闇夜の雷光
吸い込まれそうな群青色をした、月明かり柔らかな空の下。どちらかと言えば黒に近いであろう濃紺色の湖を眺めて過ごす。
湖からは死角になるような茂みに隠れて様子を見始めること数分、痺れを切らしたような声が後ろから聞こえだす。
「……なあ、九龍」
「どうした? やっちゃん」
「ちょーっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
見ればやっちゃんは姿勢は低いまま、まるで先生に質問する生徒のように自分の顔ほどの位置まで手を上げている。いや、実際教師なのはやっちゃんの方なのだが。
「はいは~いっ。由菜も~っ!」
「えっと、自分もです」
と、やっちゃんに続いて小学生らしい元気な声を上げる由菜と、その由菜の付き人として振り回される保護者的苦労人……いや、苦労獣人の雷。
ちなみに由菜の方は天高く、思いっきり手を上に延ばしている。かくれんぼをすればまっ先に見つかりそうなタイプだな、こりゃ。
「あー、とりあえず一人ひとつな。あともう手は下ろしていいぞ」
「は~い。えっとね~、みんなこれから何して遊ぶの? あと、夏羽のおねーちゃんは? かくれんぼ?」
なんとも無邪気に聞いて来る由菜。一人ひとつと言った俺の言葉は何処かに吹き飛ばされてしまったらしい。
「ま、いいけどな。別に」
「あのっ、自分も同じようなことを聞こうと思っていましたので」
「とりあえず、これからすることは遊びじゃなくて仕事な。それと、夏羽の方は昨日から来週まで出雲へ出張中だ――この白水湖の主である水竜様の付き人として、一緒にな」
「あー、なるほどな。そんで四季野は一昨日から学園を休んでだったのか」
ってやっちゃん、担任のくせに知らなかったのかよ。
「出雲……ですか。言われてみれば確かに、今は神無月でしたね」
「かんなずき、カンナ好き……大工さん? 四天王?」
さすがに小学生には解り辛いだろう。それを補足するように、雷が口を開く。
「えーっとですね。日本には古来より、一部を除く八百万の神様達が一カ所に集まって、話し合いをする月があるんです」
正確にはこの七日間。そしてその話し合いが終わって帰って来るのが来週ってわけだ。
神社によっては当日に迎え祭るところもあるが、それはさておき今現在問題なのが……
「その結果のアレ、なんだよなあ。なんつーか、神の居ぬ間になんとやらだ」
暗い湖の中をよく目をこらして見れば、そこには我が物顔で遊回する巨大な怪魚の姿。
「目算2メートルほどでしょうか。しかし、なんとも禍々しい雰囲気をした魚ですね」
「だな。って言うかよお。何処のブルーマーリン・デビルソードだよ、ありゃあ」
雷とやっちゃんとの感想通り、この湖でなければそこの主として名を馳せそうな威圧感と妖気。
「つっても、あれでもまだ下っ端。どうにもあれらを引き寄せてる親玉はまた別にいるらしいんだがな」
だからこそ、あまり長いこと放置しておくわけにもいかない。
この湖の主が帰って来るまでに、これ以上あんなのが増える前に、元凶である怪魚をどうにかしないといけない――ってのが今回の依頼の内容なわけなのだ、が。
「え? おさかな? ねえ、どこどこ?」
どうにも、この状況と対極な雰囲気をした由菜の声が、微妙に調子を狂わせる。
「ええっとですね。ほら、あの……」
「み~え~な~い~っ。よーしっ、らい! かたぐるま!」
いや、普段ならともかく、こういう場合は余計に見えなくなるだけだから。それ。
「さて、と。予備知識はこれくらいにして、そろそろ本格的に狩り――もとい、釣りの準備をするか」
用意して来たバックが背肩にあることを、その中に例の物が入ってるのを確認する。
「準備ってなんだよ。てか何が入ってるんだよその長筒の中は。いつもの大剣じゃねーのか? ――じゃなくて、九龍。俺の質問は? なしか? 無視なのか?」
あ~、そういや忘れてた。
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薄暗闇の中を、こちらに近づいてくる人の気配。まあ、心当たりはひとつしかない。
「ああ、いたいた。九龍~。と、あれ? 由菜ちゃんも来てたんだ」
と、予想通りの人影。楽観的な様子で志穂がやってくる。まあ実際、こいつにはこれ以降特に働いてもらう予定がないので気楽なもんだろうけども。
「まあ、ちょいとイロイロあってな。んなことよりも志穂、首尾はどうだ?」
「とりあえずアンタ言われた通り、あの魚にやられずにすんだ無事な船見つけて、借りれるよう交渉してきたわよ。ほら、アレ」
そうして志穂が指さした先には、ここにいる全員が乗れそうな、エンジン付きの小型船が泊まっている。
多少ほこりをかぶっていたらしき様子を見るに、今日まであれを湖上で使わずに倉庫か何処かで休ませていたのが幸いした――ってとこだろうか。
「っておいコラちょいと待てマテぃ、九龍に相馬。それを今聞こうとしてたんだよ俺は」
「それ、ってどれだよ。やっちゃん」
「だーかーらーっ。なんで北条院家の御令嬢がこんな所にいるのか、って聞きたかったんだよ。そ れ を、さっきからスルーするわ軽く流すわイロイロで済ますわ……」
やれやれ。なんだと思えば、んなことか。
「本当は雷だけ呼んだんだが、そうすると屋敷には誰も居なくなるんで仕方なく由菜も連れて来るしかなかったんだとよ」
しかも当の本人は『おもしろそうだから』の一点張りで、ついて来ると言ってまったく雷の言葉を聞かなかったらしい。
「そうかい――ってなんでその一言を聞くためにこんな遠回りをせんといかんのだ……」
「おーい。そんな脱力するのは一向かまわんが、やっちゃんにはこれからもう一働きしてもらうからな」
「あ~、それならもう検討がついたぞ。こん中であの船を動かせそうなのは俺だけみてーだからな」
ご名答。と、言っておこうかね。今は。
「へ、そうなの? てっきりアンタも操縦できると思ってたんだけど」
などと、俺の方を向いて不思議がる志穂。
「ん? まあ操縦だけなら可能だし、第一級小型船舶操縦免許なら俺も持ってはいるんだが、あいにくとこいつが公的に有効になるのは満18歳以降からなんだとさ」
ちなみに第二級なら満16歳から取れるらしいが、いろいろと制限が付いてくるとか。
「なるほどねえ。それで免許を持ってるやっちゃんが駆り出されてる。と。てかやっちゃんもそんなの持って――いるわよねえ、やっぱり。職歴的に」
むしろ戦歴的に、だけどな。ま、そーゆーわけで、よろしく頼むぜ。やっちゃん。
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静かな湖にぽんぽんと鳴り響く、今にも止まりそうな、気の抜けたようなエンジン音。
ボートが点けてる明かりに群がる魚影はどれも小さめの奴ばかりで、肝心な標的の姿はというと、それらしき影も形も見えない。
「改めて思うけど。けっこう広いわよねえ、この湖って」
船尾ではしゃぎたがる由菜の体をきっちりと支えながら、志穂がそんな感想を漏らす。
「だな。こんなんじゃ探すのも一苦労だ……やっちゃん、雷、そっちはどうだ?」
ボートを運転するやっちゃんが正面を。俺と雷とがそれぞれ左右を見張る形で船は進んで行く。
「異状無し。視界不良ながらも、当面は特に問題なく巡航出来そうだな。残念なことに」
「こちらも不審な点は見当たりません。警戒されてるのか、それともまだこちらの存在に気付いていないのか……」
ふむ。どちらかで言えば前者であってほしいところだな。むやみやたらと直接この船を襲われるのは困る。
「さて、と。そんじゃあ本格的に奴を誘い込む準備に取り掛かるとするか」
持って来た細長いバックの中。普段なら業物の一つでも入れてるところなのだが、今回はまた別の代物が入っている。
「お~っ。つりざおだ~っ! すご~い。くろ~い、なが~い。つよそ~っ」
子供の発想と言うべきか、強そうとはまた面白い感想だな。
「九龍殿。もしや正攻法で釣るつもりで?」
「もち、雷。その予定で持って来たが?」
「いやいやいや。ホント、由菜ちゃんじゃないけどさ、なんなのよ、その釣竿は。一瞬妖刀の類いか何かと見間違えたじゃない」
「ん? たとえ鯨が掛かっても絶対に折れたりしないっつーことで評判の一振りだとさ。銘は……鯨釣具だっけか」
まあ実際のところ、どんな性能なのかは俺も詳しく知らないが、その辺の釣竿を使うよりかはマシだろう。
「んで? 九龍。糸の先に何もついてないようだが、餌かルアーはどうするつもりだ?」
「おいおーい。何言ってんの、やっちゃん。今回の相手はあの2メートル台の怪魚を従える化け物なんだぞ? 普通の大きさの餌じゃあ、敵さんにとっちゃ塵芥も同然だろーが」
「なるほどなあ。確かに、こっちもそれなりに大きな餌を用意しなきゃ行けないわな。よし、それじゃあ一度岸に戻ってから――」
「そこでまあ、俺に作戦というか、いい考えがあるんだが……」
「残念だが九龍。そいつは失敗フラグであり故に却下だ。お前がなんと言おうと、俺は岸に戻るぞ」
「矢島殿。それはそれでいわゆる志望――いえ、死亡フラグですから」
「言うなーっ! 雷ーっ!」
「つーわけで、その却下を却下だ。やっちゃん。餌役、ご苦労さん」
そう言いながら、俺はバッグの中から糸のまま闘牛が綱引きしても切れないと評判の、頑丈そうな釣糸を取り出す――糸で綱引きとはいかがなものかとは思うが。
「勝手に決定事項にするなやああぁぁっ! だいたい、俺抜きでどうやってこの船を動かすつもりなん……だ、と思って――」
「そうよねえ。操縦“だけ”なら九龍でも可能なワケだし、なんの問題もないのよねえ」
「そーうま~っ、お前まで何を言い出す」
「うん。ごめん、やっちゃん。さすがにあたしもこの暗くて冷たそうな湖に潜るのは勘弁したいトコだし」
「それは俺だっておんなじじゃあぁつ!」
とまあ、そんな騒ぎに乗じて。俺は釣糸を幾重にもやっちゃんに巻き付ける。
「お~っ! ねえねえ、らい。由菜、これ見たことあるよ。さいごに糸を『ぴーん』ってして『がくっ』てなるんだよね」
「あの、由菜お嬢様? 首に糸は巻き付けてないようですが……いえ、あの様子では似たようなものですけども」
「ぬおっ?! 九龍、なにしやがるか――って、腕が……くそっ、暗くて糸が見えん!」
「安心しろ、やっちゃん。一応、古式泳法が出来る程度には身動きが取れるはずだ」
「そーゆー問題とちゃうわあぁっ! つーかどんな巻き方じゃいっ、そいつわーっ!」
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エンジンの止まったボートの先、水上スレスレの場所でうなだれる人影。
糸が見にくいのもあって、湖の上を歩いているように見えなくもない。
「で、結局こうなるのかよ……たはは」
さすが鯨釣用を名乗るだけのことはあると言うべきか、釣竿の方は大人ひとりを吊るしても小さくしなるだけで余裕を感じさせる。
「うんうん。これならイケそうだな。そして気前よく説得に応じてくれてなにより」
「いやコラ待て九龍よう。こいつは、どーう控えめに見ても強制だろうがよ」
「そんじゃ、良い旅を」
「やーめーろーよぉうふばごっが――?!」
俺はリールを一度フリーにし、直後、豪快な水音と悲鳴と波紋が湖上に広がり、それが収まったころにまた、リールをロックした。
「さて、と。後は待つだけ、やっちゃんの頑張り次第だけ。か」
そのまま釣竿が落ちないようボートのてすりに立て掛けて固定し、様子を見る。
予想通り、やっちゃんはどうにか息継ぎをしようと浮き沈みを繰り返していた。
「大丈夫ですかね、矢島殿。ずいぶんと寒そうですが。それから九龍殿、こういうことはお嬢様の教育上あまりよろしくない気が」
「そうだなあ……ところで雷。カタツムリやゴキブリを始めとする一部の昆虫は、氷点下の世界でも一応活動は出来るんだとさ」
「おーっ、かたつむりすご~いっ!」
「なるほど、面白い雑学ですね……それで、それと今の矢島殿との境遇に何か意味が?」
「いや、あの様子を見てたらなんとなく思い出しただけだが?」
「……そうですか」
ちなみにカタツムリ達のその後だが、活動は出来ても食べる餌が無いも同然なので、結局のところ意味を成さないらしい。
「ぼがごっふはあぁーっ?!」
っと、無駄知識を言ってる間にも状況は動いていたようだな。
「この悲痛な声は……矢島殿、ですよね」
「だな」
大きくしなる釣竿が示す先。顔だけ出したやっちゃんが息を継いだ直後にまた水の中へとその姿が消え――
――次の瞬間、湖上から岸に届きそうな叫びがこだまする中、今俺達が乗ってるボートに匹敵するような、十数メートル台の巨大な魚が跳ね上がった。
そして月明かりの逆光に映える巨大魚の口元からは、魚と釣竿とを繋ぐような一筋の糸がほんの一瞬だけ、流れ星のように煌めく。
「あちゃ~。ねえ、九龍? アレ、やっちゃんがまるっと飲まれてるみたいだケド――むしろなんかバリボリとかゴリガリとか、すごい嫌な音が聞こえだしてきたんだケド?!」
「なに、気にすることはないだろう。それよりも――」
「おぉ~っ! すっごおぉーいっ! ねえねえ、らい。見てみて~っ、あのおじちゃん。おっきいおさかなに変身したよ~っ! らいみたーいっ」
「「「いやいやいや」」」
この状況でもなお楽しそうな由菜に対し、反射的に俺と雷と志穂とは同時に似たような言葉を出していた。
「いやほんと、この状況を見てのその発想は無かったな。なあ、志穂、雷――ってかお前の影響か」
「でもそうね、九龍。ホント、子供って時に酷なことを考えつくのねえ」
「お二人ともぉーっ! 今は状況分析よりも自分の心配が杞憂に終わってることよりも、早く矢島殿をーっ!」
雷が叫び、見れば雷は釣竿が落ちないように、抱えるように握っている。
そして、それと同時に、ボートが少しづつ動きだし――やっちゃんが沈んでいった方向へと引っ張られ始めた。
「っと、こんままじゃボートごと引きずり込まれかねんな……雷! そんまま釣竿を立てながら船尾に回りこめ! 志穂はそんまま由菜と雷を支えろ」
「は、はい~っ! 了解です、九龍殿」
「ほら、由菜ちゃん。しっかりとあたしに捕まってるのよ」
「うん! ねえ、しほおねーちゃん。これ、つな引きだよねっ。ねっ?」
「もうそーいうことでいいからーっ!」
あきらめ混じりな志穂の声を聞きながら、俺はボートのエンジンを再度掛け直し、引っ張られる力と釣り合う程度に、向こうのスタミナを極力奪うように速度を調節する。
「こん、のっ! 薄々予想はしていたが……なんっつーパワーだ」
このまま持久戦に持ち込む手も考えていたが、この勢いだと向こうよりも先にこっちのエンジンが根負けしかねない。
「く、っ九龍殿ぉ~っ。自分も長くは持ちそうにないのですが」
「ちぃっ。こーなりゃ、しゃーない。一気にたたみかける。雷、釣糸に電撃を流しこめ! とりあえず焼き切れる心配は無いはずだ」
「え、いいの? よ~っし、いっけえ~っ! らい。じゅーまんボルトだあーっ!」
「らーっ――言いませんよ?! ほっ!」
釣竿の先から湖へと、一閃の光が伸びていき、直後、鈍速ながらもボートが前へと進み出していく。
「効果は抜群のようねえ。っていうかさ、アレ、なんか怪魚のお供っぽいのがやって来てるみたいなんだケド」
そう志穂に言われて湖面を見てみれば、例のデビルソード級が数匹集まっていた。が、どうにも様子がおかしい。
奴らが見定める先に居るのは、最初からこの湖に棲んでいたであろう普通の魚の群。
バタバタバシャバシャと水音を上げては、薄暗い湖面上に濁った色が浮かんでいく。
「余波を受けてしびれた魚達に狙いを変えだした……か。もう数回やって足止めしときたいが、あんまりやりすぎて湖の魚が激減してたりしたら元も子も無いよなあ。やっぱり」
などと考えている間にも、ボートの速度は0へと近づく。そして……再び前へと進み出し、激しい衝突音と揺れがボートを襲った。
「きゃぁっ?!」
「わーいっ!」
「お嬢さ――っ?! まうわわわっ!」
「っ! 船底にぶつかって来やがった」
何かが破損したような音はしなかったが、あの巨体だ。何度もやられるのはヤバイ。
が、そうは言っても相手は湖の中。さて、どうしたものか……やっぱり、このまま電撃の連続で奴を弱らせてから――
「ねえねえ、らいらい~。由菜ねえ、あの糸を『ぴーん』てするのやってみたい」
「お嬢様っ?! それ、わわわっ?!」
「うん、由菜ちゃん。それ無理だからね?! あの糸は別に怪魚に巻き付いてるワケじゃないし、そもそも魚に首は無いから」
――ん? あ~……そっか。なるほどな、その手があったか。
「由菜に志穂、でかした――雷、もう少し時間を稼いでくれ。できるか?」
「わか、りまし、た……なんとかっ! 九龍殿、何か作戦が?」
「ああ。俺はその間に予備の釣糸を利用して奴らをまとめて捕獲する為の網を作る」
それも、ただの網ではない。剣や腕に魔力を流し込む要領で作る、捕らえた物を放さないであろう黒き闇の網。
「そういう、ことですか。では相馬殿、お嬢様と釣竿の両方。お願いします」
「ま、できるだけやってみるわ。でも雷? アンタはどうするつもりなのよ」
「九龍殿の準備が整うまでの間、自分が湖面上で囮になって奴らをおびき寄せようかと」
「そう? 別にあたしは止めたりはしないけどさあ。本当に大丈夫なのよね?」
「ええ、問題ありません。獣化すれば冷たい水中であろうとも幾分か耐えられる自信はあります」
「なるほどねえ。それじゃあ後はあたしにまかせて、存分に暴れてらっしゃい」
「はい。それでは――」
「とらーんす、ふぉーむっ!」
「それもそこはかとなく違いますーっ!」
賑やかそうな三人の声を聞きながら、順調に仕掛けは出来上がっていく。
相手があれだけの巨体なだけに、それを捕れるだけの網を作るとなると、もうしばらく時間が掛かりそうなのが問題か……
紫電を帯びながら麒麟へと変化した雷が、湖へと飛び込んで行くのを見届ける。
そして、まるで光に群がる羽虫のように、大きな水音を立てて怪魚が一カ所に集まって来る様子が聞いて取れた。
時折、ボートが止まり、進み、引き戻されてはまた止まりとを繰り返す。
「しほおねーちゃん? 手、血だらけ……」
「え? ああ、コレ? 平気よ。うっかりペンだこと血まめ潰しちゃっただけ、だから。この、くらい大丈夫――くぉんのおぉっ! おとなしく釣られてなさい、っての!」
さすがに志穂も長くは持ちそうにないらしいな。俺も急がないと……
しかし、もう少しで完成というところで、辺り一面が一段と暗くなり、手元がより見え辛くなる。
見上げれば、月に群雲。それも自然現象とは到底思い難い、不自然な集まり方。
「……なるほどな、雷の方も準備は出来つつあるってことか」
俺は暗闇の中で最後の仕上げを施して網を完成させ、準備を整える。
右手より流れて網を巡り伝うは、俺の内に在る闇の魔力。
封印されし魔王の力を少しづつ解き放ち、黒き網が出来上がっていく。
「おお~っ! すぱいだーまっ!」
ふむ、蜘蛛の糸か。確かに、近いものはあるかもしれないな――っつーか、さっきから気になってたが、こういう由菜の知識はどっから来てんだ?
「……ま、いいか。さーて、ひとまずは準備完了だ。志穂、もうちょいとだけ頼むぞ」
「あ、あ、と10秒だけ……よっ! それ過ぎたら、もう手は放す、から、ね!」
「ああ、それで十分だ――らーい! もういいぞ! その場所を離れろ!」
俺の声を聞き届けたのか、湖上を跳ねる怪魚の一匹を蹴って、雷が空へと大きく飛ぶ。
その瞬間を見計らって、俺は網を大きく、奴らの少し先へと、遠くへと投げた。
やがてボートは少しづつ前へと進み、それに合わせて黒き網は怪魚達を捕らえて放さない、檻の袋となる。
「ねえ……九龍。もう、いい……のよね?」
「ああ、そうだな。ご苦労さん、志穂」
その言葉に合わせて、志穂の手から釣竿が離れて空へ飛ぶ。
俺は網の先っぽをボートの手すりに括りつけた後、船上を蹴って志穂の手を離れたその釣竿を空中でつかみ取り――
そのまま腕を頭の後ろまで振り上げつつ釣竿を一回転させ、身動きの取れない奴らの一匹に狙いを定め、槍投げの要領で力一杯に釣竿を投擲した。
『ぎぃうえあぁっ!!』
着弾を知らせるかのような、水中からの異音。釣竿は怪魚の背に深々と突き刺さり、握り部分が天へと向けてそびえ立っている。
「よっし、今だ。落とせ! 雷」
『ぐうぅぅぅおぉぉぉん!』
熊よりも狼よりも低く唸りを上げる遠吠えが空に響き、まるでそれに応えるように、空が裂けたような轟音が雲よりこだまする――
「出でよ、さばきのいかづちぃ~っ!」
そうして目の前に広がるのは、由菜が発した言葉通りのような光景。
雲からは巨大な雷鳴と閃光が落とされ、釣竿が避雷針代わりとなってそれらが黒き網の中の魚達へと直撃した。
その檻の中では、闇の魔力によって捕らえた電流がなかなか拡散されずに、渦を巻きながら暴れ続けている。
それから十数秒ほど経っただろうか。やがて光も闇も消えてゆき、いつのまにか人間の姿に戻った雷がボートの上へと降り立つ。
そして黒焦げの物体達を包んだ網が水面へと浮かび、やがて、それらを引きながらボートが岸へと進み出した。
「やれやれ、とりあえず終わったようだな。雷もお疲れさん」
「で、九龍さあ。どうするのよ? アレ」
志穂が指さした先からは、ほどよく香ばしい焼魚の匂いがしてくる。が――
「う~ん。やっぱ、このまま水葬かねえ。さすがに食うわけにもいかんだろ」
そう言いながら俺は網を手繰り寄せ、それを解きながら糸を回収する。
とはいえさすがにもうボロボロで、釣竿共々、あきらめるしかないだろう。
今は極力、湖にゴミを残さないようにするしかあるまい。
「えぇーっ! 由菜、あれ食べてみたーい。おなかすいた~っ!」
なんと言うか……結局、最後までこの調子だったな。由菜は。
「おっ、お嬢様っ?! 後生ですから、それだけは勘弁してくださ~い」
そんな、涙目な雷の懇願は湖へ消え、それと共に一匹、また一匹と、黒焦げの怪魚達は湖の彼方へと流れていた。
このまま湖の糧にでもなって、奴らが荒らした分が少しでも取り戻せるといいのだが。
「しかしまあ、腹が減ったのには同意だな。うっし、このまま何か食いに行くか。もちろん――あ、あ~。その、なんだ? 今回は俺がおごろうか、うん」
「そ、そう。よかったわねえ、由菜ちゃん。コイツが食事をおごってくれるなんて、ホントめっっっっっっっったにナイのよ?」
「? ねえねえ。じゃあ、いつもは誰が?」
「お嬢様、それは聞かない方がいいかと」
まあ、もしもその質問に答えるとしたら、今頃、海の藻屑と成り果ててるであろう誰かさん。としか答えられないだろうからなあ。
回収は……さて、どうしたものか。
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「ああ、水が……冷てえなあ。うおーいっ、九龍~っ、相馬~っ、どーこだ~っ。つか、早く助けてくりゃれやーっくしゅん!」
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「ぬお~っ! せめて腕の糸が切れれば――って、ちょい待てよ?! 服っ! 服がっ! ちょっと溶けてんぞこれ~っ!」
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「…………」
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そして翌朝早く。何げなく点けたテレビを見れば、平和になったはずの白水湖で事件がひとつ――
「あ~、そっか。あれから結局、そのまんま放置したんだっけか……」
某湾に打ち上げられた巨大怪魚の残骸から成人男性が奇跡の生還を果たしたという騒ぎがおこったそうな。
ま、とりあえずは万事オーライ。めでたしめでたし……ってことで。
「ま、いいか」
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「よくねーよっ! ――あ、いや、なんか言いたくなっただけで……ってちょ、もうカメラ止めてカメラ」
~~~
おしまい