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いつか、見たことがある花

「大槻、確かあなた、立花さんと多少なりの交流があったわよね。もちろんその多少がノミ程に小さく半紙より薄いことはあなたも重々理解しているでしょうけど、そんなあなたの微弱で脆々しい交遊関係を見込んで頼みがあるの。……いえ、その言い方ではまるで私があなたに頭を垂れて協力を懇願しているみたいね。言い直すわ、大槻、これは命令よ。あなたは私ほどの存在に命を受けることをこれ以上ない喜びと感じ、感涙の涙を流しながら尽くし、従いなさい。私は主であなたは奴隷なの。あなたにピッタリの立場だと思わない? 言っておくけど、私は誰彼構わず配下に抑えるほど見境のなさはないわ。私は信頼している人間にしか隙を見せないし、心の内を明かしたりはしない。ちなみに勘違いしないでほしいのだけど、私はあなたのことをその辺りに転がっているミジンコぐらいにしか思っていないから。これは絶対的君主である私が、餌のプランクトンにありつけなくて喘いでいるミジンコに救いの手を差しのべているのよ、大槻。分かったのなら今すぐその腑抜けた表情を止めて、私の命令を一字一句聞き逃さないよう努めてはどうかしら、大槻」

 

 文字にして400文字以上、息継ぎ5回。激流のように唸りを上げながら俺の鼓膜を叩いた大之木未来子(おおのきみらこ)の暴言ですらないただの自己中心的なイベントは、よりによって朝のホームルーム前、俺が教室へ入り、さて1時限目の授業準備でもしようかと通学バッグを机に置いたところで発生した。都合のいいことに周囲で聞き耳を立てるクラスメイトの影はなく、それぞれが丁度よく離れた場所でそれぞれの会話やら時間やらに没頭しており、なかなかどうしてこの空間には俺と大之木未来子の二人だけだった。

 

 唯一の頼みの綱、江藤なる男子生徒は朝練の疲れから机に突っ伏して寝息を立てており、とても俺の風避けとして召喚できるほど万全の状態ではなかった。もっとも、朝イチから大之木未来子の急襲があると分かっていたら、あらかじめ叩き起こして文字通り俺と大之木未来子との間に壁として置いておいたのだが。

 一時限目は数学で、教科書の類いを家に持ち帰らない起き勉常習犯の俺にとって、この時間は適当な誰かの課題を書き写す大切な時間だったが、大之木未来子がそれを聞き入れて大人しく引き下がるとは思えず、かえってそれが暴言という火薬に火を着けることになるのは火を見るよりも明らかなため、俺は例によって大之木未来子の言葉を聞き流し、無視を決め込んだ。

 そして彼女がそこで攻撃の手を緩めないことも、悲しいほどに理解していた。

 

「いい度胸ね、大槻。あなたが私の声をあえて無視しているのは分かっているけど、これはあなたの責任でもあるのよ。あなたが昨日、立花さんと何を話していたのかは知らないし興味もないけど、きっとあなたの身勝手で無責任な発言が立花さんをけしかけたのね。……文芸部に入部したいと、そう言われたわ」

 

 俺は思わず立花日和を探した。彼女は教室の中心で、クラスメイト達の中心で楽しそうに朝の雑談に興じていた。普段通りカーストの最上位に座する彼女だが、まさか昨日あの後、すぐに行動に移るとは。その行動力故に彼女はその位置にいて、同性からも異性からも支持されているのだと改めて感心した。

 

 そんな俺をよそに、大之木未来子はまた言葉を続けた。

 

「あなたには3つの選択肢があるわ。1つは立花さんの説得。もちろん私は立花はんの入部を拒否したけど、生憎なことにただの生徒である私には厳密にその権限はないわ。それは何の効力もない口約束でしかなくて、正式な入部届けを正式な手続きを経て出されてしまっては、彼女の入部を指を加えて黙って見ているしかないの。だからあなたは立花さんが早まらない内に、あなたの貧相な語法力の限りを尽くして彼女を説得してほしいの。あなたの卑怯さと頭の回転の早さは私も認めているから。もちろん、褒めているわけではないわよ。2つめは私の説得。……まぁ、これは無理ね。何故なら、私の説得に成功するということはつまり、私があなたの言葉に頷き、折れ、感化され、耳を傾け、従うと言うこと。あなたごときの言葉に、ね。考えてもみなさい。説得とはつまり、される側がする側の配下に下るということ。相手の優位性を認め、自分のいたらなさを認め、降伏するということ。それが一時的であったとしても、ね。……果たしてあなたが、果たしてあなたごときがほんの一瞬でも私の上に立ち、私を見下ろすことが出来るかしら。いいえ、出来るはずがないわ。私は自分のことを自賛したり過信する質ではないけど、それでも私とあなたには学問や容姿、すべてにおいて天と地ほどの差があると確信しているわ。きっと誰に聞いてもそれが覆ることはないの。分かるかしら、つまりあなたに、つまりあなたごときに私の説得なんて土台無理なのよ。それでも一応、ほんのコンマ数パーセントの確率がある以上、選択肢の一つとしてカウントしておいたけど。……私は絶対、という言葉ほど嫌いなものはないの。もし私が何かの気の迷いであなたの説得に応じることがあったなら、その時は潔くあなたのことを認めて、快く立花さんを迎え入れるわ。それがいかに困難なことかは、あなた自身よく理解しているでしょうけど」

 

 さて、大之木未来子による3つの選択肢の内2つが挙げられた訳だが、この手のプレゼンでトリを務める3つ目の選択肢は、大抵効果的で打開的な、プレゼンテーターが最も自信のあるもの、もしくは余りにも非現実的でちゃんちゃらおかしく、実現の可能性がないいわゆる『オチ』が選ばれることが多い。

 大之木未来子の場合は後者で、あまりに突拍子もない提案に思わず声が漏れたのは言うまでもない。

 それは前2つに比べると、行程もいらず時間もかからず、たった1言2言で解決してしまうほどに簡単で、それでいて絶対に実現しない、悪魔のような案だった。

 

「3つ目。それはあなたの入部よ、大槻」

 

 

 

 

 

 午後の睡魔と戦いながら、古典の教科書に何となく目を通す。時折窓を揺らす風に背筋を張らせながら、何となく右隣へと視線を移す。

 重力に従いサラリと落ちる黒髪に、珍しく授業に対応した教科書を見つめる青い瞳、細く長く白い指が捲るのはあと半年は開かないであろうページだが、大之木未来子は僅かな表情の変化も見せずに本の世界に没頭していた。

 

 要するに彼女は立花日和単体での入部ではなく、俺という風避けを伴っての入部なら許可する、とそう言ったのだ。もちろんそれが嫌々な提案だということは、あの時の彼女の表情から見てとれた。

 果たして部員数が3人に増えた文芸部で、彼女がどうやって立花日和を上手いこと遠ざけるつもりなのかは知らないが、立花日和というコミュニケーション能力の塊がそう簡単に諦めるとは思えなかった。

 

 そもそも俺はあの選択肢のいずれかを選ぶつもりもなく、当人の問題は当人同士で解決しやがれ、というスタンスを貫くつもりたが。

 

 とにかく、それは儚い風だった。窓を叩くそれはやがて、咲き誇る桜を丸裸にしてしまうだろう。植物ほど季節の移り変わりを痛感させるものはなく、気がつけばすぐに夏が来る。

 

 時の激流にすっかり酔ったように、いつか去ってしまう春の心地よさを噛み締めるように、俺は目を閉じ、まどろみに消えた。

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