4「身分差の恋になってしまいます」
「姉上があんなヘタレと?
冗談じゃない。
結婚を決めた父上はいつもどうかしている。
···絶対いつか始末する。
そう、隣国ライラントの王はまだ若かった筈。
王妃も側室も妾もいない!
趣味はお忍びで城下町を探索する事。
よく一緒に探索しました。」
ライラント王国に留学(人質)に行っていたリッカは、外国の内政もよく知っている。
「姉上と話が合いますよ、きっと。
自由人気質な方ですし。」
「リヒト様に負けず劣らず見目麗しいと伺いました。」
「あー、うん、そ、そうですね。
イケメンですよ、はい。」
彼がそこそこの顔であるのは確かだが、顔だけならリヒトの方が良いだろう。
噂に尾ひれがついてしまうのはよくある事だ。
事実を知っているリッカだが、他国の王族を貶める事は出来ないので適当に誤魔化す。
「いかがですか、セレンティナ様。」
マリーネがずいっとセレンティナに迫る。
「いかがと言われても、それは無理な話だ。
私が他国に嫁いでしまっては、ウィスタリアで王になれない。
私の望みは王になり、この国を豊かにする事だ。
民を愛し、民に愛され······そんな王に私はなりたいんだ。
お堅いこの国を改革して、父上が出来なかった事をやり遂げたい。
そうしたら、皆自由に暮らせるだろう?」
なあ、リッカ。
と優しく微笑みを投げかける。
「姉上···」
差別を受けていた(いる)自分の事を指しているのだと分かっているリッカは、涙ぐむだけで何も言えなかった。
マリーネははらはらと流れる涙をハンカチで拭う。
暖かくもしんみりとした空気をぶち破ったのは、やはりウェルネシアだった。
基本空気を読めない、のではなく読まないアホメイドである。
「お話中申し訳ございません。
こちらの楽士がセレンティナ様にお目通りをとの事で。」
隣に立つ男を示す。
「エイムか、どうした?」
ぱっとセレンティナの顔が明るくなり、男に笑いかける。
エイム、と呼ばれた男は人懐こそうな笑みを返し、竪琴を取り出す。
「姫様方、お嬢様方、そんなに泣かれては美しいお目が腫れてしまいますよ。
ここは一つ、私めの歌で愛らしい笑みを取り戻しては頂けないでしょうか。」
エイムの柔らかい雰囲気に流され、セレンティナと侍女は微笑みを浮かべて、かき鳴らされる竪琴に合わせて歌い出した。
リッカはそろそろと姉の膝の上から頭を抜き、離れた場所で傍観しているウェルネシアの隣に立つ。
「ウェル、あの男は?」
美しい旋律を邪魔しない様、ひそひそ声で話かける。
「エイムという名の楽士だそうです。
3ヶ月ほど前に王宮に上がり、セレンティナ様に竪琴を始めとする音楽を教えているそうですよ。」
「珍しいね、ウェルが人の事覚えてるなんて。」
「···少々思うことがありまして。」
無表情のまま眉を寄せる。
「何か姉上に害のあること?」
「いえ、そうではないのです。」
言葉を濁すウェルネシア。
これは何を聞いても答えはしない、と判断したリッカはそれ以上追求しなかった。
それにウェルネシアに任せておけば悪い様にはならないのだ。
彼女が言わないのなら、その判断は大抵正しい。
「にしても、王宮付きか。
結構名のある楽士なんだろうね。」
「ええ、色々な国を旅してきたそうですよ。
好奇心旺盛なセレンティナ様と気が合うのか、歓談する姿をよくお見かけ致します。」
「へえ、知らなかった。」
リッカの視界にエイムが写り込んできたのは今回が初めてである。
「どうせ姫様はセレンティナ様の周りの男など視界から抹消していたのでしょう。
このご都合主義が。」
「聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが。」
あ?とウェルネシアの襟を引っ張るリッカを適当にあしらい、ぽつりと呟く。
「何にせよ、不幸ですね。」
「···そうだね。」
リッカはウェルネシアに習い、セレンティナとエイムに目を向ける。
他の誰にも見せたことはない笑顔を咲かせるセレンティナ。
それに照れながらも爽やかに笑い返すエイム。
想い合っていることは一目瞭然であった。
「お馬鹿にも流石に分かりましたか。」
仮にも主人を鼻で笑うウェルネシア。
「お前この頃私に容赦ないよね。
私主人、お前下僕。分かる?」
「姫様は私の下僕。はい、認識致しました。」
「駄目だこのメイド。」
ウェルネシアの事は諦め、可愛らしい恋人未満達に対して溜め息をつく。
「こればっかりは仕方ないね。身分差、って奴かな。」
「そうですね。
······何も起こらなければ良いのですけれど。」
眉間に皺を寄せて意味深な発言を繰り返す。
「追い詰められた兎ほど、怖いものはありません。
くれぐれも用心なさいませ。
何かあっても私が命に代えずお守り致しますが。」
「···ん?命に代えてないよ。命懸けてないよ。」
珍しく真面目な瞳に流されそうになるリッカだったが、しっかり肝心な所に気が付いた。
「当然です。
貴方様ごときに懸けられるほど、安い命ではございません。」
「おい。」
「先程申し上げました通り、私は貴方に一生仕え、一生お守り申し上げなければいけませんので。
そう易易と死ぬ訳には参りません。」
「なにそれ惚れる。」
リッカの胸がとくんと動く。
「それに、」
1度言葉を切る。
「それに?」
首を傾げて次の言葉を待つ。
「私は強いですから。
死にようがありません。」
「結婚して下さい。」
男よりも男らしい益荒男ぶりを見せつけられ、つい敬語で求婚してしまうリッカであった。
「そんな事を言っては駄目です、姫様。」
「冗談だって。」
ケラケラ笑うリッカ。
「分かっています、姫様のお戯れだと。」
「ああ、うん。」
何だか···嫌な感じが。
リッカはウェルネシアから一歩距離を取る。
「けれど、けれどっ···身分差の恋になってしまいます!」
「なんで本気にしてんの?!
普段染めない頬まで染めて!」
ああっ、と悩ましげな声を上げるメイドに、大丈夫かこいつ、と改めて思いました、まる。
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翌朝変なテンションのままのウェルネシアにほっぺちゅーで起こされ、どうして良いか分からず取り敢えず学院指定の制服を着ようとした所で、半裸のリッカに襲いかかってきたウェルネシアを殴って自室を飛び出してきたリッカは中庭に座り込んでいた。
「朝日が眩しい。
少しづつ昇るのが早くなっていくな。
春だ。春が来てる。」
胸いっぱいに春の陽気を吸い込み、はああああと大きく吐き出す。
「えーと、そうそう朝の祈り。
女神コンヘラシオンよ、今日も朝が迎えられた事に感謝致します。
姉上が幸せになれる様、お導き下さい。
私のアホメイドの頭を直して下さい。
どうか明日も同じ穏やかな朝を迎えさせて下さい。
貴女の子である私、リッカ=アイネウスをお守り下さい。」
女神信仰が盛んなウィスタリア王国では、場所は問わず朝晩の祈りを義務付けられている。
敬虔な信徒は祈りの度に神殿に行くそうだが、生憎信仰心の薄いリッカにそんな暇はない。
学問が奨励されているウィスタリア王国には平均11歳から17歳頃までの6年間の義務教育がある。
ただしある一定以上の金銭的余裕のある家庭の子供にだけ。
地方の農村の子供たちは制度の範囲外だ。
ともかく義務教育を修了していないリッカは学院に通わなくてはならない。
財のある貴族の子供達は学院に通わず、個別に家庭教師を付けるというのも許されているが。
姉セレンティナは半分以上を家庭教師で済まし、弟妹達も家庭教師がついている。
毎日毎日王宮から遠い学院に通っているのは兄弟の中ではリッカのみである。
「くっそ、面倒だー。
今日から新学期だなんてー。」
昨日までの春休みのせいで休みボケしている自分の頭を起こそうと、頬をぺちぺち叩く。
そんなリッカの背後から、ぶっ、という誰かが吹き出す音が聞こえてきた。