8「ただいま帰りました、リッカ姫」
セティ=アイル=レグホーン
ウィスタリア王国の隣に位置するファウラー王国の名門、レグホーン公爵家の次男。
15の時からウィスタリア王国に留学している。
ファウラー王国によく留学させられていたリッカにとっては幼馴染のようなものだ。
歳も同じで昔から仲が良い。
王子ではないくせに、The王子である。
「里帰りはどうだった?」
「姉さんがずっと愚痴ってきたよ。陛下が最近冷たいって。」
セティの姉はファウラー王国現国王の正妃である。
「お疲れ様。で、例のアレは?」
リッカが手を出して催促する。
「ん···?······ああ。」
セティはリッカの手をすっと握り、そこに自分の唇を押し当てた。
「···ただいま帰りました、リッカ姫。」
教室が凍った。
The王子のセティに恋心を抱いている女子は多い。
リッカの全身に鋭い視線が突き刺さる。
「ふざけてないで早く頂戴よ、土産。」
手の甲にキスされているというのに、表情を全く変えないリッカ。
というより変えようものなら、視線が更に冷たくなるだけだ。
「ああ、土産?そっちだったんだ。」
なんだ、とセティはリッカの手を離す。
「そっちもどっちもない。
なんでいきなりキスするの。
どうしたの?何か悲しい事でもあった?」
「いや、昔はよくしてたから。」
「···昔ねえ···。」
「いってらっしゃい、いってきます。おかえり、ただいま。
毎回毎回手の甲にキスしてたし。」
ね、と同意を求めてくる。
「···今それ言うな、アイル。」
さらっと流すリッカのお陰で折角視線が和らいできた所だったというのに、先程より冷たい視線がぶすぶすリッカに刺さる。
セティ様と?
毎回?
毎回?
幼馴染···憎い。
そんな囁きが聞こえてくる。
というかセティ様て。
私は王女のリッカ様なんですけど。
おーい、みなさーん。
もっと敬ってー。
しかし、そんなリッカの心の呟きは教室内の女子に届かない。
「小さい頃にしてた事をなんで今したの。
する必要ある?」
「なんでだろうね。」
セティはふふっと笑いながら、包みをリッカに手渡した。
「ありがとう。」
「アメジスト、質の良いの選んでおいたよ。」
「うん、これで姉上の為に首飾りが作れる。
アイルの目は確かだからね。信用してる。」
リッカがセティに頼んだ土産、というよりお使いはセレンティナの為のアメジストだった。
「セレンティナ様、どう。お元気?」
「あー、それが、」
セティからの質問に答えようとしたが、そこで始業のベルがなった。
後でね、とリッカは口パクで言い、セティもそれに対し頷く。
──────
「······は3000年前このアグアローネ地方に降臨されました。
それにより灼熱の地獄だった地は潤い······、リッカ=アイネウス、聞いていますか。」
「聞いてますよ。」
欠伸をしたリッカを目敏く発見した女教師は、強い口調で咎める。
「ならば今の所を言ってご覧なさい。」
立て、と指し棒で示し、のろのろそれに従うリッカ。
「コンヘラシオン降臨の所ですよね。
えーと、『遥か昔灼熱の地であったアグアローネ。そこに住む人々は燃えるような夏と焼けるような冬を生きていた。それを見かねた女神コンヘラシオンが』「もう結構です。お座りなさい。」
女教師は溜め息を付きながらどこか悔しそうに座る様指示した。
「凄いね、リッカ。
『新アグアローネ伝』の冒頭部分暗唱するなんて。
今までの授業内容をそのまま言うんじゃなくて、これから先生が言う筈だった『新アグアローネ伝』を先に言っちゃうし。」
ひそひそ声で話すセティ。
「欠伸しただけで咎めるなんて心狭いでしょ。
ちょっと鼻をあかしてやろうと思って。」
「性格悪いね。」
「余計なお世話。」
「そこ!リッカ=アイネウス!うるさいですよ!」
リッカがふん、と鼻で笑った所でまたもや女教師に咎められる。
「すみません先生、今のは僕が最初に話しかけました。」
申し訳なさそうに謝るセティ。
「い、いいのよ、謝らなくて。
レグホーン君は悪くないのよ。」
女教師は顔を赤らめて、今度は何もリッカに課さずに授業に戻った。
「このモテ男。」
「ふふ、何の事かな。」
リッカがセティを軽くなじるが、それに対しくすくす笑うだけ。
「性格悪いな、もう。」
「リッカもね。」
「アイルもね。」
「「ぷっ。」」
笑い合う幼馴染2人。
微笑ましい恋人同士に見えない事もないが、そういう関係ではない。
リッカの初恋はアイル───セティであるのだが、それは昔の事で今はただの良き幼馴染だ。
リッカが13の時、小っ恥ずかしい告白をセティにしてすぐさま玉砕したその瞬間から、二人の間に桃色の雰囲気はない。
リッカとしては忘れたい恥ずかしい思い出であるし、セティとしても一国の王女を手酷くフッたなんて醜聞は無かった事にしたい。
どちらも特に何も言わないが、何も無かった事になっている。