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とにかく、それは儚い風だった

 気象庁の出した確率に従って、俺の予想は的中して、そして大之木未来子(おおのきみらこ)の忠告通り、その日は午後2時を過ぎた辺りから雨になった。

 雨足が激しくなるにつれ傘を持たない生徒達のざわめきは大きくなり、それを教師が制した辺りで大之木未来子は読んでいた本を閉じ、鬱陶しそうに窓の外へと視線を向けた。……もちろん、彼女の気に障ったのはそれから夜中まで降り続くことになる豪雨ではなく、本の世界への没頭を妨げたクラスメイト達の雑音である。彼女からしてみれば、雨の音はむしろ物語に流れる心地よいBGMで、それを蔑ろにされて内心怒り狂っているだろうが、表情を伺えば実に冷静で、黒い髪と青い瞳を持つ毒のない状態の大之木未来子だった。

 そもそも授業中に教科書ではなく自身の小説を読むことからしておかしいのだが、彼女の成績は教師からそれを指摘されないほど行動に伴っているのだから、俺がとやかく言う筋合いはないし、言うつもりもない。

 とにかく、その雨は一度もやむことがなく、放課後の到来を告げるチャイムの音さえ掻き消した。

 

 

 

 

 

 そういえば、と前置きを入れると、立花日和は思い出すようにこめかみに手をやり、言った。

 

「大槻くんって、部活動入ってなかったよね?」

 

 放課後とはまさしく、勉学に勤しむ学生に与えられた休息であり、グラウンドで汗を流す気も上下関係に悩まされながら表面上の結束をとるつもりもない俺からしてみれば部活動への入部は苦痛でしかなく、今この瞬間、何を企みわざわざ俺へと声をかけたか分からない立花日和との会話でさえ、早々に切り上げ帰路につきたいほどだった。

 とはいえおおっぴらに面倒くさそうな表情を出すわけにもいかず、最低限の肯定と予測される次の彼女の言葉に対しての否定を交え、俺はそれに答えた。

 

「あぁ、家庭の都合でな。別にやりたいこともないし」

 

 立花日和の質問が何気ない会話の中で生まれたキーワードから発展したものであれば、もっと別の返答があっただろう。例えば今日の昼食時、彼女の友人も交えて囲んだ席の談笑でも、そんな話題が出ておかしくはなかった。しかし彼女は場を改めて、他2人がいないタイミングを狙って俺に近づいたのだ。

 

「そっか……。んー、実は私、文芸部に入ろうと思ってて。でね、今文芸部には1人だけ部員がいて、その部員っていうのが……」

 

 やはり想像の通り、立花日和の質問には勧誘という裏があった。それだけならまだしも、周りに聞こえない程度に声のトーンを落とした彼女の視線の先に座る生徒に、俺は思わず眉を潜めた。物音の1つも立てずに支度を済ませた大之木未来子は、その絹糸のような黒髪を軽く払うと、教室をあとにした。それまでの彼女と違うところといえば、教室を出て左へ曲がったところか。その先、しばらく歩いて階段を上れば、文化部に用意された部室がずらりと並んでいる。さしずめ、帰り支度ではなく行き支度になるだろう。

 

 大之木未来子の姿が見えなくなったのを確認して、立花日和は言葉を続けた。

 

「ほら、大槻くんって大之木さんと仲いいじゃない。一緒に入部してくれたら心強いなって」

 

「ちょっと待て。俺と大之木のどこが仲よさげに見えるって?」

 

 立花日和の突拍子もない発言に、俺は即座に返答した。もし仮に大之木未来子が誰かと親しげに接していたとして、相手が俺でないことは俺自身がよく知っている。何故なら彼女は俺を敵視し、俺も彼女に対して巨大な防壁を張っているからだ。もしそれが崩れようものならそれは俺の敗北を意味し、精神を蝕まれ、廃人への道を辿ることになるだろう。そのため、いついかなる時もメンテナンスを怠らず、常に最高のパフォーマンスを持って彼女の襲撃に備えており、故に『親しげな様子』など発生するはずもなかった。

 

 しかし立花日和の目には、それがかえって親しさを増長させる要因となったようだ。

 

「だって大之木さん、大槻くんのこと呼び捨てだし、大槻くんだって大之木さんのことニックネームで呼んでるじゃない」

 

 ぬかったな、大之木未来子によるマシンガンの乱射は時と場所を問わず無差別に行われるが、それに対する俺の反撃はなるべく周りに人の気配がない場所を選ぶよう心掛けていた。それは大之木未来子との攻防が周囲にあらぬ勘違いをさせてしまう可能性があると思ったからだ。そしてその想定は図らずしてクラスメイトの立花日和の目に留まり、こうして放課後という限られた時間を割き、風避けの壁として勧誘を受けることになっている。

 

 俺は静かに憤慨した。

 

「要するに立花は大之木のことが苦手なんだろ? 生憎だが、俺もあいつは苦手だ。それに、どうしてこんな中途半端な時期に部活動を始めようなんて思ったんだ?」

 

 立花日和は塾に通っていて、生徒会の活動も控えていて、それに加えて帰りが遅い両親の代わりに夕食の準備を受け持っている。そう話したのは彼女のはずだ。だとしたらなおさら貴重な時間を割いてまで、苦手な女子生徒のいる文芸部に入部しようなんて思うはずもない。

 

「本音を言うと、内申点が欲しいんだ。やっぱり部活動の1つでもやってると、これから出会う人たちの印象も変わってくるじゃない」

 

「だとしても、どうして文芸部なんだ?」

 

 一番の問題といえば、そこになる。この高校はなかなかに部活動が盛んで、ろくに活動もしていない文化部なら他にもある。わざわざその中から文芸部をチョイスした意図を、俺は知りたかった。

 そして対する立花日和の返答に、俺は思わず苦笑した。

 

「なんていうか、リベンジ、かな」

 

 

 

 

 

 新学期初日、あるいはそれ以前に行われた立花日和と大之木未来子の会話を想像しながら、俺はベッドに横になった。

 立花日和は持ち前のコミュニケーション能力を全開に大之木未来子へと迫り、大之木未来子はそれを迎撃、俺から見てほとんどないに等しい立花日和の隙を正確に突き、突き飛ばしたのだろう。それが結果として、立花日和の闘争心に火をつけることになるとは知らずに。

 

 もちろんだが、俺は文芸部に入る気は更々なく、立花日和の誘いは丁重に、厳重にお断りして帰路についた。

 風避けを失った彼女が果たして文芸部に単身乗り込むのかは定かではないが、大之木未来子の意識が立花日和に向いてしまえば、俺には一時の、あるいは永劫の平穏が訪れることになるだろう。むしろ風避けにしてしまうぐらいの狡猾さがないと、壁は脆弱ですぐに崩れてしまうものになる。

 

 例えば、雨の降る夜に……、今夜みたいな日に現れる、底知れぬ不安と不意に光る安心感。いわゆる吊り橋効果を武器に、なんなら勝手に親しくなって、なんなら大之木未来子の毒を綺麗さっぱり抜いてくれ、と立花日和に祈りつつ、俺は眠りについた。

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