12「やっぱりどこか遠くへ行きたい」
そんなリッカの心を更に黒く染める大元凶が自分からやってきた。
「カイナはどうだ。」
ドア付近から響くその声に、脈を測っていた医師は慌てて立ち上がる。
「こ、これは国王陛下。」
黒髪黒目に黒い喪服、堅い印象を与える男の登場に、ぴしりと部屋内に緊張が走る。
「私に構わず治療を続けろ。」
頭を下げてくる医師を手で制し、セレンティナの方を見る。
「カイナは。」
「山は越えました、父上。
執務は大丈夫なのですか。」
「ノイシュ───宰相に押し付けてきた。
可愛い息子の一大事となれば飛んで来て当然だろう。
セレンティナ、お前はよく気付く良い子だ。
カイナもお前のお陰で早く治療を始められた。」
「ありがとうございます、父上。」
尊敬する父王に褒められ、セレンティナはリッカと繋いでいた手を解いて華麗に礼をする。
「フェイネル。」
「は、はい。」
何を言われるのか不安なのか、上擦った声で答える。
「カイナの手をそのまま握っていてやりなさい。
カイナもきっと安心する筈だ。」
「はい!」
優しい目で言われて、嬉しそうに頷く。
「イルマリア。」
「······はい。」
下を向きながら小さな声を絞り出す。
「安心しなさい。お前には家族が付いている。
一人ではない。明日になればカイナの目も開くだろう。」
「···はい。」
先程より少し大きな声で、今度は父王を見上げて返答する。
「カイナ、早く目を覚ましなさい。私を含む皆が待っている。」
最後に、そう最後に寝台に横たわるカイナに声をかけた。
リッカなんて娘は存在しなかったかの様に。
一瞬、ほんの一瞬リッカと父王の視線が交錯したが、父王は羽虫がそこにいたかの様な目を向けるだけであった。
いつも通りですね、オトウサマ。
と心中で呟き、足音を立てずに部屋を出て行くリッカ。
部屋の外に控えていたウェルネシアは、己が主人が出て来たのを見てそちらに顔を向ける。
「酷い顔。」
「うるさい。」
「今度は何をされたんです。」
リッカが出た後、部屋の扉を静かに閉めながら聞くウェルネシア。
「···何もされなかった。
何もね。」
「左様ですか。」
何が起きたのか大体察したウェルネシアは、リッカの背を優しく押し、その耳元で呟いた。
「帰りましょう。」
「そうだね。」
空元気を振り絞って返したが、脳裏に父王の冷たい瞳がちらつく。
いや冷たいというより、あれは憎悪が込められた、邪魔者を見るような目。
何故私だけ。
何故私だけにそんな扱いが?
異端だから。
異端だからと言うんですか。
ねえ、オトウサマ。
私、何かしましたっけ。
もう、分からない。
何も分からない。
カイナの部屋で、私だけが孤立していた。
私だけが。
同じ血が流れている家族の筈なのに、どうして。
どうして。
どうして。
······どうして一人にならなくちゃいけないの。
数日後、カイナは寝台の上で体を起こせるまでに回復した。
リッカは何度か見舞いに行こうとしたのだが、子煩悩であるらしい父王と鉢合わせするのが嫌で、仕方なく取り止めていた。
その間もリッカは普通通りに学院へ通い、セティとフォルトナと他愛のない事を話し、セレンティナのストーキングをし、普段と変わらない日常を送っていた。
セティには何もなかったかの様に接している。
今はまだ。
セティとの結婚話、それはまだ父王から正式に話が来ていなかったが、王宮中に広まっていた。
よく知らない侍女や護衛騎士に、おめでとうございます、と言われ続けた。
決まってもいないのに、どうしてそんなに皆騒ぎ立てる。
止めてくれ。
それがリッカの本音であった。
しかしそんなリッカの心中とは対照的に、王宮は湧き活気に溢れていた。
セレンティナとリヒトの結婚が正式に発表されたからである。
二人の結婚を待ち望んでいる者は多く、誰も彼もがお祝いモードであった。
それのおこぼれに与ってしまったリッカも、一緒に祝われてしまうのだった。
──────
「はあ。」
学院から帰ってきたリッカは、鞄を投げ出して椅子に座り込む。
最近、なんだかとても疲れる。
1に父、2に父、3にアイルのせいだ。
あーあ、本当にこのままアイルと結婚しちゃうのかな。
カイナの危篤で帰ったあの日、食堂に置きっぱにしてしまったオルゴール。
後日セティ経由で手元に帰ってきたそれを、優しく撫でる。
キリキリとゼンマイを巻き、流れ始めるメロディーに耳を傾ける。
遠い東方の国々の歌なのだ、とフォルトナは言っていた。
遠い東方の国々、か。
···そこでならこんなに窮屈な思いをしなくて済むのかな。
ううん、東方まで行かなくていい。
ウィスタリアから出られさえすれば、もっと自由なのかな。
なら、やっぱりアイルとの結婚は良い事?
···いや、初恋ブレイカーのあいつと一生を共には出来ない。
無理だ。
ああ、やっぱりどこか遠くへ行きたい。
と、リッカは机に頬をつけた。
冷たさが心地いい。
そしてそのままその心地良さに抱かれて、深い眠りの波がリッカを襲う。
ウェルネシアは姉上の婚礼準備の手伝いに駆り出されてる。
誰も起こさないしラッキー、という思考が頭の片隅に浮かんだのを最後に、リッカは目を閉じた。