1「ストーキングに勤しんでいた」
氷の女神コンヘラシオンによって創られしアグアローネ地方。
長ったらしい建国の神話等は後回しにして物語を始めよう。
アグアローネ地方には6つの国が所狭しとひしめき合っていた。
その中でも一番歴史が古く、一番権威のあるウィスタリア王国。
賢王として人々から尊敬される国王と、ウィスタリアの知と謳われる宰相に治められ、平和な時が流れていた。
その国王と国王最愛の王妃の間に生まれ、第二王女として育ったリッカ=アイネウスは御歳17。
今日も今日とて勉学
ではなくストーキングに勤しんでいた。
···どんな王女だ。
「ああ、姉上は今日も美しい。
腰まで伸びた紫の髪がキラキラと輝いて。
アメジストを凝縮した様な瞳もたまらない。
あんな瞳で見つめられたら腰が砕けそう。」
自室の窓から城の中庭を凝視し、双眼鏡越しに愛しい姉の姿を追う。
はっきり言おう。
大変気持ち悪い。
「侍女見習いの少女に花冠の作り方を教えていらっしゃるのですね。けれど姉上より少女の方が上手。
少々不器用な所も素敵です、姉上。
可愛いです。萌えます。
萌え萌えキュンキュンです。
そ、れ、に、何と言っても今日のドレスは白!」
ふわりふわりと舞い上がるドレスの裾を目を血走らせて追うリッカ。
もう一度言おう。
どうしようもなく気持ち悪い。
「純白の白!
清らかな姉上に相応しい白!
よくお似合いです。まるで婚礼衣装の様。」
そこまで言って、はたと口を噤む。
嫌な考えが頭をよぎったからである。
だが、ブルブルと頭を振り余計な思考を追い出す。
「馬鹿な事を考えるな、リッカ=アイネウス。
姉上はまだ結婚なんてなさらない。
私だけの姉上でいらっしゃるのだから。
永遠に。
そう、永遠に!」
ぐっと握りこぶしを天に突き上げた所で、頭に強い衝撃が来る。
気持ち悪いリッカへの天誅とも言える。
「馬鹿ですか、アンタは。」
リッカを殴ったその手で双眼鏡を取り上げ、絶対零度の目でリッカを見下ろすのはウェルネシア。
リッカの専属侍女である。
「ご主人様に馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。
クビにするからな。」
憤懣やるかたないという表情でウェルネシアに抗議する。
「ええ。
ええ、どうぞご勝手に。」
どうせ出来やしないだろうに、と鼻で笑う。
主人の怒りを孕んだ視線を物ともせず、白いフリルエプロンのポケットから何枚か紙を取り出す。
因みに王宮の侍女は皆、黒い膝丈ワンピースに白いフリルエプロンである。
ワンピースの丈を気持ち短くしている若い侍女も多いが、むしろウェルネシアは規定の長さよりも長くしている。
本人曰く、この私の美脚を見ていいのは姫様だけです、ということらしい。
どういう訳か全く分からない。
リッカは別段ウェルネシアの足に興味はない。
あるのは姉のセレンティナの足だけである。
「この、水着のセレンティナ様(ドキッ!ポロリもあるよ)のお写真は要らないのですね。
仕方ありません、処分致しましょう。
折角姫様の為に調達致しましたのに。」
と、リッカの鼻先で写真を振る。
人参を目の前で振られた馬の様に、煮干しを目の前で振られた猫の様に、リッカは揺れる写真を目で追う。
写真はどこから調達したのかは知らない方が良い事である。
ドキッ!ポロリもあるよ、の部分を抑揚も緩急も無しで言い切ったウェルネシアに言いたい事は沢山あるが、
「よーし、ウェル。クビなーし。
その写真は金貨3枚で買おう。」
ころっと態度を変え、彼女に金貨を握らせる。
「毎度ご贔屓に。」
悪い顔をしたウェルネシアが緩慢に金貨をポケットに仕舞うのとは対照的に、差し出された写真をコンマ1秒で回収するリッカ。
そしてそれらをだらしない顔で食い入る様に見る。
「姉上の足が、白い足が丸見えに。ぐへへ。」
「気持ち悪いですよ、姫様。このシスコンが。」
「シスコンで結構。」
ウェルネシアの嫌味を気にも止めず、というより寧ろ誇らしそうに言う。
やはり気持ち悪い。
そして、写真を「姉上フォルダ No.16」と書かれたアルバムに大切に仕舞う。
16···。
なんて恐ろしい数なのだろうか。
満足したらしいリッカは、おもむろに一つ結びにしていたラベンダーグレーの髪を解き、それに対して自虐的な笑みを浮かべる。
「あんな綺麗な紫の髪の人、憧れずにいられると思う?」
まるで絹糸!まるで宝石!と語り出した主人は無視してウェルネシアが続ける。
「まあ、綺麗ですよね。
姫様含む国中の娘が憧れ、国中の若衆が1度は恋に落ちるぐらいには。」
「でしょう?
勿論髪だけじゃない。姉上は全てが素晴らしい。
だから私はあの人が大好きなんだ。」
ウィスタリアの宝石、と称される第一王女セレンティナ=アイネウス。
今は亡き王妃譲りの輝く様な美貌を持ち、国王と並ぶ程の英知を備える。
驕り高ぶる事もなく、誰にも平等に優しく面倒見が良い。
少々ずぼらで不器用な所もご愛嬌で、彼女の魅力をより一層引き立てている。
国王を始めとする王侯貴族にも国民にも愛され、彼等を愛する良き王女。
それがリッカと8歳差の同母姉、セレンティナである。
「あれ程までに偉大な方の妹だというのに、よくひねくれずに育ちましたね、姫様は。
やはり細かい事を気にしないお馬鹿さんだからでしょうか。」
ああ、なんてお可哀想な頭なのでしょう。
そしてそんな姫様に仕える私も可哀想。
と嘘泣きをする。
「不敬罪でクビー。」
何が可哀想だ。
失礼な。
眉間に皺を寄せて、ウェルネシアにビシッと指を突きつける。
「おや、大変失礼致しました。つい本当の事を。」
慇懃無礼に頭を下げるウェルネシアに沸沸と怒りが湧くが、いつもの事なのでさらっとではないが流す事にする。
「というか、なんで私がひねくれずに育ったかって?
分かりきってるよ。
そんなの姉上の偉大さが故だ、ウェル。
あの人に嫉妬して何になる?
あの人を憎んで何になる?
あの人を害して何になる?
そもそも私なんかがかなう人じゃない。
······異端の私なんかがさ。」
どっこらしょ、とおっさん臭い言葉を吐きながら窓の縁に腰を掛ければ、春風が舞い込みリッカのラベンダーグレーの髪をばさばさにする。
その姿は1枚の絵の様で、美しい王女の絵の様で。
ウェルネシアはついつい見入ってしまう。
ただ、ただ······どうしても···綺麗であるが故に······リッカの口元に垂れる涎だけが勿体なかった。
「セレンティナ様を見て、涎を垂らすのはお止め下さいませ。
いえ、本当に。
勘弁して下さいませ。」
ウェルネシアが目眩を覚えるのも仕方ないと言えよう。