の糧の為に、私の欲を満たす為に作り出したはずの作品。それが、何故こうも……」
いや、何故って。そりゃあ、幻影だろうと何だろうと、俺である以上は――
「なあ、小さい俺よ」
「なにかな? でっかい僕」
うん、ありそうだな。簡単な解決方法が。
~月神 九龍? の17:10~
始まりは、一つのローズクオーツ。
それが永い永い悠久の時を過ごす中で自我が芽生え始めた頃、一人の風変わりな――というより悪趣味な時計職人に出会った――
『そう、ですねえ。言ってしまえば、ただの食事でしょうか。時間に囚われ一喜一憂するその姿こそ、我が至上の嗜好品なのですよ。それも私が、この手で作り上げた時計であれば尚、この手で作り上げた時計であるからこそ、私が欲を満たすのです』
『くっくっ、どうとでも。お好きなように。良いですか? 万里の彼方を見渡しても尚その存在すら確認出来ないものを、人の手で、好き勝手に取り決め、区切り、挙句の果てには勝手にそれらに縛られ、追われているのですよ? これ程に愉快なものは、これ程痛快なものは他にあるでしょうか』
やがてその石はその私欲を糧としながら時計職人に取り入り、悪魔への昇華を遂げた。
そうして今はクオーツを通して時計職人の作品へと悪魔の移し身を宿らせながら、少しづつではあったもののこの町そのものへと勢力圏を延ばしていたのだ。
そしてこの身もまた、悪魔の移し身の一つではあるのだが、それと同時に月神 九龍という人間を追う為に作られた幻影――かつての月神 九龍なのだ。
「なあ、小さい俺よ」
「なにかな? でっかい僕」
「出来るか?」
その、でっかい僕からの問いに、何が? とは聞き返さない、たとえ偉そうだろうとなんだろうと、僕は僕。いや、俺は俺だ。
だからその意図はある程度読めるし、言葉を返すとするならば、それは一つ。
「出来るんじゃない? そう信じるなら」
悪魔の方は幻影に出来ることは追いかけ、追い詰めるだけで、他に出来ることは多くはないと思っている。思い込んでいる。
だが、逆にその思い込みから来る身体への影響こそが、幻影が持ちうる特有の武器。
「そうかい、決まりだな」
「そうだね……『龍の鎖よ』」
そしてもう一つ。月神 九龍という人間が持つ固有の武器、あるいは能力――龍の鎖。
やがて俺の両手の各指からはゆらゆらと、合計9本の黒い鎖が、獲物を狙う蛇のようにゆっくり、ゆっくりと伸び始めるのだった。
~月神 九龍の17:15~
「龍の鎖? なんですかね。それは」
そうは言うものの、時の悪魔の方は特に狼狽える様子は無い。
まあ、こいつにしてみれば、小さい俺は味方みたいなものなんだろうけど。
「まあ、簡単に言えば対象を拘束し、封じる能力だな。それも複数の鎖を重ねれば重ねるほどその威力は高まるし、完全に拘束している相手へ更に重ねてしまえば、逆に相手の力を支配することすら可能になる」
これは、時の悪魔への説明であると同時に俺自身への自己暗示でもある。
「なるほど、それはさぞかし便利でしょう」
小さい俺から伸びる全ての鎖全てが、今にも俺を捕らえようとしている。
――信じるのは幻影ではない、俺自身。
「ああ、なかなか便利だぞ。少なくともお前の遥か上位である存在、魔王に至っては8本目の鎖まで耐え切った」
だからこそ、俺は9本目の鎖で魔王の眼、あるいは魔王の右腕の力を支配し、今までそれらを使役してきたのだから。
「なん、ですと?!」
「さーって、あんたは何本目まで耐えられるかねえ。せいぜい2本か、良くて3本か?」
その瞬間、黒い鎖達は反転し、時の悪魔を捕らえだす。
「……っ! ぐうぇっ!」
時の悪魔が身を躱すよりも早く1本目が、そして動きを鈍らせたところで2本目、3本目と続き、4本目に捕らわれる頃には指の1本も動かせなくなっていたようだ。
「ねー、でっかい俺」
「なんだ? 小さい俺」
「あっけなかったね。以外と」
「ま、しゃーないだろ。そりゃ。こんなのには本気を出す価値すら無いし。それよりも、だ、しっかりと押さえつけとけよ。そいつ」
「ちゃんとやってるよ。それにカウントだって1億秒くらい増やしてる途中だし」
「そうかい。なら簡単には0に戻せんな」
とは言え、自己暗示も楽じゃなし、さっさと終わらせるとするか。
「ねー、でっかい俺」
「だからなんだ? 小さい俺」
「とりあえず、バイバイ」
「……ああ。そうだな」
俺は、俺自身の龍の鎖の1本を解放する。
そして、使役するは魔王の右腕。
その振り下ろす先には――時の悪魔。
~矢島 孝助の17:30~
気が付けばあの突撃兵は消えており、俺はただただ、ひとりで走り続けてるだけになっていた。
『おーい、やっちゃーん? 生きてるか? 返事なきゃこのまま死亡認定しちま――』
そうして、どうやらずっと俺を呼び続けていたらしい九龍の憎らしい声。
「待て、殺すな。俺、まだ生きてる。つーかもう終わってた、のか?」
『一応、な。全ての元凶である時の悪魔と、その移し身達の消滅は確認。そしてその力の影響を受けていた時計は今現在夏羽と澪ねえとで出来る限り回収している最中だ』
「そうか……悪魔? 悪魔だと? そんな話になっていたのか? ――いや、まあある意味いつものことだが。そんじゃあこのリングももう外していいよな? いいんだよな?」
『いやあ、それがなあ。悪魔の力は消えても機械的な仕組みはそのままだ。早い話、そのリングはまだ外しても制限時速下でも18時になっても爆発する』
「……マジか」
『マジだ』
『あとそうねえ。外したら1秒と経たずに爆発するみたいだから、それだけ注意かしら』
いや、相馬よ。軽く言ってるがそんなにも猶予が無いのか?
「てかお前らちょっと待て、それはつまり、俺にどうしろと?」
『普通に耐えたらどうだ?』
『あたしは間接をパキッと外してからリング飛ばしたわよ? ちょっとコツが要るけど。どうせ半日も固定しておけばくっつくし』
いや、志穂、お前。パキッ、は間接を外す音じゃない、それを外すとは呼ばない。
そしてそのコツとやらは軍人でもそうそう身につけねえし、つーか普通は半日じゃくっつかねえから。
「そうか、九龍、志穂。よーっくわかった。だがしかし、俺にはとても出来そうにない」
それじゃあ、どうするか。
――どうするよ。俺。
いや、いやいやいや。
~月神 九龍の18:00~
「さて。そんじゃあ、やっちゃん。爆発まで後数秒なワケだが、何か言い残すことは?」
『ああ……そうだな。俺が毎回悲惨な目に遭うのは、どう考えてもお前らわがらぼへっ』
『――――』
『――――』
『――――』
やーれやれ、何を言い残すのかと思えば。やっちゃんが毎回愉快な事になるのは――
「――やっちゃんだから、だろーに」
おしまい