ツンデレ少女と黒い玉 後編
◇◆◇第三部・解決編◇◆◇
さて、意外な形で有力な手掛かりは掴んだものの、これが直接的な解答かと聞かれたところで、そうとは言い難い。
そもそも、宝玉を持っていることと消息不明になることの二つを結び付けるには、少しばかり不安要素がある。
しかしまあ、俺が次に取るべき行動と言えば、そのタナシンこと田中……ええっと、なんだっけ? まあいいか――を、探しつつ澪ねえにそいつの特長を伝えるくらいだ。
『名字は田中、慎重は170台の中肉中背。最後に確認した姿は鳳徳学園高等部制服で、くーちゃん達が探してる黒い石を所持。犬と数学が苦手……以上でいいの?』
「ああ。それじゃあ、まあそういうわけだから、澪ねえ」
『了解、くーちゃん。つまりは家にも帰らないような悪い子を探し出せばいいんでしょ? 私達の得意分野じゃない、それ』
あ~。まあ、確かに俺達よりかは捜し慣れてるというか、勘が働きやすそうなんだが。
「ところで澪ねえ。ちょーっと聞きたいんだが、今、私“達”って言ったか?」
『えっ。あ、あれ? あ、はは……っ。それじゃ私は勤務に戻るねっ!』
そう澪ねえは言い残し、やがて携帯からはエリーゼの為にが流れ始める――っていやいやいや、通話が切れずに保留音。って、動揺してるのが見え見えだな。おい。
まさかとは思うが、あの紛失届が朝になって他の誰かに見られたとか、事態を知った署のお偉いさんが部課総動員させてポイント稼ぎに躍起になってるとかしてねーよなあ。いくらなんでも。
何というかまた一つ、厄介事が増えたような予感がしないでもないのだが……
「――ま、いいか。探すにしても捜すにしても、術者や宝玉の魔力を感知できない以上は人海戦術しかねーしな。やっぱ」
そんなことを考えながら、とりあえずこっちから通話を切る。
「なに? どうしたっていうのよ。九龍」
「いや、何も問題ねーよ。今のところはな」
昼休みも終わり5時限目の休み時間。澪ねえの方には連絡を入れて情報を渡し終えたことだし、あとは放課後にでもじっくりと、宝玉を探しに行けばといった所か。
「う~ん。ねえ九龍。今更なんだけど、さ。こんなにゆっくりしてていいの? この学園に宝玉が無いのは……」
「ほぼ確定だからもうここに用は無い。ってわけでもねーんだろ? お前の場合」
「そっ、そうなんだけどさあ。私もどうすればいいのかわかんなくなっちゃって……」
「あのなあ、俺はただお前の望み二つを両立させる方法を取っただけ。どっちをどれだけ優先させるか、最終的な決定権を持ってるのはお前自身なんだぞ。一応、だけどな」
「う~ん。そう言われるとますます……ううん、別に九龍に責任を押し付けたいわけじゃないわよ。でもね、ええっと――」
「はいはい、まあいいさ。どうせ次の授業は無いも同然だし、実質、今日の課程は終わったようなもんだろ」
そう。次の授業やっちゃんの科目であり、何を隠そうこの時間は『睡魔の6時限目』として生徒の間で恐れられて――
「ほほう。その本人を目の前にその言い草、随分と言い度胸だなぁ。九龍よお」
「お? なんだやっちゃん。居たのか。つーか復活してたのか」
「何を言うか腹ならまだ痛ぇーんだよそして居たのかじゃねーよチャイムはとっくに鳴ったんだよ何時まで休み時間気分でいるんだよ頼むから教師の威厳くらい保たせてくれや」
お、おおう。なんか予め用意していたかのような連続ツッコミだな。しかし、
「んなこと言ったって、この惨状じゃなあ。なあ? 留香奈」
「確かに過半数の生徒に加えて、その担任もがまな板の上の魚のような目をしているわねえ。大丈夫なの? イロイロと」
「んぎぎぎ……返す言葉もない――ああ、それよりもオイ、九龍」
「ん、なんだ? やっちゃん」
「ついさっきになっちまったが、この学園における日神 留香奈女史の正式な編入手続きは全て終わらせておいた――もちろんお前と同じく、日神・月神の特権無しで、な」
「あ~、そっか。しっかし案外早かったな」
もっとも、タイミングとしては悪くない方ではあるのだが。
「あと、すまんが俺はものすごーく腹が痛いのでこの時間は自習とする。そういう訳だから四季野、ホームルームも任せることになると思うんで後はよろしくな」
「え? あっ、はい……了解しました」
ふむ、なるほど。やっちゃんにしては気がきいてるじゃねーか。
「ってことで、どうするよ? 留香奈。別に授業をサボっても何の支障も無くなったぞ」
「ええっと……ゴメン、どういう意味? 正式な編入手続きってどういうことよ?」
「言わんとわからんか? 要するに今のお前は“日神という特別扱いを抜きに、何時でもここに来ていい生徒になった”って事だ。俺みたいに、な」
「な、え? じゃあ――そう、そうこと……ならいい、のよね? せっかくだし、むしろ授業サボるのも経験してみたいかも」
「いや、だからせめて、そういう会話は俺の聞いてない所でしてくれや……頼むから」
何か戯言をつぶやきつつトボトボと、まるで解雇を言い渡されたサラリーマンのような背中を見せてやっちゃんは教室を後にする。
残された生徒はというと既に雑談タイムに突入しつつあり、まともに自習をしようかという生徒は極めて希であるのだが、
「ええっと……それでは、やはり何処かへ行くのですね? 九龍様も、留香奈様も」
その希な生徒の一人である夏羽が、ようやく会話に入れたといった雰囲気で話しかけてくる。って、そんな風だったか? 俺ら。
「ごめんね、なっちゃ――なっつん――なつなつ――夏羽。ちょっとボヤ用で」
「待て、留香奈。躊躇して結局一周しながら戻るくらいなら無理にあだ名で呼ぼうとするな。あと、それを言うなら“ヤボ”用だ。なんだよボヤって、やじ馬かよ俺らは」
「え? あ、そうなの? あ、はは……」
なんっつーか、無駄にテンパりすぎだぞ、お前。もう少し気楽にいけないのかねえ。
「だっ、大丈夫です、留香奈様。さっきの会話も含めて、わたくしは聞かなかったことにしますから」
「うん……ありがと。じゃあね、みんな。また来るから。たぶん、きっと。絶対」
「――ったく。そんじゃ、行くぞ――ルカ」
「る……か。ふ~ん、なるほど。いいわね、それ。採用! うん。るか……ルカ」
そうして俺は学園を後にし、ルカもその呼び名を何度か声に出さず口にしてから、俺の後に続くのであった。
つーか、流石にルカは安直すぎた……か?
~~~
町中を進みつつ、改めて携帯で澪ねえと連絡を取り合いながら、まだ探してなさそうな場所を絞り込む。
「ふ~ん。じゃあ、あと残ってるのは町の北西と東側ってとこか」
一人で、しかもこの短時間では無理そうなほど広範囲の捜索が終わっていることと、さっきからパトカーを何台も見かけるような気がすることについては、この際スルーだ。
『そうね……この辺りは巡回ルートからも外れてたから後回しにしようと思ってたのよ』
「了解。んじゃあ、なんか進展あったら連絡よろしく」
『はいはーい』
と、携帯を切り現在の時間を確認する。学園の方はもうすぐホームルームに差しかかる頃だろうか。
夏羽に現在の様子を聞くのはもう少し後の方が良さそうだな。
「っつー訳でどうするよ、ルカ。手が回ってないのは残り二か所。こっから二手に分かれるか?」
「あんまり現実的じゃないわね。宝玉が一カ所に留まってる可能性は低いし、私もこの町の地理には詳しくないし、アンタと居ることにするわ。それに連絡手段も無いでしょ」
「そうかい。ってそういやお前、携帯は持ってないのか?」
「無いわよ。あそこじゃ必要なかったし……まあ、個人的な連絡手段は欲しいけど」
なるほど。無いなら無いで不便かもだが、今から手に入れるにしても、やっぱり日神の名前出さないとだしなあ――ん、待てよ?
「デザインや性能にこだわらねーなら、ちょうどよさげなのがあったな。確か」
「えっ、ホントに?」
「まあな。お前、いくらか手持ちは――いややっぱいい。そういやあったな、お前には」
昼休み中の購買での話になるが、コイツはあろうことか店ごと買い占められそうな大金を財布から取り出していたのだ。アレはアレで、後に語り草になりそうな事件である。
「う~。こ、今度はちゃんと自重するわよ」
ああ、そうだな。ぜひともそうしてくれ。
「で、何を買いに行くつもりなのよ。衛星通信型トランシーバー?」
「あ~、そういう手も――いやいやいや、もうちょい簡単な方法があるから」
一応実現可能な範囲だけに、一瞬納得しそうになっちまった。
「あれ? 違うの?」
「プリペイド携帯だよ。手続き無し料金前払いのな。先に言っとくが、ある程度の上限が決まってるはずだからこの先一生分を先払いするような真似は――」
「だからしないってばっ!」
~~~
「やっほー、夏羽。そっちの調子はどう? そ、私。番号は九龍に聞いたわ。うん、それでね――」
念願だったのかどうかは知らないが、ひとまず携帯を手に入れてごきげんなルカをよそに、俺はというと思案すべきことがあった。
そもそも、発端でもあるあの手紙には俺宛の名前のみが書いてあり、加えて宝玉を持って来いとの指示が書いてあった。
そして逆に、それを持って来たルカは式の宝玉のことをほとんど知らずにいるどころか別件をこなす余裕すらある。宝玉のことを説明する時間が無かったってのはないだろう。
式の宝玉を回収するようにルカに命じておきながら、それと同時に俺個人に対しても持って来るように指示を出す。その意味や意図が、推測できないわけではない。
ルカに外の世界を見せてやるのが本筋だというのならそれでもいいのだが、それなら俺宛てに名指しで式の宝玉を持ってこい、と書いた理由が不明となる。
何故ならば、次に行き着くのは『それは本来、ルカの役目ではないのか?』という疑問に繋がるからだ。
留香奈自身も宝玉を見つけた後は自身の手で日神家の所へ持ち帰る気でいるわけだし、それならばあの手紙は『宝玉を探し出せ』もしくは『探して留香奈に渡せ』となるはず。
それはつまり、今回の件でルカは式の宝玉を持ち帰れないか、そうなる可能性があるということを示しているのだろう。
実はルカには適当な事を……いや、本当の事も言ってはあるのだが、教えるべきかどうかを迷っていることが一つあるのだ。
確かに式の宝玉の“式”には術式的な意味合いを含んではいるのだが、それ以外にも式にはもう一つ――いわゆる式神なんかの式のような、従者的意味合いがある。
例えば月神の連中や四季野の人間のように日神に従う人間は、言い方を変えれば“日神の式”とも表現出来る。
つまりは誰かしらを従わせるような、そういった側面もあの宝玉は持ち合わせており、それは宝玉に最も近しい――つまりそれを手にした人間にこそ表れる。
だからこそ、誰かを従わせるような器量を持ち合わせてない者が式の宝玉を持ったとしても、場合によっては“宝玉の式”と化し、その意識を乗っ取られて暴走してしまう。
それが、いわゆるあの宝玉に備え付けられた安全装置。確かに”あの宝玉は誰にでも使える代物だが、その持ち主が正常な精神状態でいられるとは限らない”のだ。
確固たる意志を持って宝玉を従えるか、それとも逆に宝玉に従うか。道は二つに一つであり、そして宝玉従い、一度暴走した宝玉を止める手もまた、二つに一つ。
宝玉の使用者の死亡もしくは宝玉の破壊。
ちなみに宝玉を破壊した場合の被害はルカに説明した通りであり、もし半径1km圏内が跡形も無く吹き飛ぶことになるのならば、いずれにしても使用者が助かる方法は皆無ということになる。
俺は実物を一度目にしているわけだし、宝玉を手にしたとしても暴走なんぞしない自信はある。なにせ同等クラスの危険物が目下、俺の意識下にあるわけだしな。
が、問題は……そう。誰かを従わせるどころか、俺の舎弟を名乗りたがる人間がそんな宝玉を持っているかもしれないということともう一つ。もしもルカが――
「――ゅう! 九龍ってば!」
「お。なんだ、ルカ。もう夏羽との話は終わったのか」
「とっくにね。ていうか、どうしちゃったのよアンタ。寝てる時の方がよっぽど周囲に注意がいってるんじゃない?」
見上げればそこには、なんとも不機嫌そうなルカの顔。
「お前なあ……まあいいか。それよりも、本格的に探し始めるとするか」
「そうね。それじゃ――あっ!」
携帯をポーチに入れようとしたルカが一瞬戸惑い、入れ替わりに何かを出す。
それは、文字通りの意味で夏羽の切り札でもある“水の呪符”だった。
「ってちょっと待て、なんでお前がそんなもん持ってんだよ」
「ええっと、その……イロイロあって、ちょっと返すの忘れちゃってたのよ。後でちゃんと謝らないと」
「それはいいが、夏羽ならきっと『気にしないでください』って言って済ますと思うぞ」
「う~ん、そうなのよねえ。今日一日でいろんな人と知り合ったけど、なーんか、夏羽だけが私から一歩引いてるというか……」
「そりゃあ、一応は主従関係に当たるわけだからな。そこはしょうがないっちゃあ、しょうがないだろ」
「え~? 私はそんなの気にしないのに。いや、アンタみたいになられても困るけど」
「それは置いとくとしてもだな……とりあえずは心構えだけでもいいから、お前は幾多の人間を従わせられる立場にあるって事だけは意識してろ。でないと宝玉を見つけても――あ~、いや、なんでもない」
「えっ? でないとなんなのよ。ちょっと、気になるじゃない! 怖いじゃない!」
もしやとは思うが、師匠は式の宝玉が持つ力を利用してルカの、日神としての素質や覚悟を試そうと……いや、まさか。な。それじゃあ下手をすればルカの命だけでなく、いろんなモノが危険に晒される。
そして、その上で俺個人宛てに『式の宝玉を探してこい』と命令したのならば、最悪の事態になった時にそれを遂行する手は二つではなく一つしかない。
しかしまあ、師匠の考えはいつだって俺の斜め上を行くはずだ。だが、万が一俺の想像通りなら、そんな事になる可能性を見越してのあの手紙なら、その時は――
本気で恨むからな、師匠。
~~~
「さて、と。ちょいと時間は掛かっちまったが、これで町は一回りした事になるな」
夕暮れ過ぎ、町並みにネオンの明かりが灯り始める時間帯。
「……そうね」
いい感じに疲労感と空腹感が積もりだし、あちらこちらから俺達の鼻に届く夕食の匂いが、なんともそれらを意識させる。
「こうなると、宝玉が町の外に持ち出された可能性も視野に入れとくべきだろうなあ」
もしそれが確定なら、出来るだけ早めに手は打ちたい。さすがに捜索範囲が広すぎて俺達だけの手で探すのは難しいし、澪ねえだって町の外は管轄外だ。
「……そうね」
「後手に回ったら回ったで厄介な事になるのは目に見えてるわけだし――って、ルカ?」
「……そうね」
考え事か悩み事かその両方か、ルカは複雑そうな顔で俺の後についてきていた。
「おーい、るっかな~ん」
「……そう――れは止めなさいって言ってるでしょっ!」
「や~っとまともに反応したか。んで? どうしたよ。あまりにも普段引きこもり過ぎたせいでもう疲れが出たのか?」
「違うわよっ! そんなワケないでしょっ! ただちょっと……ね」
続きの言葉を待つも、どういうわけかルカはその先を続ける様子は無い。
そうしてただ時間のみが少しづつ過ぎて行くのだが、その積み重ねがなんとも気分を圧迫してくる。
「あ~、ルカ? そろそろ何か話してもらわんと、さすがに間がもたんのだが」
「ん……っ。やっぱりそうそう上手くはいかないわよね」
「うん? そりゃあ、まあ。なんでもかんでも思い通りにいくなら、誰だって苦労なんざしないさ。それで何を悩む」
「だから、ね。もうすこしだけ、この思い通りに行かないままにならないかな~、って。本当、嫌な希望的観測だけど」
「う~、ん? なんじゃそりゃ」
「このまま宝玉が見つからなくて、今日のところは――そうね、夏羽のお世話になって、また明日、学園に通って、放課後になったら宝玉を探して……」
「ほほう。そいつはまた、随分と賑やかな日々になりそうだ」
「ううん、ずっととは言わないわ。ただほんの2・3日でいい。そうならないかな~、なんて考えが浮かんだ自分がなんだか……ね」
「ったく。ネガティブなんだかポジティブなんだか、弱気なんだかたくましいんだか」
妥当な言葉があったような気もするが、さて、なんだったっけか。
「――あのね。私がここに飛ばされてくる直前、当主様に妙な質問をされたのよ」
「うん? 急にどうしたよ、ルカ」
「いいから聞いて。当主様の質問はこうだったわ『俺の掌に二つの饅頭がある。一つは粒餡。もう一つはこし餡だ。さて、もしどちらかを選ばなきゃいけなくなった時。お前は、どちらを選ぶ?』ってね」
「またそれか」
あの時もそうだったが、いったい何がやりたいんだ、お師匠は。
「コレ、九龍はどう思――え。あ、また?」
「あ~、いや、なんでもない。それで? 結局お前はなんて答えたんだ」
「ええっと、そのぅ。半分づつください的な回答を……ね?」
――その時、ほんの一瞬だけ時間が止まったような気がしたのは、単なる錯覚だと思いたい。思わせてくれ。
「ルカ、お前なあ……最初に提示された“どちらか”ってルールはどうしたよ」
「しょっ、しょうがないじゃない! いきなりでビックリしたんだからっ」
ふむ、なるほどな。その気持ちはわからんでもない。が――
「しかしまあ、お前らしい答えではあるな」
「そう、なのよね。結局はそれが私なのよ。日神のルールにも従わず、何かを選ぶこともなく、中途半端に両者を欲しがる。で、そのツケがコレだっていうんだからホント――」
「おおっと、その先はまだ口に出すなよ。そいつを選んでしまった過程はまあ置くとしても、その結論に至るのは感心しないし、いわゆる早計ってやつだ」
だってそうだろう? この事件はまだ終わっちゃいないんだから。
「あ……そう、よね」
「よ~し、せっかくだ。俺が以前、師匠に言われた言葉を教えておいてやる」
『無理だ、できないと言う事は簡単だが、その前に考えるんだ。
もしそれできなければ、さらに考えろ。それでも無理ならまたさらに考える。
そうして考えて考えて、考え尽くして初めて、できないという言葉を口にしろ。
目指す事はできなかったかもしれないが、その代わりに別のモノを手に入れることができるはずだ』
「ねえ、九龍。それって……どういう意味? 別のモノって?」
「さ~てね。そのまんまかもしれねーし、それが何かも俺は言わん――俺だって同じこと聞いて教えてもらえなかったしな――それこそ、お前自身で考えろってことだ。ルカ」
まあ、俺自身もこの言葉の意味するところ全てを理解してるのか、それともまだほんの一部なのかは不明だし、今、ルカに言える最適な答えなんてのも持ち合わせてない。
とにかく、今のルカにはその“別の何か”が必要で、それを見つけないと――見つけてもらわないと困ることになると、そんな気がしてしょうがなかった。
~~~
PiRiRiRiRiRiRi!
――鳴り響く俺の携帯に、澪ねえの名前。
動きがあったか、それとも中間報告か。とりあえずは出てみることにする。
「もしもーし」
『あ、くーちゃん? それっぽい子と、それっぽいモノ、見つかったわよ』
「おっ、それで? 今何処だ? そいつの様子は?」
『それがねえ。なんかちょ~っと挙動がおかしいかったから、監視体制取って様子を――って、あ~っ! なにやってんのよあのバカども~っ!』
一応小声ではあるものの、携帯越しに澪ねえが怒ってるのが伝わる。
「なあ、澪ねえ。まさかとは思うが……」
『ちょちょっ。そんな無理に車に乗せようとして……も~っ、ホラ、暴れだしたじゃないの。それじゃまるで拉致監――はぇ?』
呆気に取られる澪ねえの声。
それと同時に背後から響く謎の爆発音。
そしてワンテンポ遅れて受話器から聞こえる、大音量のノイズ――
振り返れば白く細長い煙が立ち込めてるのが見て取れ、どうやら規模は広範囲というよりも局地的なモノらしい。
「ねえ、九龍。アレ……って」
だが、たとえそうであったとしても、俺の中でも、同じ煙を見上げるルカの表情にも、不安はよぎる。
『――っちゃ~。ごめん、くーちゃん。あとお願い! 私は皆の避難と周囲の封鎖に回るから!』
「ああ、こっちもそのつもりだ。あと、それなら現場を中心に1km、最低でも800mは離れててくれ」
それ以内だと、最悪の事態になった時に巻き添えを食わせることになる。
『了解っ! じゃねっ。無茶はめーよ!』
と、そんな澪ねえの言葉を残して、携帯は無機質な電子音をループで流し始めた。
「さーて……行くぞ、ルカ」
その携帯をポケットにしまって、兎にも角にも俺達は薄暗い空へと上る煙を目印に、駆け出していく。
日は既に落ち、夜の風が吹き抜けていた。
~~~
「しっかし、なんだ? 酷い有り様になっているとは思ってたが、予想の斜め上だな、こりゃ」
澪ねえからの連絡が途絶えてものの数分、路上を封鎖していた警官を互いにスルーして駆けつけた廃工場跡地。そこで俺達が見た物はというと――
燃え尽きて炭と化した工場の壁。
溶けて流れ出す最中のガラス窓。
枝が生え若葉を芽吹かせた木材。
一部分が金属化したラバー素材。
泥沼と融解しあう工場内の鉄屑。
これが探し物の仕業でなかければ、一体なんだというのだろうか……
「何よ、コレ……本当になんでもアリじゃないの」
だよなあ。ルカの言う通り、まさにその表現がピッタリの状況だ。
なんと言っても、ここで起きてる現象に一過性という物が感じられ無い。
とりあえず現世に存在するしないにかかわらず、ありったけの術を適当に暴発させてるといった感じだろうか。
不幸中の幸いと言えば、規模はどれもこれもが狭いもので、むしろ警戒すべきは……
「使ってくる術の多様性、だろうな。威力は下級レベルかもしれんが、それでも何が飛び出すか分かったもんじゃない」
「それくらい見れば分かるわ。それよりも、この惨状を招いた本人は何処よ?」
「さぁ――な、っ! あん中だ!」
会話中に地鳴りを上げて、廃工場の屋根を突き破って吹き出した間欠泉。
一瞬だけ見えた煙突のような水柱を頼りにその建物の下へと、警戒しつつ近づく。
一応は入り口らしき大扉の前にたどり着いたものの、壁に空いた大穴のせいでその役目を失っているようだ。
「居たっ。ねえ、あの人がタナなんとか?」
「あ~、たぶんな」
俺と同じ制服に、見覚えるほどでもない、たいした特徴も無い顔立ち。
そしてその手には、ただ黒いというだけで見た目は普通な丸っこい石。
「……ぁ。ぇ……」
「ねえ、あの人。何かぶつぶつ言ってるようだけど」
「ん~、と。口の動きから察するに『嫌だ』『違う』『分からない』の繰り返しだな」
「読唇術に驚く気は無いけど、何よそれ」
「さあな。とりあえずはなんとか……っ!」
言い終わらないうちに黒い玉は鈍く赤い光を放ち出し、それは一筋の炎となって俺達の横数m先を通り過ぎて行く。
「あ~ららら、何処を狙ってるのかしら。それともまだこっちに気付いてない?」
「かもな。あと、いくら術を使えるようになったって言っても、結局そのコントロールは素人レベル――ってか、次弾来るぞ!」
そうして光は赤から茶へと変化し、撃ち出されたのは狙いも何も関係無い、大扇状に地を這う土石流の波。
その高さ50cmも無い津波は軽く跳び越えて、やり過ごした後に散らばる泥だらけのコンクリート上に降り立つ。
ルカの方はというと、風撃による一点突風で津波を裂いてやり過ごしており、その後方は扇状ながら平らなままで済んでいた。
「ホント不思議よね……あの宝玉からもその持ち主からもほとんど魔力を感じないのに、こんな多種類の術を使えるなんて。この目で見てもまだ信じられないわ」
「だが、今そこにある。それが現実だ」
「そうね――って言いたいトコだけど、さ。ちょっ~と気にならない?」
続いて青い光を放ち出した宝玉からは鉄砲水が打ち出され、狙いの外れたそれに対して特に動くわけでもなくルカとの会話は続く。
「んで、何がだ?」
「あの宝玉、魔力が無いんじゃなくて魔力を感知できない仕組みを持っているような気がするのよ。何か、深い所まで踏み込めないような、そんな雰囲気じゃない?」
確かに、術を撃ち終わって一旦光るのをやめた宝玉のその黒い色は、その中身を覗かせない卵の殻のような存在とも見て取れる。
「う~ん、いわゆるブラックボックスならぬブラックボールってとこか」
仮説を立てるとすれば、あの殻にはそういった感知防止兼安全装置の役目があり、そして中身に肝心の魔力供給や放出の仕組み――つまりは術式が組み込まれていると考えるのが妥当だろう。
そうして宝玉を観察しているうちに、今度は緑色の光が浮かび上がる。
「ちょっ! 次は何が来るっていうのよ?」
警戒はしたものの、宝玉から目に見えて何かが撃ち出される気配は無い。
「今までの傾向からして、宝玉が出す光の色と術の系統は連動していた。つまり緑から連想される術っつーと、風か――」
それを予想するよりも先に、その正解は地面から生えだす。
出てきた物は、生き物のように動き回り、周囲に存在するモノを搦め捕ろらんとする、長い長い樹木の根のような何か。
蛇のようにのたうちまわるその根っこはあちこちから何本も生え出し、こちらに向かって来るそれを簡単に避け、あるいは適当にへし折っていく。
ところが、ルカの方は微動だにせず、根っこの方もまた様子を見るように、ルカを襲う気配を見せない。
「ちょうどいいわ。せっかくだし、コレ、利用させてもらうわよ――我が与えるは豊穣・祖が収穫するは我が対峙者――木陣縛呪! (もくじんばくじゅ)」
その言葉に従うかのように、根っこはルカの元を離れていき、やがては逆に宝玉の持ち主へと伸びだす。
しかもそれは既に根ではなく、幹と呼べるほどの大きさに成長しており、やがてはいくつもの枝を生やして、気が付けばタナシンの動きを押さえ込む檻となっていた。
「おぉぅ、やるねえ。だけど、あんまそれ、使い過ぎるなよ」
そう。ルカの右手にはいつの間にポーチから取り出したのか例の水の呪符が構えられており、ルカはそれを使って操った木に水の魔力を送りこんで、その成長を促していた。
まあ木陣縛呪は中位レベルの術だし、それを更に成長させているからには威力は上位レベル。向こうのとは格そのものが一回りも二回りも違うし、逆に利用するには十分だ。
こっちからはあまり大きな手や術が出しにくいのがなんともやりづらいが、こういう術の使い方で行くのなら話は別だろう。
だが、タナシンの動きを完全に封じる直前になって、宝玉は赤い光を放ち出す。それが意味するものは……間違いなく火の系統術。
その予想通りに、木の包囲網は宝玉から撃ち出された燃える弾丸によっていとも簡単に消し炭となり突破され――偶然か故意か、その炎の直線上には、ルカの姿。
再度、水の呪符を使って打ち消すのは容易いだろうけども、残された呪符の魔力を節約する為か、ルカの取った行動はというとまた別のものだった。
「――囲め・囲め・見えざる刃の籠の中――風華っ! 旋・塵」
向かって来る炎に対して微塵も臆さずに、ルカはただその言葉を紡ぐだけ。
そうしてその炎の弾丸が届くよりも先に、ルカの周囲は木の根を、幹を切り刻む突風に閉じ込められていく。
やがて炎の弾丸はルカに届こうとする直前で四散するも、その火の粉は周囲の風と刻まれた木の根を燃料にして勢いを増しだした。
「なんともまあ……流石というか、少なくとも敵に回したくないタイプだな。ありゃ」
ルカの回りを囲むように、そこに風が吹いていたことを証明するかのように、紅蓮の炎がルカの周囲を踊り、燃え盛る。
「――籠の鳥が宿せし物は・自由に焦がれし火炎の翼――六仙鳳火」
見ればルカの左手は大きく天を仰ぎ、その上空では六羽の火の鳥が、まるで獲物を狙うかのように周回を始めていた。
「う……ぁ、っ!」
「さあ、次は何がくるのかしら? ――もちろん、焼き尽くしてあげるけど」
宝玉が撃ち出した術がことごとく効かず、しかも逆に利用されて自分に返って来る現状にいい加減気付いたのだろうか。
少しづつではあるが、タナシンの怯えの色が強くなりつつある。
並の魔術師であるならば、よっぽどの切り札でも持ってない限り、この辺りでいい加減に戦意喪失している頃だ。
にもかかわらず、タナシンは止まる事なく術を撃ち出し続ける。
「いや、待てよ……まさか、宝玉内部の術式が暴走してて止めらんない状態なのか?」
考えている間にも、宝玉はまた別の色の輝きを放ち出す。
次に浮かび上がったその色は、黄――というよりは金色に近く、今度もまた宝玉そのものから何かが飛び出す気配は無し。
「ふ~ん。こっちが火の鳥だからって、雷でも落とす気かしら?」
「さぁてな。でも気は抜くなよ、ルカ」
「言われなくても。わかってるわよ、そのくらい」
今まで下からの攻撃が多めだっただけに、一応上からの攻撃にも備えるべきか。
そう考えて穴の空いたボロボロの屋根から薄暗い夜空を見上げ……何物かを確認したのと同時に、それは既に“オチ”ていた。
「ふかほっ?!」
すかこーん、と小気味良い金属音を上げてタナシンの頭を直撃した物。それは――
「って、なんで金ダライなのよっ! なんでもアリにも程があるでしょぉおがあぁっ!」
ああ……そうだな。こればっかりは怒鳴りたくなるのも良く分かる。
ルカが言わなきゃ俺が代わりにツッコミを入れてるとこだし、この上タライに『スカ』とか『ハズレ』なんて紙が張ってあったなら尚更だ。
しかし、これは本当に――
「もう知らんがなだ……つっても、これであの宝玉がアイツ自身の手では制御不可能な状況だって事は証明されたな。まあ、これでどうでもよくなるだろうけ、ど――ふっ!」
いったい何が起こったのか、タナシンが目を白黒させているこの好機のうちに、速効で距離を詰め寄って俺は、宝玉を持つタナシンのその手を思いっきり蹴り上げる。
「がへぃっ?!」
その衝撃で宝玉はタナシンの手を離れ――ることはなく、まるで掌に接着されているかのようにくっついたままだった。
「おいおい、マジかよ。こいつはまいった、な……にっ?!」
直後、こっちは片足立ちのまま、驚くタナシンはバランスを崩したまま、光り出した方玉の色は――そこら辺の地面を削り取った時と同じ、茶色のそれ。
アレと同じ奴を撃たれたとして、こっちに向かって来たとして、この至近距離じゃ回避は間に合わない。
「ちょっ、九龍っ?!」
「かひっ!」
やがて波打つその地面は周囲を巻き込み、持ち主であるタナシンをも完全にすっころばせて、広がろうとする。が――
タナシンは尻餅をつく直前で、仰向けに倒れ込もうとしてに居るにもかかわらず、その中空で完全に動きを止めていた。
「――荒ぶる火・揺れる土・波打つ水・流れし風・全てを許容し内包するは元素の箱――四元結界」
それを可能にしているのは、赤と茶と青と緑色のグラデーションで彩られた、半透明で正方形の、ガラス細工のような立方体。
俺が両足で立てるようになるまでに揺れが来ることは無く、また、見ればタナシンの全身はその箱の中に閉じ込められており、瞬き一つせずに動くのを止めている。
「……おい、ルカ。お前、こんなもんまで使えたのかよ」
「まあ、ね。でも、今の私に出来ることと言えば、この辺が限界かしら」
「そうかい」
その箱に近づいて軽くノックしてみると、綺麗な平面を保ちながらも、無理矢理に力を入れさえすれば中を探れそうな、そんな不思議な感覚を返している。
「たまたま条件が揃ってたのよ。この“火”の鳥一羽と宝玉が撃ち出した“土”の術。それに夏羽が持ってた“水”の呪符に加えて、私自身が出したのは“風”の力。それだけ」
「ああ、なるほど“四大元素の結界”か。なかなか面白いことするじゃねーか。と、言いたいとこだが、せっかくのこいつも一時しのぎにしかならねーようだな」
「ええ。結界に使用した魔力から考えて、このままじゃ10分と維持出来ずに結界は消滅するでしょうね。だからその前になんとかしてこの人から宝玉を取り上げないと――ねえ九龍、ちょっとコレ持ってて」
「ん? ああ」
残された五羽の火の鳥を従える為か、ルカの左手は天を仰いだまま、その右手で持っていた水の呪符を俺に渡して、ルカは結界の中に手を入れる。
元がどれだけ入っていたのかは知らないけれども、まだ上位クラスの術を何発も撃てそうなだけの魔力が感じられるその水の呪符。
細かい模様に大きな五茫星と、それを囲む二重の円。その上には大きく“水”の文字。
五茫星、水、夏羽の――日神の従者が所有していた呪符で、宝玉はその日神が管理――そんな言葉達が俺の脳内を駆け巡り――
「さ~て、それじゃ返してもらうわ……あ」
「ちょっと待てルカ! そいつにはまだ触れるんじゃ、な……」
――謎だった宝玉に対する一つの仮説が浮かぶよりも先に、まるで最初からそうであったかのように、ルカの手にはもう既に式の宝玉が握られて――その所有権が移っていた。
~~~
「最悪……の、半歩手前だな。コイツは」
上空を周回していた五匹の火の鳥はその中央に集まり、その身に五茫星を宿した鳳凰と化して燃え盛る翼を盛大に広げている。
それを従えるルカの目とその手にある宝玉は同じ色の、赤を越えた深紅のような光を宿し、殺気にも似た迫力を俺へと向けていた。
「みつ、けた。さいこう。の、やどぬし」
やがて鳳凰は一度翼を空中に打ち付けて、こっちへと向かって来る。
とっさの出来事に、俺はほぼ反射的に水の呪符を突き出して障壁を作り出していた。
激しい水蒸気を上げて打ち消し合う火と水の魔力。その結果は相打ち。
手にしていた呪符からは、まるで魔力を感じられなくなっている。
タナシンの方は……結界がまだ残っていたおかげで、事なきを得ていた。
「うあっちゃ~。夏羽、すまん。しっかし、ルカよう……やっぱりお前じゃ宝玉を式として従える事は出来なかったか」
そう。ルカは四大元素の力を使うまでが限界だと言っていた。だが、惜しくも宝玉はその一つ上である五茫星の力を、いや――
五行の力とその循環式こそが、式の宝玉が宿す真価なのだろう。
考えてみれば宝玉が使っていた術は、木・火・土・金・水、の五種類。
そしてルカが宝玉の魔力を利用していたように、宝玉もまた“その内部で五つの力を循環させることで、半永久的に持ち主の魔力を増幅させた術を撃ち出していた”のだ。
「魔力の増幅と供給の繰り返し、か。確かに増やした分だけ使えば無限同然だが……どこぞのヨーグルトや鰻のタレじゃあるまいし。ま、そこに突破口らしきものはあるな」
だからこそ宝玉は単独では何の価値も持たず、故に宝玉は持ち主を探し続け、その宝玉に触れている人物を魔力増幅の為の、循環式の一部として組み込み、その存在意義を確立し続けようとする。
「にしてもまあ、まさか、宝玉と人とが魔力で繋がってる内に、自我でも宿したか?」
「じが……? わたしは、わたしでありたいだけ。わたしのそんざいを、わたしのちからをしってもらいたいだけ。とじこめられた、せかいのそとまで」
その果てに、暴走を始めた宝玉は、己が力を存分に奮おうとする。ってとこだろうか。
「それがお前の――宝玉の意志か? それとも宝玉に引きずり出されたルカの真意か?」
「わたし、わたしは……ひつよう。だれからもみとめられる、だれからもみてもらえる、つよい、つよいちから――ああ、あんなところにあった」
虚ろな言葉を紡ぎながら、ルカは逃げるように走りだし、建物を後にしだす。
「っておい、ルカっ! 何処へ行く気だ!」
それを考えて、走りだした方向を見て、その先を予測して、背筋に嫌な汗が浮かぶ。
想定していたものよりも一歩先の最悪の事態が、その光景が脳内に浮かぶ。
ほんの1%でも、そうなる確立を減らせと心臓が警鐘を鳴らす。
ルカの後を追いながら、取り出す携帯。掛ける先はルカの行き先付近に居る確率が一番高い、夏羽。
『あ、九龍様? いまどちらに――』
「話は後だ! どうやらルカが宝玉持って日神神社方面――白水湖に向かったっぽい」
『えっ、え? それでは今から迎えに――』
「逆だ。たとえ見つけても絶対にルカを湖に入れるな! 暴走したままの宝玉と湖とが直接触れ合ったりでもしようものなら、完全にアウトだ! いいな」
もしも湖の膨大な魔力を循環し、増幅しようものなら、それを撃ち出そうものなら、それが何処に向けられたとしても、その威力はもちろん、その被害すらも計り知れない。
そんなことになるくらいなら、たぶん宝玉を破壊した方がまだマシなレベルで――被害範囲のみを考えるならば、ルカを――って、何を考えているんだ? 俺は。
『そちらの状況はまったく掴めませんが……了解です。お気をつけて』
その言葉を聞き届けると同時に携帯を切って俺はタナシンを残し、ルカを追うことに専念する。
だが、なんとか近づこうと試みるも、その時には宝玉とルカの目が緑色の光を宿し出して、突如地面から生える巨大な樹木がその障害となる。
「ちぃっ!」
向こうがその気なら、俺もそれなりの対応を取るしかない。
行く手を阻むそれに対し、伸ばすは右腕。
己が手で封じてきた鎖の一つを解き放ち、腕に宿すは黒き闇。
うごめく闇はやがて形を成し、邪魔する物を切り伏せる為の剣となる。
最小限の動きで、最短の距離でルカへ近づけるルートを判断し、その為の邪魔な枝や幹は一刀の元に寸断する。
時には幅数メートルの水柱を、数えきれない程の数で群れる炎の蝶達を薙ぎ払う。
「ふふっ……ねえねえ。すごいわよ、これ」
「ああ、そうだろうな。なんの宣言も詠唱も無しでこんだけ大規模な術をやられると、反応するだけでも一苦労だ」
俺が急いでることを悟られないよう気をつけながら、湖へ向かおうとするルカとの距離を詰め寄る。
「たくさんの“しき”がね、みえるの。たくさん。たーくさん」
「そうかい。さしずめ常人なら意味不明すぎて、術式どころか適当な数式ですらもアレルギーになりそうな光景だろうな」
「くすくす……そうなのかな」
そんなお喋りで少しづつ注意を逸らしながら、逸れながら、なんとか隙を探し――
「あ~っ、と。なあ、るかなん」
「ねえ、くりゅ――だからそれは……?!」
予想通りの一瞬の、ルカの硬直。
その刹那を縫うように、俺は右腕を、黒き剣を延ばす。そして――
――剣はまた闇となって、黒き宝玉を飲み込んだ。
~~~
俺の闇を裂くように、ルカの手からは閃光が飛び出して尾を引き、やがてルカの回りを囲むように模様を作る。
赤から茶へ、茶から黄へ、黄から青へ、青から緑へ。そしてまた緑から赤へと、光のグラデーションを持った線が結ばれる。
描く模様は五茫星。五行循環の祖にして、要となる術式。
その五茫星に対し、一筋の、黒い線が侵食するように割り込まれる。
青い線もまた、俺の左手にある呪符を起点に、いびつな形の一端となる。
線は歪み、その形を崩していき、出来上がったのは、右腕から形作られた三角形と、左手の呪符とから形作られた三角形同士が折り重なる――六茫星。
その中央に居るルカの目は、いつのまにか正常な色に戻っていた。
「よ。気分はどうだ?」
「ええっと。ねえ、いったい何がおこってるの? 私、ぜんっぜん身動きが取れない状態なんだけど……」
「ん? こいつの術名は六星封呪籠目の紋で対象を囲み、六つの属性の力で対象を封印する術だ」
四種類の力を持ってして五種類の力を制することが出来ないならば、六種類の力で制するまで。言わば簡単な、自然の摂理。
「六つの……属性? それに対象を封印って貴方まさか」
「ああ。宝玉が宿す五行の力と、俺自身の闇の力。それら六種を使ってお前自身の暴走を封じている。つまり今、宝玉の持つ力は全てお前じゃなく俺の支配下にあるってわけだ」
そして同時に、形が崩れたことで宝玉の循環式も“今だけ”はその役目を果たせずにいる。逆を言えば、この封印が解ければ循環式も元に戻り、ルカもまた暴走するだろう。
「なんか、私の力が貴方にものすごーく負けているって言われてる気がするんだけど……とっ、とにかく助かったのよね? 私」
だが、つまりは今俺がやっているこれは、さっきルカが作った結界と同じ、ただの一時しのぎに過ぎない。
「…………」
この封印術だって、永遠に持つわけではなく、永遠に使い続けるわけにもいかない。
「ねえ、あの、なんとか言ってくれない?」
「なあ、ルカ。さっき俺に“何がおこっているか”を聞いてきたが、それはつまり“何がおこっていた”かは分かるんだよな?」
「おぼろげ……だけどね。ごめんなさい。ちゃんと貴方に任せるべきだったわ」
「あ~、それなんだが、結論から言おうか。こいつを俺が持ったとして、自我はなんとか保てるかもしれん。が、増幅された俺自信の力を押さえるのは、正直厳しい」
「え?」
「どうやら暴走中のこの宝玉、言ってしまえば勝手に延々と同じ処理を繰り替えし続けてるに過ぎない。これがパソコンとかなら、いっそ電源を落として再起動させる。なんてことも可能なんだろうけど……」
「うん……そっか。そう、よね。人の命なんて、落として再起動なんて……そんな、簡単にできないわよ、ね……」
「だけど、だな。残念なことに、この状況を“終わらせる”手段は二つに一つ。宝玉の使用者の死亡もしくは宝玉の破壊。それしかなさそうなんだ」
そう、再び自分に言い聞かせるように、ルカに宣告する。
「~~~っ!」
そして、半分づつなんて都合のいいやり方も、今回は存在しない。
「まあ、なんだ? そういうことだ。あと、できればその涙目を止めてくれ」
「なっ?! 泣いてなんか……」
「――そうかい」
ちなみに『このままどちらも選ばない』という、再び宝玉を暴走させるという選択肢なんてものは、そんな馬鹿げた考えだけは最初っから除外だ。
「ねえ。他に手は……無いの?」
「そうだなあ。使用者が死亡することで暴走が止まるって事は、そうすることで宝玉の循環増幅やその他の機能が働かなくなる。ってことだよな?」
「う、うん。それで?」
「つまり0には何を掛けても0であって、他所から魔力を注ぎ足したりもせずに0から魔力を作りだしたりするほど、宝玉も万能ではないってことになる」
「あ~、そういえば、夏羽もそんなこと言ってたわね」
「問題は、どうやってその状況を作るかってことだ。まず、この時点で本末転倒。なんせ魔力を使った分だけ宝玉が供給してくれるんだからな」
「でも、今はそれが止まってる……」
「そうだな。だから今、この状態で持ち主の魔力が尽きればいいのかもしれん。が、少なくとも俺が持ち主になって全魔力を消費するのは無理だ。現在進行形で封印中なのはお前の力だけじゃねえ」
さすがに、このまま力を使い続けるわけには、魔王封印分の力まで使い切るわけにはいかねえ。
「そ、それじゃあ私が――」
「出来るか? 身動き一つ取れないお前が、仮にこの封印を一度解いたとして、そのまま宝玉の力を抑えながら全魔力を消費するような、そんな都合のいい手段があるか?」
「…………」
「…………」
ルカも理解したのだろう。その沈黙が示す通り、この案は実現不可。
「あのさ、この状況って……ほら、アレに似てない? 赤と黒、どっちかの線を切って、爆弾を止めるやつ」
「そうだな。ま、今回の場合。どっちを切ってもその爆弾は止まるだろうけど」
ただ、その代償はあまりにも大きすぎる。
「ねえ、本当に……その二つしかないの? 暴走を止める手段。本当に、それしか……」
「始まりも終わりもない無限ループなんだ。それを一度消滅させるには、誰かが一度ループの輪に入って一緒に終わらせるしか――」
方法は……無い? いや待て、本当に無いのか? 考えろ。考えるんだ。
「そっか、うん。一番確実なのは“アンタが赤の線を切ること”かしら。さすがに私に黒は切れないし、切った後も……ね」
「う~、んん?」
「でも、もしそうなら……ねえ、九龍。その前に貴方には話しておきたいことが――」
俺は今なんて言った?
ここにある物は何だ?
ここに居るのは誰だ?
何故ここにある?
何故ここに居る?
循環する五行の力。
その始まり、終わり……
そうして浮かぶ、一つの道筋。結論。
「だあああぁぁぁっ! あった! あるじゃねーか! 俺でもお前でもない“俺達だけが取れる都合の良い選択肢”が!」
「へっ? えっ? あの、あれ。私、達?」
「だから、都合良くここに居るじゃねーか! 五行の力が始まりと、終わりの二つが!」
たとえ終わりから始まりに向かったとしても、それは循環ではない、新しい未来。
「――あぁっ?! って、ええっ?!」
「ああ、そうだ! 無限の連鎖を一度断ち切り、それを一つの流れにして終わらせる!」
こいつは俺だけでもルカだけでも出来ず、今ここに居る俺達にしか出来ない方法。
「でででっ、でも、貴方はそれでいいの? これからそれをやるってことは……」
そう。偶然か必然か、俺は“まるでどこぞの誰かに仕組まれたかのように”その“気に入りたくもない揃った条件を飲まなければいけない”だが――
「なーに、それくらい……と、言い切りたくないのは確かだが、誰かが命を落とすよりはまあずっとマシだ。それよりも、お前こそ大丈夫なんだろうな?」
これからやることは、俺にとってもだが、ルカに掛かる負担も相当に大きい。いわゆる一か八かの賭けだ。
「うん。もうなんでもするわ。なんかていうかもう……ね、今はむしろ軽く死にたい――ずかしすぎて」
「うん? 良く聞こえんぞ? そういやさっきも何か言いかけてたが――」
「くぁ~ん! もうっ。それはいいのっ! それよりもさっさと始めなさいよ!」
ヤケになっているのか、一周して肝が座ったのか、触れるな危険の気配を漂わせて、ルカが叫ぶ。
「あ、ああ。そうだな。この封印もそう長く続けられないしな――つーかルカ。お前、なんか怒ってねーか?」
「い・い・か・らっ!」
「あ、ああ。わーったよ……」
その言葉に急かされながら、俺は一呼吸置いてこの闇の力を抑える準備を、この闇の代わりとなって六星封呪を維持するその属性の宣言を行う――
「ほんと、どうしてこう“都合良く上手く行かない”のかしらね……」
そんなルカのぼやきに半ば同意しながら、俺は数年ぶりに、俺自身が忌み嫌うあの名前を呼ぶ決心をつける。
「――我が名は月神。我が名の“月”は始まりにして起点――」
六茫星を形作って居た線の一つ、黒い色は消え去り、星はまた五行の形を取り始める。
だがそれも、俺が次に紡ぐ言葉によってその動きを止め、静まり、その色の順番を変えていく。
「――燃ゆる“火”の果て――」
「――流れる“水”の先に――」
「――育つは“木”にして――」
「――輝くは“金”の実り――」
「――広がる“土”が見上げるは――」
その言葉通りに、宝玉から伸びる閃光は赤から青、青から緑、緑から黄、黄から茶のグラデーションとなって出来上がっていく。
「さて、と。後はお前次第、か……勝負は封印を完全に解くその一瞬。そいつで決めてみせろ」
ほんの僅かに、無言でルカがうなづく。その目には――決意の色。
「――我が名は日神。我が名の“日”は終末にして週末。そして今、ここに“七曜”が力の完成を――」
そのルカの言葉を、その先を見届けるよりも早く、俺の意識が遠のき出す。
「……っ! ぐ、あ……」
やはり多種類の力を使い過ぎたのか、俺の闇の力を封印し続けるための自己防衛か――
そして意識が落ちる直前に俺が見た物は、遥かなる夜空へと大きく伸びる、虹のそれとは違う七色を束ねた光の柱だった。
~~~
「――ま。九龍様っ!」
その言葉に呼び起こされるように、俺の意識は覚醒する。
見上げていた先には、未だ暗い夜の闇と、見知った顔。
「うぉ? あ~、夏羽か。つーか俺、どんくらい意識失ってた?」
「ああ……良かったです。ええっと、留香奈様によれば、ほんの5分ほどだそうで」
二人とも一瞬慌てていたような気がするものの、夏羽の方は落ち着いた様子で現状を説明してくる。
「ん、そうか。で? なんでそのルカは頭抱えてうずくまってるんだ」
「……なんでもないわよ」
聞こえるか聞こえないかの小さな声。しかしまあ、俺もルカも無事に済んでいるとこを見るに、一応は決着がついたみてーだな。
「そういや、肝心の宝玉はどこだ?」
「ん」
と、小さな声と共に、ルカがポーチを軽く撫でるように叩く。もう人の手を離れて、今はその中でおとなしくしてるってわけか。
「あのぅ。先程、少しばかり見せてもらいましたが、本当にアレが日神家の至宝なんですか? すみませんが、どう見ても……」
「それはまあ、なんだ? 中の主線が一本、ぶっち切れたわけだからな。さすがにもう、何の効果も持ってないだろう」
「ほ、本当にいいんですか? それで」
「ん~、師匠ならなんとかして直すだろ」
むしろその程度は大目に見てもらわないと釣り合わないようなことを、この一日でやらされたわけだし。な。
「そう、ですか。それではもう一つだけ。いったいここで何があったんですか? ここに着く前に見た七色の光柱――あの膨大な魔力の放出はいったい?」
その瞬間、視界の端でルカが小さく反応したのを感じた。まだ話してないのか、それともあえて話さなかったのか……
「あ~。それは、だな」
「はい」
多分あの光はそれなりに多くの人間が見ていただろう。それがルカの暴走した結果――なんて本当のことを言ってやるのも多少だが気が引けるし。さて、どうしたものか。
「そうだな……もう宇宙人は空に帰って行った――ってことにでもしといてくれ。うん」
~~~
事件も終わり、深夜。ルカがここに来てから、約24時間が経過したところだろうか。
「な~、ルカ。なにもこんな時間に帰ることはねーと思うんだが」
ルカは着替えを済ませて帰る準備を終えており、今は空腹と今回のルカからの報酬を理由に、満月堂で食事を奢ってもらっている。
「いいのよ、別に。もうこの町に残る理由は無いし、さすがに今だけは長居する気になれないの」
口ではそう言いつつも、ルカは初めて食べるというお好み焼きにあくせくしながらも、今回の依頼の成功をささやかに祝しているようだった。
「なんか気になる言い方だが……ま、そうかい。忘れもんとかはねーか?」
「持って来たのはこのポーチだけだし、制服はアンタがお隣に返してたし――そういえば夏羽は?」
「お前が着替えている間に今回の件の事後処理に走ってったよ。今回の件で変な憶測や噂が立たないようフォローしたり、タナシンの奴に変な後遺症が出てないか診たりだな」
「あっ! そういえばあの人、ほったらかしだったけど結局大丈夫だったの?」
「あの後澪ねえと夏羽に保護されて、今は病院。夏羽からの連絡じゃなんか数学嫌いが輪を掛けて酷くなってるとからしいが、それ以外は別段何とも無いらしい」
「あ、はは……でも、そっか。結局、今回の件ではいろんな人に支えられていたのねえ」
「それを実感出来たっていうなら、それでいいじゃねーか。それもちゃんとした収穫だ」
「うん……そうよね。さて、と。それじゃあ私、そろそろ行くわ」
「そうかい。ま、これ以上は引き止める理由も無いわな。とりあえず、ごちそーさん」
「うん。でもまた、近いうちにでも遊びに来るから。その時はまた――ううん、やっぱりいいわ。じゃあね」
そして留香奈は俺に背を向け、支払いを済ませて店を後にし、こうして、ようやくこの事件は終わりを向かえるのだった。
~~~
おしまい――
――っておいおい、ちょっと待てよ?
店を出ようとしていたルカはその一歩を踏み出そうとしたところで硬直し、そして、うつむきだす。
どうやらお互いの心中は、同じ難題に行き着いてしまったらしい。
「なあルカ。今気付いたんで一つ聞くが」
「うん。言わないで――ゴメン九龍、帰り道わかんない。だから、あの、ね」
これはつまり、ルカの帰り道を知ってる俺が、日神家かその近隣まで案内してやらなきゃいけないらしく……
「ったく、やれやれだ」
どうやら俺は今夜もまた、枕を高くして眠ることは許されないらしい。
◇◆◇第澪部・前後談◇◆◇
日神の末裔としてこの世に生まれ、留香奈の名前を受けた私は小さいころからいろんな物を与えられ、何一つ不自由の無い暮らしをしていた――と。そう、思い込んでいた。
だけどもそれらはこの広い世界のごく一部でしかないようで、日神という立場上、望んでも手に入らないであろう外の世界の品達があることを知った私は、少なからずそれらの品々に興味を持っていた。
が、もし運良くそんな品物を手にいれたとしても、それらは『私には不必要なモノ』ということで取り上げられてしまい、いつしかその興味は早々に失いかけていた。
だけどそんなある日。私が裳着を迎えた際に行われた誕生日パーティー会場で、私はある人物に出会った。
そいつはあろうことか当主様に無理やり引きずられながらやって来ただけでなく、周囲には奇異の目で見られ、終始不満気な様子で会場の隅っこに居続けていたのだ。
時折り目が合ったりした気もするけれど、それに対して特に反応がある訳でもなく、それは私が主賓だということさえも知らないようにも思えた。
そしてそいつがパーティー会場に持って来た物――それは積み上げられた私へのプレゼントの脇に置かれ、何かと確認してみれば、ちゃんとしたラッピングボックスに入れらてる訳でもない、肩掛けのポーチ。
今にして思えば外の世界ではごくありふれたような、多分適当に選んで買ってきたらしいポーチだったけれども、他の贈り物からすればそれは私にとって一線を画した、十分珍しいと言える代物だった。
だけど……どうやらパーティー会場の中には、何よりも一番に私がそのポーチに興味を持った事に対して、大いに取り乱しかけた人達がいたらしい。
これは後で知ったことなのだが、その取り乱しかけた人達というのは月神家の一部にして、内心、そのポーチの送り主である九龍が日神家に深く関わることを、その存在を疎ましく思って居る人達だっだとか。
そしてその人達はポーチに興味を持った私に『このポーチよりも、もっとずっと良いものを、あるいはまったく同じ物を私に送る』などと言ってきたのだ。
つまりはものすごーく遠回しに『他の何を望んでも良いから、このポーチだけは受け取らないでほしい』と言いたかったらしい。
その時はまだ興味のみで愛着を持っていたワケではないし、私自身、あのままだったらその言葉に流されかけていただろう。
それにもし仮にそうなったとしても、送った本人がそれを気にする様子は、私には感じられなかった。
だけど、それら一連の流れを一番良しと思わなかった人物は居たワケで……意外なことにもそれは、我らが日神家の当主様その人。
そして当主様はその場で“私以外の人間がそのポーチに対しての認識と興味を、まるで路傍の石程度のように薄れるよう、ポーチに術を掛けてしてしまった”のだ。
おかげでポーチは私が望む限り手元に残ることとなり、その延長で私がポーチに何を持ち込んでも――たとえそれが外の世界の品物であっても、誰からも干渉されなかった。
たぶん術者である当主様にも影響は無く、私が外の世界の品を持ち込んでるのも周知だとは思うけれど、やはりそれに対し何事か言われたことは一度も無い。
こうして私は、ほんのポーチ一杯分ではあるものの、日神家の内にあって外の世界の自由を手にしたのだった。
ちなみに何故そんな都合の良い術があるのかと聞かれれば、それは恐らく当主様が日神家の外へ遊びに抜け出す際、従者達から干渉されないよう一時的に術を自身に掛ける為に編み出されたと推測されるが、確証は無い。
「いや、たぶん当たりだな、それ。いかにもお師匠のやりそうなこった。つーか、それがそのポーチの正体か。確かに、小さな物を持ち運ぶにはもってこいの性能だな」
揺れる列車内。まるで貸し切りのように人気はなく、窓枠にひじを掛けて退屈そうに外を眺める九龍が、ぽつりとつぶやく。
よくよく考えなくても私は一方的に水練町に飛ばされた為に日神家への帰り道なんて最初っから知らずにいるワケで、結果、最期の最期までコイツのお世話にならないといけなくなったワケで……
思いがけない二人きりの小旅行に、どうすればいいか良い考えも思い浮かばず、とりあえずは昔話くらいしか話すことがない。
「ってあれっ? 感想それだけ?」
「うん? あとは宝玉にも似たような術が掛かっていた可能性も考えられるが……他にもなにかあるか?」
「あ、えっと……うん。やっぱりいい」
「そうかい――ふあぁ」
と、あからさまに眠そうな表情を見せながら、九龍は取り出した携帯に一度視線を送って、またそれをポケットにしまう。
「あの、さ。なんかゴメンね、ホント。ここまで付き合わせちゃって」
「まったくだ。こういう結果になるから『探して来い』とか……これじゃあ深く考えてた俺がバカみてーじゃねーか」
「え? どういうこと?」
「なんでもねえ」
「そっ、そう……ねえ。くりゅ――」
PiRi!
「――っと、ようやくきたか」
「えっ?」
ふと、車内で鳴り響く携帯の音。それを九龍はまるで見越していたかのように出る。
「や~っと連絡よこしやがったか……久しぶりだな、師匠。ミッションの方はとっくにコンプリートしたところだ」
「へ? し、師匠……ってままま、まさかそれって、当主様から?」
その私の質問に応えようとはせず、代わりに九龍は携帯電話の向こうへと、言葉をぶつけるように放っていた。
「んで、だ。とりあえず一つだけ教えろ。なんでイロイロとルカに教えてやらなかった。宝玉のことも、日神への帰り道のことも! そのせいで結局、回り回って俺の手間が増えるばかりじゃねーか!」
「うぅ……やっぱりそう思ってたのね」
だが、どうしてだろうか。不思議なことに携帯の向こうへ送られ続ける言葉の羅列に反して九龍が怒っている様子は感じられず、ごく普通の日常会話のように聞こもえる。
「うぉい、くぉぅら! そこで話をすり替えようとすんな! 俺が留香奈の事をどう呼ぼうが俺の勝手だろーが!」
うん。日常会話のように――よね? 本当に大丈夫なのよね?
しかも話題が私の方にも飛び火しているとなると、これ以上聞きたいような聞きたくないような、そんな複雑な気分でしかない。
「本当に、当主様も何を考えて――ううん、何を言ってるのよぅ……」
「だいたい師匠はいっつもそういい加減だ。今回だってなんとか上手くいったものの、下手すりゃ誰かが命を落としてたんだぞ!」
「……だけど、そうはならなかった。当主様には、そうならない確信があった」
携帯電話の向こうはもちろん、九龍にも聞こえないような小さな声で、そんなひとりごとを言ってみる。
それは九龍が私に話してくれた――どちらかのまんじゅうを選ばなかった私に対して教えてくれた、ちょっとした昔話の一部――
「じゃーもし師匠がそんな選択をしなくちゃいけなくなった時、師匠はどうするのさ?」
「俺か? 俺は、第三の選択肢を作り出して二人とも助ける」
「え~っ?! そんなのずるいよ! どちらかじゃないのかよ!」
「ふん。俺を誰だと思っている。俺は、天才日神龍矢時次様だぞ。決まった選択肢などないのだ。だはははははははははは……」
「なんだよそれぇーっ!!」
――そんな小さな、喧嘩にも満たないやり取りがいくつもあって今の二人があり、そして今ここに私が生きながらえているのかと思うと、少しどころではない不思議な気分になる。
「はぁ~? ちょっと待て、師匠。会うのを楽しみにしてた――」
「まあ、しょうがないわよね。こうなったら気が済むまで、二人仲良く喧嘩して――」
「――って、ルカがか? そう言って――」
「ちょおおおおおおぉっ?! 当主様っ?! ななな何を話してるのですかっ?! 楽しみにって言っても、あれは九龍にはポーチの件で多少なり興味があったからであって!」
あああぁっ! その、えっと。とにかく、九龍の携帯を取り上げようとしながら、追いつかない頭がなんとか処理出来たことは――
――私もまた喧嘩にも満たないやり取りに巻き込まれたということで、それは私達が目的地に着くまで続いたということだった。
~~~
こんどこそ おしまい