1話:道山村と加藤家の歴史1
東京駅から80km橫浜から70km富士山から48kmにある道山村。
実名ではないが、都会から近くて、清流が流れる、美しい山村。
クレソン、ジャム、ベーコンなど特産も多い。
実際に、こんな素敵な所がある事を、多くの人達に知って欲しい。
是非、調べて、ここを1度、訪ねてみて、その良さを知っていただきい。
神奈川県って、東京の隣で、大都会・橫浜を中心に、都会というイメージを
持っている人が多いかも知れません。しかし、実際には、南は、三浦半島、三崎港
からマグロ遠洋漁業に出かけ、冷凍マグロが有名。西は、箱根、湯河原と言った、
観光地。橫浜市をみても、昔は、山と切り立った断崖と海という、決して、
なだらかで広い土地は、少なかった。そこで、港北ニュータウンの様に、昔、
人が分け入ることが出来ないような、広大な山林が、いくつもあった。
それらを人が住むために、行政が都市計画を考えて数十年かけて開発した、
言わば作られた町も多い。
北に行けば、相模湖、その南に、東西に大山から丹沢の山々が連なっている。
自然も多い、相模原から津久井を抜けて西に向かうと、山梨県道山村に入る。
道山村は、山深い、自然の素晴らしい、村の中を水の綺麗な道山川がながれ、
クレソンで有名な所。この道山川は、富士山の伏流水を源にした、名水で名高い
清らかな水で、昔から橫浜港の水は、外国船の乗組員に、赤道まで腐らずに
飲める水として重宝がられていた。明治時代に、その道山側の水を、貯水場に
貯めて、消毒して、神奈川県、橫浜市の水として、長い間、使わせて
いただいている。
この小説は、その道山村で、昔から、地域の便利屋として、この地域のために
働く、若者の話から始まる。自然を愛し、慈しみ、敬い、自然と共に暮らしを
こよなく愛する家族の物語である。ここは、山梨県道山村、どこかって?
裏丹沢と呼ばれて、神奈川で有名な、丹沢の山々の北側に位置して
、昔の神奈川県津久井郡の西側で、山梨の東端に位置している。
富士山の伏流水が流れている道山川が道山村を流れて、その水が処理されて
、橫浜の飲料水として使われている。
昔から、名水として知られ、横浜港に立ち寄る外国船が、この水を好んで、
使った。その理由は、長期間、飲める水として重宝がられていた。
加藤家は、代々、この集落に住み、加藤工務店として、大工仕事、電気工事
、配線、ガス、水道の修理、自動車修理まで、何でも修理する仕事を生業
としていた。
現在の当主の加藤吉宗も地元の学校卒業して、この地区の昔からの工務店に
、奉公に行き、見よう見まねと、大工の棟梁、左官屋、工事職人に厳しく、
仕事を教えられて、現在、この地区で、加藤工務店として、30km圏内の
建築関連の仕事を一手に引き受けて、若い弟子を8人持ち、大工4人、左官屋
や5人、パイプ、屋根、金属加工のできる者5人と22人の工務店の社長を
している。
地元の農家の娘、加藤タネと結婚し、4人の子供がいる。長男、加藤一郎は
、田舎の生活が好きではなく、一刻も早く都会に出たいと考えていた。
そのため一生懸命勉強し、県立相模原高校に合格して、かなりの遠距離を
バイクで通学して、卒業後、八王子の東京都立大学経済学部出て、東京の
MB銀行入行して、その会社の寮から、銀行勤めを始めた。
次男の加藤次郎も、兄の一郎を見習い、県立相模原高校へ合格し、バイクで
通い、橫浜市大経済学部を出て、NM証券に入社し、橫浜の営業所に配属され
仕事をしている。長女の加藤一美は、やはり田舎暮らし嫌気がさしていた。
中学卒業後、自宅から一番近い、県立津久井高校を卒業後、勤めた橋本の
スーパーマーケット上司の愛田勝夫と結婚して、彼の故郷、秋田へ引っ越して
いった。次女の加藤夏子も県立津久井高校卒業後、厚木のスーパーマーケット
に就職して、上司の崎山俊郎と結婚し、彼の故郷、四国・松山に引っ越して
いった。
この小説をきっかけに、この地を訪れる人が、増える事を
切に願います。これは、単なる営業、宣伝ではありません。
実際に、行ってみて、自分で、判断して下さい。
私は、橫浜の隅に、住む、しがない老人です。
ただ、ここの水を汲み行くようになり、ここの自然が
大好きになった。現在、大病してから、行けなくなったが、
是非、一度、都会から近くても、こんな素敵な所が
ある事を知ってもらいたい。




