ある悲惨な結婚
今は昔。引目かぎ鼻の公達が麗しの姫君を家族に隠れて家屋敷より盗み出し、華燭の典とはほど遠い寂れた邸でひっそりと和歌を詠み交わし、将来を誓い合っていた頃の話でございます。
京の都では男君は密かに女君のもとに二晩通い、三日目の晩に三日夜の餅を食べてやっと両親公認の夫婦となり、その次の日や次の次の日に露顕をするものです。後の言葉で言えば披露宴でございます。親兄弟、従者どもを集めて盛大に祝うものでした。中納言家の露顕もそれはそれは豪勢な宴であったと言います。
ですがこの日。なぜか花聟は。
寝殿に集った人々に爆笑されておりました。
一番笑っていらっしゃったのは蔵人の少将というお方でした。
こちらの方は三の君のお聟さま。姿形も身分も立派な公達ですが、少々ずばすばものを言うくせがおありでした。
笑いに笑った後、この方は怒り出しました。
「ふざけるなよ! おれの相聟が面白の駒とかありえるか!」
この頃は通い婚、姫君の家族の邸に男君がお聟さまとなって迎えられるものでした。姫君が二人、三人といらっしゃる邸ではそれぞれの姫君の聟同士は相聟と言って義兄弟なわけですが、あいつと義兄弟になるのは嫌だとか義兄弟なのにあいつと扱いが違う不公平だとか、まあいろいろと面倒くさいものでございました。中納言家には大君、中君、三の君、四の君の四人の姫君がおられました。
この日、祝福されるべき花嫁の両親、中納言と北の方は大激怒。女房たちすら目を合わせようとしない有様でございました。一方で聟君の従者たちは饗応の膳をみっともないほど聞こし召しておりました。
そのうち姫君側は人が一人減り、二人減り。ご姉妹も早々に対屋に下がっておしまいになられたものですから、女房や女の童、姫君のお世話をすべき女どもですら身を隠してしまう始末です。
閑散としてしまった宴の席で、気まずくなった聟君は花嫁のお部屋に参ります。
――花嫁、四の君はさぞや立派な宴で皆、喜んでいるのかと思いきや、ご両親に問い詰められて半泣きでございました。姫君は露顕の宴に出ないものであります。
そこに聟君がやって来て御帳台に入ろうとなさいます。
当たり前のことが、こちらの姫君には大層つらいことでございました。
ですがつらいことは御帳台の中でお終いにはなりませんでした。
女房どもはかかずらいにもなりたくないとばかり。聟君がいらっしゃるというのに夜が明けても誰もお手水やお着替えをさしあげる者がありません。
これを読む皆さまはたやすく筒から水が出、衣桁に衣が山とかかっている魔法のような国にお住まいと聞きますが、京の都では人の手でなさねば動かぬことばかりでございます。お顔を洗う水と角盥をご用意するのも、お召し替えする衣を一揃いお出しし手伝うのも、水飯と魚と漬け物の簡単な朝餉をご用意するのも、全て女房や女の童の務めでございます。
特に聟君の衣は内裏に参内するのに恥ずかしくないものを、婚家の者たちが全力でご用意いたします。中納言家では腕のよいお針子でもいるのか、それは見事な衣を縫って仕立てて聟君のお姿を立派に整えたものですが、こちらの聟君には何の用意もされませんでした。
ついに四の君は言いわけをしてお一人で御帳台を膝行り出、乳母のもとに駆け込んでゆきました。
「わたくしは右近の少将さまの妻になると聞いておりました。あの方はどなたなのですか」
わっと乳母に泣きつきます。乳母もまごついてしまってどうしてよいのかわかりません。
ご両親が四の君の許嫁と定めたは帝のおぼえもめでたく美男と名高き右近の少将さまのはずでございましたが、こちらの聟君はその親戚の兵部少輔さまでございました。
人違いでした。
もう結婚三日目でした。
一日目、二日目は聟君は夜の暗い中ひっそりと姫君のもとにやって来て夫婦の契りを交わし、夜明け前に帰るもの。家の者は誰も気づかないふりをします。
それでも婚約した上での結婚ではご両親にご挨拶をするものでしたが、こちらの聟君はそれを省略してしまい、ご両親も「今どきはそういうものか」とお思いになってしまったのです。
露顕までは誰も聟君の顔を見ようとせず姫君すらもよくわからなかったのです。
今更〝違う〟とはご両親も本人ですらも言えないのでした。
この兵部少輔さまという方は鼻の穴が非常に大きく馬のようなお顔であったため、〝面白の駒〟と呼ばれ、参内もせず父上の邸に引きこもっておられることで有名でございました。
この日、兵部少輔さまは聟らしい世話なぞついに受けぬまま昼すぎまでうちやられたまま。
やがて己で支度して邸に帰っていったと言います。