巻の五 本当にイケメン無罪なのか? 2/2
「中納言家はクズばっかりだ、あの家にいるのは人を人とも思わない鬼ばかりだよ」
「な、何の話だよ」
「あの家には帝室の血を引く高貴の姫がありながら狭っ苦しい部屋に閉じ込めてずっと縫い物をさせて奴隷みたいに扱っていたんだ。
何が四の君の聟がねだ、四の君よりずっと美しい姫を隠しておきながら!」
「……高貴の姫? 誰?」
「今の北の方じゃない女王がお生みあそばされた美女だ。
わたしの妻として二条の邸にいるが」
「ちょっと待って、本当に何の話?」
女王は天皇の直接の娘じゃない、宮さまの娘。
……ってさっきからぼくと何の関係もない話が続いているような。
「――我が妻は娘とも扱われず、あの家で散々辛酸をなめさせられていた」
彼はまた舌打ちした。――妻? 道頼の?
初めて聞いた。
女遊びしているとは知っていたけど結婚していたなんて。
いや待てよ。
こいつ、中納言邸に忍び込んだことがあるんだっけ?
「ついには六十の典薬助なんて下賤の助平爺に手籠めにされそうになっていたところをわたしが攫ってきたんだ!
わたしが助け出さなかったら今頃どんなことになっていたか!
あそこは鬼の棲処だ、中納言一家なんか破滅すればいいんだ!」
道頼は彼らしくもなく声を荒らげて、無茶苦茶を言い出した。
「我が妻が物置に閉じ込められ折檻され、気色の悪い年寄りに言い寄られていたというのに、四の君は何も知らずに甘やかされて。
その上、わたしを四の君の聟に、だって。
冗談じゃない。
四の君を幸せになんかさせるものか!
だからあなたを差し向けたんじゃないか!」
その言葉を。
咄嗟に理解できなかった。――差し向けた?
彼はぼくの結婚を祝福などしていなかった?
「ああ、いや。
あいつらが反省したら何か償っておいてやるよ。反省したらな」
それでようやく理解した。
――この男が罠にかけようとしていたのはぼくではなく、十四歳の姫の方だったのだ。
彼女を傷つけるために、ぼくを。
身分も低ければ気の利いた話もできない醜男を送り込んで。
道頼はごろりと畳に寝転がり、投げやりにぼやく。
「こんなひどい手紙を送ったんだ。
中納言家はてっきりお前と四の君のことを破談にするかさっさと離婚させるかと思ってたのに、何でかぐずぐず通わせてるし。
――知ってるか?
末娘がお前と結婚したせいであちらの家は都中の笑いものになってるんだぞ。
蔵人の少将なんか馬と相聟になった気分はどうだ、今日は馬を連れてこないのかって宮中で散々イジられてすっかりへそを曲げて、三の君と自然消滅離婚まっしぐらだ」
……それってぼくのせいなの?
いじめるやつが悪いのでは?
蔵人の少将はぼくを馬ネタでイジってた方なんだから因果応報では?
って、都中の笑いものになってるから、ぼくにご飯出さなかったり四の君が泣いてたりしたの?
何だか寒気がし始めた。
「――お前もお前だよはしゃいで子供なんか作っちゃって。
わたしもそこまでするつもりはなかったのに。
適当に別れたらどこかよそにいい夫を見繕ってやるつもりだったのに。
よりによって面白の駒の子を生むとは。
どんな子馬なのかな。
世間には言えない子になるんだろうな」
そこにいたのはぼくの知っている道頼ではなかった。
パリピは、人をからかいこそすれ恨んだり憎んだりすることなどないのだと思っていた。
「でもやりすぎでもないな」
道頼はふう、とため息をついた。
「――わたしの妻は一歩間違ったら典薬助の子を生むことになっていたんだ!
あいつらは高貴の姫を辱めて子を生ませようとしたんだ。
それに比べたら政略結婚が一回や二回失敗したからどうだって言うんだよ!」
「お前は何様だ!」
――と言えればどんなによかったか。
むくりと道頼は起き上がると、ぼくの目を覗き込んだ。
――その目に燃え上がっていたのは。
憎悪と嘲り。はっきりとわかった。
この男の本性が。
「わたしの歌の意味もわからないほどお前が馬鹿だとは思っていなかったけどね。
どうして勉強しなかったんだ?
ずっと邸にいるんだ、時間は山ほどあったろう?
寝すぎて脳が腐っているのか?」
鼻で笑う。雅な言葉を使い、雅な和歌を詠む男ではなかった。
「お前はことあるごとに人に笑われるのが嫌だと言うけれどね。
わたしは妻のもとに通うのに雨の中歩いていたら、小役人に突き飛ばされて牛の糞の上に転んだことがあったよ。
それはひどく笑われたものさ。
――一回や二回笑われたから何だと言うんだ」
その言葉がひどく胸をえぐった。
――そりゃあお前は一生に一回や二回しか笑われたことがないんだろう。
牛糞にまみれていたときに笑われただけで。
そんなの誰も知らないじゃないか。
人生のうちどれだけ牛糞にまみれて笑われてたって言うんだよ。
こっちは四六時中ずっとだ。
牛糞なんて理由もないんだ。
鼻息がキモイとかどうしろって言うんだよ。
と言えればどんなによかったか。
こいつに人の気持ちはわからない。絶対にだ。
イケメン無罪、と人は言う。
そんなこと言ったってイケメンなら何をしても許すんだろう? と。
道頼が帰った後、ぼくは夜具をひっかぶって寝転がった。
だがいつものようにすぐに寝入ることはできなかった。
「――あいつは人ではなく物の怪だ」
十四歳の女の子にひどい言葉を投げつけて。
思い通りの結婚ができなかったのに子供だけできてしまって、いい気味だと。
ぼくよりあんなやつが世間に評価されているなんて。
顔がよくて歌が詠めるというのはそんなに偉いことなのか?
不細工でうまくものを言えないというのはそんなに罪深いことなのか?
その後、道頼は賀茂祭りで中納言家の女車と車争いをして車箱が車輪から外れるほど壊し、中納言の北の方、高貴の貴女を牛車から転げ落とした。
その上、家来たちがくだんの典薬助とかいう老人の冠を引きむしり、公衆の面前で散々足蹴にして、嬲りものにしたと言う。
そのときの傷がもとで典薬助は伏せって死んでしまったそうだ。
噂を聞いて、ぼくは。
相変わらず父の邸で、夜具をかぶって寝ているしかなかった。
これ以上あの家にかかわったらぼくも殺されるのではないかと思った。
※原典通りの展開です。
なお六十歳老人集団リンチ傷害致死教唆に関する十九歳青年の供述。
「うちの妻が幸せになったのを見せつけてやるつもりだったのにさっさと死んでしまって。もうちょっと手加減させればよかったな」