哀しき怒りの視線
-Side of Akito-
「紹介しよう。新しい仲間『アキト』だ。我々レジスタンスの一員として……」
「ちょっと待てよ。俺は別にお前たちと一緒に戦うとは言っていない。俺がどうするかは、俺が勝手に決めさせてもらう」
俺はヴィンセントの言葉を最後まで聞かずして、彼の言葉を遮るように口を挟む。いきなり戦えなんてまっぴらごめんだ。異世界転生だと言われたときは、それこそ喜んだが、実際にあんな目にあったら戦いなんて軽々と口に出せる訳がない。
地下の通信室を出た俺とヴィンセントは、再び皆が集う場所へと戻ってきていた。そして、部屋に着いた途端、他の仲間たちを集めて、俺の意思には関係なく、俺の紹介を始めてしまった。
きっとこうすることが、彼の中では効率的で最善の選択なのだろうが、それに俺の都合というものは含まれていない。
「ずいぶんデカい口を叩くんだな?尻尾巻いて逃げ回った上に、アザミに助けられたお前が……」
どこかで聞いたことのある声が、俺の神経を逆撫でするように背筋に纏わりついてくる。心に静電気が走るかのようなピリピリとした感覚を覚えながら、俺は怒りを露にする。
「なんだと……!?」
俺は鋭い目付きを一人の男に向ける。そこには、俺を助けてくれた内の一人である、金髪を垂らすキザったらしい男の姿があった。
だが、相手がその怒りに答えることはない。相手には怒りという感情は無いのだから。恐らく、反発するという行為を知ってはいるが、それに伴う感情を理解できてはいないのだ。
「ヴィンセント隊長、そろそろこんな子供一人のために、どうして幹部を二人も連れて助けにいったのかの説明頂けませんか?」
ヴィンセントの話では、アンドロイドたちには共通した強い欲があるらしい。それは『学習欲』。これもまた、科学者たちがアンドロイドたちに残した呪いの一つらしい。
科学者たちはアンドロイドに倫理や道徳と共に『学習機関』を植え付けた。そして、それに付随するように、巨大な容量の記憶媒体が備え付けられている。
彼らは自分たちが満たされない何者かであることを理解しているらしい。だからこそ、すべての事柄に疑念を持ち、それを理解しようとする。それは最早、人間の生理現象のようなものらしい。
「ああ、皆には知っておいてもらおう。ここにいるアキトは『人間』だ。俺たちのようなアンドロイドではなく、生身の人間なんだ」
部屋が一瞬にして静まり返る。皆、処理が追い付かないパソコンのように固まってしまっている。それはまさしく、人間が驚いて言葉も出ない時のそれと、何一つ変わらなかった。
そんな中でも一番に動きを見せたのは、質問した本人だった。
「有り得ない!!ここに生身の人間がいることなど。ここはもう、千年以上もアンドロイドたちだけが暮らす機械の世界。今更人間が、ひょっこりと出てくるはずがありません」
彼が言うことは最もなのだろう。俺だって、自分がどうしてこんなところにいるのか未だにわからないのだ。現実に異世界転生があるなど、こうやって体験した今ですら飲み込むことができていないのだから。
「信じられないのも無理はない。千年という長い時を越えて、人間が生きていられるはずが無いというのも最もだ。だが、彼は歴とした人間だ。俺たちをの希望の光になるかもしれない存在だ」
どうにもヴィンセントの中では、俺は既に戦うことになっている。そろそろ否定するのも面倒になってきたと思っていると、金髪の男は俺を睨むようにこう言った。
「そいつが俺たちの希望……!?流石にそれは納得いきません。唯の汎用型相手に、尻尾巻いて逃げていたそいつがですか?本当に人間だと言うなら、証拠として『血』を見せて頂きたい」
ここにいる全ての人、いやアンドロイドたちの視線が俺に向けられる。姿形で見分けがつかない今、簡単に人間を見分けることができるのは『血』のようだ。
これまでは散々反発してきた俺だが、助けてもらったことに感謝の気持ちが無い訳ではない。軽く血を見せるだけで、俺が人間だと認めてもらえるのなら安いもんだ。
「ヴィンセント、何か先の鋭いものないか?」
ヴィンセントは人差し指を立てると、その指先から果物ナイフのような小さな刃が突き出す。俺は肯定を示すように頷きながら、スッと左手を差し出した。
ヴィンセントは俺の左腕を片方の手で支えながら、優しく俺の皮膚に刃を入れていく。刃が皮膚を撫でるように這うと、そこから赤い液体が、重力に逆らうことなく滴り落ちる。
そして再びの静寂。彼らが驚きで声を上げるということはない。この静寂は、限りなく人間の驚いた時に似ているが、その本質は唯の処理落ち。『驚く』という行為は知っていても、それに伴う感情がないのだ。
血を出したついでに、俺は少しだけ試してみることにする。エヴァに教えてもらった、この世界での俺の力を……。
俺は瞼を閉じると、先程滴り落ちた血液が浮かび上がる様子をなるべく鮮明にイメージする。血液が重力を無視するように、自分の回りに球状を成して浮かび上がる姿を。
俺はゆっくりと瞼を開くと、そこには三滴ばかりの血液が、まるで重力を失ったかのように宙に浮かび上がっていたのだ。
「嘘だろ……!?」
あまりの驚きに、俺の頭の中のイメージが崩壊し、血液が再び重力に従って自由落下していく。俺の血液は地面への衝突と共に弾け飛び、地面の染みへと成り下がる。
すると突然、目の前から嫌な雰囲気を感じて、俺は顔を上げる。そこには、怒りを滲ませた眼差しをこちらに向ける金髪の男がいた。
「貴様が人間だと言うのは理解した。それは認めよう。しかし、その力を俺たちの前で容易に使わないでもらおうか。その力は俺たちにとって、不愉快でしかない」
そう言われて、再び俺の心の奥底から怒りが込み上げてくるのを覚えたが、しかしその怒りは、目の前の男へとぶつけるよりも前に、心の奥底へと沈んでいった。
俺の視界に入ったのは、感情など持ち合わせていないはずなのに、怯えた表情を、『恐怖』という感情を滲ませた数体のアンドロイドたちだった。
「えっ……?」
俺はその光景に疑問を覚えずにはいられなかった。そして、それと共に自分の存在を強く否定されたような、そんな気分に襲われる。
突如俺の前に巨大な背中が壁となって、他のアンドロイドたちの姿を奪い去っていく。
「これで皆もアキトが人間だと理解してくれたはずだ。色々と言いたいことがある者もいると思う。だが、彼もまだこちらの世界には馴れていない。だから今日はこれまでだ。解散っ!!」
ヴィンセントの合図と共に、皆が三々五々に散っていく。野次馬のようにその場に残る者は一人もいない。怒りや恐怖を滲ませていた者たちでさえも。
「付いてこい」
ヴィンセントは一言それだけいうと、部屋の角に備え付けられた簡素な自動扉へ向かって歩き出す。俺は黙ったままその後を追い、ヴィンセントと二人で部屋へと入った。
「なんで、感情が無いはずなのに……、あれじゃまるで俺が……」
整理しきれないままに負の感情が次々と込み上げてくる。俺がどれだけ苦しんでいようと、彼らにはそれを気遣う優しさというものはそもそも存在しない。
「過去の記憶が、彼らをああさせている。俺たちはあの力で、人間たちがどうなっていったかを鮮明に記憶している。そして、その力を向けられた人間がどう反応していたのかも……」
つまりそれは彼らの恐怖ではなく、彼らが視界に収め記憶として刻まれた人間の恐怖。彼らはその本質を理解しないまま、ただそうするものなのだと、再現したに過ぎない。
そうだと言葉では理解できても、それは彼らの恐怖として俺の目には映ってしまう。俺はこれまで人の恐怖を映し出すものに出会ったことが無いのだから。
「何なんだよ……。戦えって言ったり、力を使うなって言ったり……」
俺は無意識の内に、力強く拳を握りしめていた。意識をすれば痛みを伴うほどに。
「悪いとは思っている。俺たちは、その場での最適解を選びとることしかできない。お前たち人間のように、相手の気持ちや感情を理解して言葉や行動を選ぶことはできないのだ。俺たちには気持ちも感情も存在しないのだから……」
俺は不意に彼の視線と自らの視線を交わす。彼の言葉が、まるで人間のように尻すぼみになっていくように感じたから。だが、そこには感情の色を一切感じさせない真っ直ぐな瞳がこちらを向いているだけだった。
「なあ、俺がここを出るって言ったら、お前は素直にここから出してくれるのか?」
たった数時間顔を合わせていただけだが、やはり俺とアンドロイドたちとは根本的に何かが違う。同じ人間の容姿をしているにも関わらず、その根元が違うことに息苦しさを覚えずにはいられない。
このままここにいれば、俺はおかしくなってしまいそうな気がしてならない。そうならないためにも、俺は今すぐにここを出るのが最善なのではないかと思う。
「別に止めはしない。お前の意思は尊重しよう。だが、ここを出てどうするつもりだ?統一政府の区画に戻れば、次は誰も護ってくれはしない」
俺の口から全てを諦めるような冷たい笑いが漏れ出す。
「ふっ……、俺の意思なんて、端から関係ねえじゃねえか……」
俺はそれ以上何も言わず、自動扉の向こうへと足を踏み出した。ヴィンセントは言葉を発することも、俺を止めようともしなかった。
アンドロイドと話すことに疲れた俺は居場所もなく、外の乾いた空気に吹かれながら、エヴァが来るのを待っていた。
彼女の言葉だけが、唯一違和感なく、パズルのピースのようにピタリと心の隙間を埋めていく。それは彼女が他のアンドロイドとは違うからなのだろうか。
しかし、彼女もまた千年の時を生きたと言っていた。人間が千年の時を生きられるとは、到底思えない。
「本当に、俺はこれからどうすればいいんだろうな?」
こういう独り言も人間の特性なのだとヴィンセントが言っていた。そんなことを考えたこともなかったが、確かに誰もいないところで言葉を口にするなんて、労力の無駄以外の何物でもない。
けれど、自分の声だったとしても、感情の色が滲む声というのはどこか安堵を覚えるのだ。
俺は足元に落ちていた小さな小石を蹴り飛ばす。それは宛てもなく地面の凹凸に揺られながら、最後は何もない場所に寂しく留まる。俺はその石の行方をただジっと見つめていた。
不意に目元に熱を感じて、俺は咄嗟に右腕で瞳を覆う。けれど、そこから流れ出す涙は、俺の意思とは関係なく腕を濡らしていく。
周囲に人がいないことが、こんなに悲しく寂しいことだとは思いも依らなかった。自分は独りでも平気な人間なのだと思っていた。けれど、感情を含んだ言葉が無いことが、自らの心をどうしようもなく不安にさせていく。
自分のよく知る人間の姿をした物たちはこんなにも沢山いるのに、それなのに感情に触れることができないことが、余計にその痛みを加速させていく。
「こんなことだったら……」
俺がその言葉の続きを、口から吐き出してしまうことを躊躇っていると、待ち望んでいた声がその続きを代弁する。
「死んだ方がマシじゃった……か?」
俺は思わず真っ赤に腫らした瞼を気にすることもなく、目の前の声の主を視界に捉える。白衣を乾いた風に揺らしながら、その姿には似付かわしくない大人びた表情を浮かべた幼女を。
「エヴァ……」
俺は覚えたてのその名を、感情たっぷりに込めて、心の中の全てを吐き出すように、重たい吐息と共に呟いた。
「そんなことを、言わんでくれ……。確かにわしの私情も存分に含まれておるが、それでも、その根本は主を救いたいという気持ちからじゃった。時の悪戯と言ってしまえば、そこまでじゃが……」
その言葉の端々には、俺が過ごしていた現実世界の人間と同じ、寂しさ、哀れみ、慈悲などの感情の色を感じることができる。
それは彼女が他のアンドロイドとは違うからなのだろうか?それとも、他のアンドロイドにも、彼女の様になれる希望があるのだろうか?
「なら、俺が戦わないって言っても、それを受け入れてくれるのか?」
彼女が俺を救いたいと思ってくれたのなら……。
「ああ、苦渋の決断ではあるが、それは主の意思なのだから仕方がなかろう。じゃが、戦わぬ者を置いておけるほど、我々にも余裕はない」
俺はそれ以上何も言葉を紡ぐことができなかった。俺の口は次の言葉を紡ごうと小さく開きはしたものの、そこから言葉が吐き出されることはなかった。
感情を滲ませる彼女ならば、彼らとは違う優しい答えをくれるのではないかと甘えていた。だが、そこから告げられたのは、彼らと同じ言葉だった。
唯一違ったのは、彼女には言い辛い言葉を告げる時の重苦しさが感じ取られたことくらいだった。
俺は脱力するように肩を落とす。ここだけが唯一の逃げ場だと思っていた。けれど、俺の逃げ場はどこにもなかった。逃げて殺されるか、戦って殺されるか……。俺に残された選択肢はそれだけだった。
「どうせ死ぬなら、逃げるよりも戦ってはみんか?」
俺の心を読んだように、彼女は優しげにそんな言葉を投げ掛ける。
「それに、わしらは負ける気など欠片も有りはせん。共に戦い、共に生き残ることを選びとってはくれんのか?」
俺は彼女に視線を合わせることなく、俯いたまま地面に視線を落とし、拳を震えるほど力強く握りしめる。
「今はまだ、主が元いた場所との違和感に押し潰されそうになっておるかもしれん。じゃが、彼らとちゃんと向き合えば、彼らは必ずや答えてくれるはずじゃ」
ヴィンセントたちとは違う、説得しようという意思の込められた力強い言葉。機械の言葉とは思えない感情が滲む言葉。
俺は強張った身体を弛緩させると、ゆっくりと顔を上げて彼女と視線を交わす。
「なあ、お前は本当に機械なのか?」
その問い掛けに、彼女の表情は一切の動揺を見せずに、淡々とした言葉で答える。
「私は、千年以上という長い時間、この世界を見てきた」
それが答えだと言わんばかりに、彼女はそれ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。俺はその言葉を肯定と飲み込み、彼女にもうひとつだけ問い掛ける。
「なら、あいつらだって、いつかはお前と同じように、感情を込めて俺と話してくれるようになるのか?」
そんな問い掛けを反芻することで、俺は思わず小さな笑みを漏らしそうになっていた。まるで、どこかに戦うための、彼らと共に生き残るための理由を探しているようで。
俺はいつの間にか、逃げるという選択肢を捨てようとしていた。どうやら、目の前の幼女アンドロイドにしてやられたらしい。
「必ず……、とは約束しかねる。けれど、やつらも生身の人間と触れあうことで、必ず何かしらの反応を見せるはずじゃ。それが、おぬしの望むものになるかはわからんが……」
「ならまだ、可能性は残されている訳だな……」
俺は地面に視線を落とすと、何かを決心するように力強く拳を握りしめ、再び表情を上げながらエヴァに力強い眼差しを向ける。
「まだ、たった数時間しかここにいないのに、簡単に無理だって決めるのは俺らしくないよな。可能性が少しでもあるなら、俺はもう少し足掻いてやる」
そう、この数時間で彼らの何がわかるというのだ。俺はまだ、彼らとちゃんと向き合っていない。足掻いて足掻いて、それでも駄目だったら、それはそのときに考えればいい。
ここに残る覚悟は決まった。それでも、もうひとつだけ聞いておかなければならない。それがこの先、俺に何があっても生き残るために足掻く理由になるはずだから。
「俺は、元の世界に戻れるのか?」