5「人前という事で自重している」
何事だ、と振り向くリッカ。
それに対し、失礼しました、と頭を下げるのは昨日見たエイムという名の楽士だった。
「エイム殿。」
「エイム、で構いません。敬称を付けるに値する人間ではありませんから。
ああ、そういえば正式に名乗っていませんでした。
改めまして王宮付き楽士のエイムと申します。」
亜麻色のくせ毛を揺らしながら、柔らかい笑みを浮かべる。
うーん、好青年。
それに何だか安らいだ気分になれる。
姉上が惚れたのは無理もないか。
「私は第二王女のリッカ=アイネウスと申します。」
「存じ上げております。
セレン様······セレンティナ殿下がよく話して下さいました。」
セレン、と愛称で読んでしまった時、しまったという顔をしたエイム。
そんな彼に、リッカは手を軽く振る。
「構いません。想い合っているんですよね。」
「お気付きでしたか。
恋人だとか、名のあるものではないのですが。
一国の王女と恋仲だなんて大問題ですからね。」
つい母性を擽られてしまう悪戯が見つかった少年の様な笑み。
「そうですね。
でも皆大体気付いてますよ。
姉上に近しい者であれば。」
なんとも言えぬ庇護欲が湧き上がるのを抑えつけるリッカ。
「参ったな。もう終わりだというのに、皆に知れてしまった。
···なんて辛いのでしょうか。
あの方は同じ王族の方と結婚してしまう。」
伏し目がちで呟く。
「エイムさん、」
「慰めの言葉は不要です。余計に悲しくなってしまいますので。」
途端に少年っぽさは消え、大人の男の哀愁が漂う。
「慰める気はありません。
そういうの、苦手ですし。
でも、励ます気ならありますよ。」
「はい?」
えへん、と胸を張るリッカに目が点になる。
「姉上は確かに貴方の事が好きです。
きっと初恋でしょう。
17年間ストーカーしてきた私だから分かります。
貴方は姉上の初恋の人。
その事を誇りに思って下さい。
そうじゃないと、姉上に失礼じゃないですか。」
言い切った、と満足げである。
「······変わったお方だ。
先程も庶民らしい悩みをぼやいていらしたし。
けれどどこか安心する。
これも愛情深い女神コンヘラシオンの血を継ぐ方だからでしょうか。」
遥か昔にアグアローネ地方に降り立ったという氷の女神コンヘラシオン。
ウィスタリア王国の王族は、女神が人間との間に儲けた子の直系の子孫だ、と古文書には記されている。
王族含め、アグアローネ地方の民全てが知っている事だ。
それをただの言い伝えと捉え、迷信の様なものだと思っている人間もいた。
しかしウィスタリア王国第一王女セレンティナの誕生により、その認識はひっくり返された。
彼女の容姿が、伝えられてきた女神のそれと全く同じだからである。
透き通る様な美しい紫の髪。絹糸とも言える繊細さを持ち、光に当たると眩しい輝きを放つ。
明るい紫の瞳。聡明さが美しさを増幅させ、それから光が失われる事はない。
すらりと伸びた背に、雪の様な白い肌。
全てが全て当てはまってしまうのである。
加えてセレンティナ自身の人柄と人望と。
セレンティナが、女神の生まれ変わりと言われるのにそう時間は掛からなかった。
「それは姉上に言うべき台詞です。
私は生まれ変わりでも何でもありません。」
「異端、と仰りたいのですか。」
エイムの突っ込んだ質問に思わず眉をひそめる。
「申し訳ございません。お気に障られましたか。」
「いえ、面と向かって他人から言われるのは久しぶりだったもので。
でも、気にしません。今はもう。
姉上が庇ってくれますから。」
微笑ましい、という様に目を細めるエイムとは対照的に、リッカはデレデレした笑みを浮かべる。
リッカにとってヨダレは通常装備なのだが、人前という事で自重している。
「どんな髪でも目でも、私の可愛い妹だ。
誰にも文句は言わせない。
なーんて言ってくれて。」
うへへ、あれは惚れました、というおかしな副声音をエイムは聞かなかったことにしている。
「それに皆、私よりも姉上を見る。ごく自然に。
だから皆、私のことなんて忘れてくれる。
あの人が私の姉上で良かった。」
「セレン様も貴方が妹で良かったと仰っていました。
良い姉妹関係ですね。羨ましく思えます。」
エイムは再び目を細める。
「エイムさんにもご兄弟が?」
妹で良かった、良かった、良かった······その言葉を姉の声で脳内で無限再生しながら、尋ねる。
「いる事にはいるのですが、兄弟が多いせいか関係性が薄いのです。
同居人、という感じで。」
「もしかして異母兄弟ですか?」
自分自身も異母兄弟と上手くいっていないリッカ。
思い当たる所があった様だ。
「姫君もですか。」
おや、と眉を上げる。
「父上の後妻の子供達と上手くいかないんです。
あの子達も私と同じ様に母親を亡くしていますし、共感出来ることも多い筈なんですけど。」
「中々難しいものです。」
「ですねえ。」
日向ぼっこをする老人の様な口調になり、二人は顔を見合わせて笑った。