犯罪者たちの巣窟
俺たちは促されるままその乗り物へと乗り込む。中は見た目よりも広く感じ、四人くらいならまだまだ余裕があるくらいだった。
ヴィンセントと呼ばれた男が最後に乗ると、急いで後部に取り付けられた扉を閉め、壁で区切られて頭しか見えない運転席の少女に告げる。
「ファブロ、全員乗った。回りは気にせず、一秒でも速くこの区を抜けろ」
ヴィンセントがそう告げると、ファブロと呼ばれた少女は腕捲りをして、こちらに向けて親指を立てる。
「合点承知!!なら、皆さんしっかり掴まっているのですぞ」
返事と共に少女が何かしら操作を施すと、モーターが動き出すような駆動音と共に、微妙な浮遊感に襲われる。細長い窓ガラスから見える回りの風景も、多少視点が高くなったことから、どうやらこの機体が浮き上がったらしい。
「それじゃあ行きますぞ。レガリオン、全速前進!!」
その言葉を合図にするように、運転席の方からカチッという操作音が鳴り響く。その瞬間、機体はアザミを遥かに越える急加速による慣性に襲われて、支える物が何もなかった俺は、車内後部へと吹き飛ばされる。
「うわああああああ!!」
情けない叫び声を上げながら、俺は凄まじい勢いで後部扉へと叩きつけられる。
「ちゃんと掴まっていろと言われたはずだが」
ヴィンセントが俺の方を向きながら、呆れたようにそんなことを言う。
「うるせえ……」
先程の事をまだ認めることのできなかった俺は、そんなそっけない言葉を返すだけだった。
幸いなことに、その衝撃で後部扉が開くということはなく、俺は外に投げ飛ばされずに、全身の打撲だけで事を収めた。
やがて、区と区を分かつ巨大な壁が、目の前へと立ちはだかる。だが、レガリオンは速度を落とす様子など微塵も見せずに鋼鉄の壁に突撃していく。
「ちょっと待て、待て、待て、待て!!」
どう考えても突撃すると思った俺は、思わず叫び声を上げながら目を瞑って身構えた。まあ、あまりにも平然とした周囲の様子から、何となく大丈夫なのだと察してはいたが……。
そして俺が恐る恐る瞼を開くと、そこは先程までと同じ世界とは思えないような景色が広がっていた。
それこそ、空間転移でも行われたのかと思ったが、後ろを振り向くと、先程と同じ鋼鉄の壁とその上を鳥のように透明の道路を行き交う乗り物たちが視界を埋め尽くしていた。
しかし眼前には、俺がよく見たことがあるような形のビルがいくつか軒を連ねており、壁の向こう側と比べて背が低く、そして何より焦げ後や崩壊した痕が目立っていた。
建物の間に挟まれたコンクリートの道路にも、辺り一面にヒビが入っており、いつ地盤沈下を起こしてもおかしくないような状態だった。辺りは砂地で、乾いた風が砂を巻き上げていた。
しかし、こんな荒廃した景色に見えるにも関わらず、鋼鉄の壁の向こう側と比べれば見慣れた感覚があった。
「なんだよ、これ……」
俺がその光景に呆然としながら口にしたその言葉を、しかし、ここにいる誰一人として拾おうとはしなかった。
そんな皆の様子に少し違和感を覚えながら訝しげな表情をしていると、俺の言葉がまるで無かったものにされたようにヴィンセントが口を開く。
「まあ、ここまでくればとりあえず問題ないだろう。色々と齟齬はあったが結果的には作戦成功だ」
この世界に詳しくはない俺にはよくわかっていないが、どうやらあの鋼鉄の壁を越えたことで、敵が追ってくる心配は無くなったらしい。そう思うと、俺は先程無視されたことも忘れて、安堵の溜め息を吐いた。
「まあ、これ以上走れと言われましても、このレガリオンが言うこと聞いてくれないと思いますぞ」
ファブロが操縦を続けながら、気の抜けた声で口を挟む。
そういえば先程から窓ガラス越しに流れていく景色が先程と比べてゆっくりだった。と言っても、俺の世界の車の走行速度とほとんど変わらない程だったが。俺も少しずつ、こちらの世界に染まり始めているようだ。
俺たちはレガリオンに乗ったまま、荒廃した街並みを通りすぎていく。所々で一人、二人の人影を目にしたが、鋼鉄の壁の向こう側と比べれば人がいないも同然だった。
こんな景色の違いを見てしまえば、俺も色んな妄想をせずにはいられない。彼らは一体何のために、あの鋼鉄の壁の向こう側の者たちと戦っているのだろうか。
それでも、この逃げ場のない四方を囲まれた場所で口にしていいことではないと、俺は静かに口を噤む。常識の通じない世界では、何が引き金になるかわからない。
そうこうしている内に、ようやくレガリオンの流れていた景色が動きを止める。先程までの鳴り響いていた駆動音が、少しずつ鳴りを潜め、やがて小さな振動と共に完全に停止する。
「着きましたぞ、ヴィンセントの旦那」
操作部から手を離して、運転席から乗り出すようにこちらに顔を覗かせながら、ファブロが目的地への到着を伝える。それを耳にしたヴィンセントが近くのボタンをいくつか押すと、赤く点灯していたランプが青に色を変え、後部の扉がゆっくりと開いていく。
扉が開くと、多少砂埃の混じった乾燥した空気が隙間から待ちに待ったと言わんばかりに入り込んでくる。その空気を吸って初めて、先程まで自分がどれだけ清潔な空気を吸っていたのかということを思い知らされる。
「ほら、お前も降りろ」
ヴィンセントがスッと俺に向けて手を差し伸べてくるが、俺はその手を無視して自らの脚で荒廃した大地へと足を踏み入れる。
「それくらい自分で出来る」
まあ、いつまでも意地を張る必要もないのだが、それでも一度張った意地をそう簡単に解すことはできない、というのが俺の悪い癖ではある。
渇いた風が頬を撫でていく。砂埃を含んだ風は、俺の身体に種を植え付けるように砂埃を残しながら、空虚な空へと過ぎ去っていく。
廃墟と化した軒並の中に、何とか建物の形を残した、白い病院のような建物が存在していた。人がまともに暮らしていけているとすれば、この場所くらいしか考えられないだろう。この周辺は廃ビルで囲まれており、生活臭がするのはここをおいて他にない。
俺がジッとその白い建物を睨むように眺めていると、背後から大きな掌が俺の背中を押す。
「ぼうっとしてないで、中に入れ」
どうやらヴィンセントは、俺が素っ気ない態度を取っていることを気にしていない様子で、先程の無視もまるで無かったかのように、気さくに接してくれる。これでは、意地を張っているこちらが馬鹿みたいじゃないか。
「言われないでも、行くっての……」
俺はヴィンセントに聞こえない声で小さく呟きながら、既に降りていた彼らの後についていく。ファブロだけがその場に残って、レガリオンの整備をするようで、既に作業に取り掛かっていた。
どれだけ荒廃した土地であっても、入り口は自動扉で作られていた。そして、迎え入れられるようにその自動扉を抜けると、そこには多くの人達がそれぞれの時間を過ごしていた。
まるで被災後の体育館のように雑魚寝ではあるものの、誰もそれに不満など抱いていないような雰囲気がその空間を満たしている。ただ少しだけ違和感があるとすれば、ほとんどの者が独りで過ぎ行く時間を過ごしており、誰かと言葉を交わしている者は両手で数えられる程しかいなかった。
「同じ仲間なのに、皆あんまり仲良くないんだな」
俺は先程の意地を引きずったまま、辺りの様子を眺めながら、ぶっきらぼうな口調でヴィンセントへと投げ掛ける。
「仲良くするという概念がそもそも我々には無い」
その言葉の意味を理解することができない俺は、訝しげな表情をしたままヴィンセントへと視線を移す。
「どういう意味だよ……?」
仲良くする概念がないって、いくら技術が進んだからって、他人との関わりが無ければ人は生きていくことができないと思うのだが、技術が進めばそれすらも必要なくなるのだろうか。それは何だか、とても寂しい気がする。
だが、ヴィンセントはその質問には何も答えようとはせず、口をつぐんだまま先へと進んでいってしまう。
「おい、ちょっと待てよ……」
どうにもヴィンセントとの距離の縮め方がわからない。別に気にしていないような態度を取ったと思えば、急に脈略もなく無視をする。一体何を考えているのだろうか。まあ、そもそも自分自身が距離を縮める気があまりないのだが。
ヴィンセントは部屋の奥にあった自動扉へと向かい、その隣に備え付けられたテンキーのような機械のボタンをいくつか押していくと、赤く点灯していたものが青く点灯する。
「ほら、お前も付いてこい」
やはり怒っているようには見えない。こちらに話し掛けてくる時は、とても平然とした表情で気さくに話し掛けてくれる。そんな態度をされると、こちらはどんどん意地を張っているのが馬鹿らしくなる。
今は逆らったところで、ここに付いて来てしまった以上、逃げることはできないだろうことは容易に想像が出来るので、ヴィンセントの言葉に従って後を追うことにする。
どうやら一緒にこの場所に来た二人とはここで別れるらしい。離れてしまう前に、助けてもらったお礼だけは言っておきたかった。
「あの……、アザミさん、助けてもらってありがとうございました。あの人はああやって言ってましたけど、俺はものすごく感謝しています」
そうやって言葉にすると、再び少しだけ怒りが奥底から湧いてくる。彼女は見ず知らずの俺を、身体を張って助けてくれたのだ。彼女に怒られる言われなどありはしない。
「私は作戦を失敗してしまいました。あなたにお礼を言ってもらう理由はありません。それに、隊長の言っていることは正しいと思いますが」
同調してくれるのを期待して言った言葉だったが、彼女は俺の意見には一切賛成するつもりはないらしく、そっけない言葉で振り払われてしまった。
「ほら、行くぞ」
背後からヴィンセントが呼んでいる。けれど、俺にとってはヴィンセントよりも彼女へのお礼の方が大事だった。だから聞こえない振りをして彼女へと告げようとする。
「それでも……」
けれど、彼女は俺の言葉を最後まで聞くことなく、まるで俺自身を拒絶するように、俺の言葉を遮った。
「隊長が呼んでいます」
たった一言そう言って、俺に背を向けた。彼女の感情のない表情が全てを物語っているようで、俺はそれ以上何も言うことができなかった。振り返った彼女の背中を眺めることしかできなかった。
俺が呆然と彼女を眺めていると、ヴィンセントが首許を引っ張って無理矢理連れていこうとしたので、俺はその手を振り払って吐き捨てるように言った。
「自分で歩ける」
ヴィンセントはそんな俺を一瞥すると、そのまま自動扉の奥へと入っていった。
自動扉の奥には、緑色の蛍光灯が今にも命の灯火が消えてしまうかのようにチカチカと光を放つ、鬱蒼とした雰囲気の廊下が伸びていた。頭上にはパイプが何本も敷き詰めるように張り巡らされており、ドラマなどで目にする謎の組織の研究所みたいな雰囲気を醸し出していた。
俺は何も気にすることが無いように平然と前を歩くヴィンセントに、もう何に対するものなのかもわからなくなった怒りを吐き捨てるようにぶつける。
「何でお前の言うことを無視したのに怒らねえんだよ?」
何かに当たらなければ感情の調節が出来そうもなかった。理不尽な怒りだと自分でも思う。いっそのこと、誰かに怒って欲しかったのかもしれない。
「今の環境下で感情を表に出すことは出来ない。戦闘状況でない限り、我々は余分なエネルギーを使う訳にはいかないからな」
しかし、ヴィンセントは怒る素振りなど微塵も見せずに、俺の前をゆっくりと歩きながら、視線を合わせることなく応える。しかし、その言葉はむしろ俺の怒りを助長するものだった。
「さっきから言ってる意味がわからねえんだよ。何で場所と感情が関係あるんだよ。それとも、俺を怒るのなんて無駄なエネルギーだって言いたいのか?だったら素直にそう言えよ。俺なんて怒る価値もないクソ野郎だって」
感情がグチャグチャと俺の身体の中を濁流のように渦巻いていくのがわかる。このときの俺は心細かったのだと思う。いきなり訳のわからない場所に連れてこられて、その上いきなり死にそうな目にあって……。
なのに、誰も俺に優しくしてくれる者はいない。誰しもがまるで業務連絡のように感情のない言葉を投げ掛けてくる。
転生された場所にいきなり馴染むことなんて、そう簡単に出来るものではないのだ。
その積もり積もった負の感情の塊が、一対一という他の誰も聞いていない環境に置かれて爆発したのだろう。落ち着いて考えれば、こんなのただの甘えだ。
けれどそんな訳のわからない怒りに対しても、ヴィンセントは毅然とした態度で、落ち着き払った口調で応える。
「お前が我々の言っていることがわからないのは仕方がないことだ。我々とお前では根本が異なる。心配せずとも、これからその全てを打ち明ける。俺ではなく、あの方から……」
自分の感情を抑えることも出来ずに、訳のわからなくなった俺は、気が付けば瞳から涙が溢れていた。もう、自らの抱いているものが怒りなのかもわからなくなっていた。
「何なんだよ……。異世界転生って、もっと楽しいものなんじゃないのかよ……」
俺は夢を抱いていただけなのだ。実際に異世界転生なんてされてしまえば、これまでも多くの凡人たちに埋もれていた自分が、急に非凡な力を持てるわけがない。こうやって、暴れ喚いているのが関の山だろう。
俺がその場で膝を付いて立ち止まっていると、ヴィンセントはなにも言わずに感情のない瞳でこちらを眺めたままでいた。恐らく、俺がどれだけの感情をもってしても、今のヴィンセントには届かないのだろう。彼の言葉を使うのならば、それこそ戦場でない限りは……。
俺は彼に怒りをぶつけるのを諦めて、赤く充血した瞳を拭いながら立ち上がった。俺のその姿を見たヴィンセントは、何も言うことなく踵を返すと、再び廊下の奥へと歩み始める。
こうなれば、この世界について全てを知ってやる。この廊下の奥には、ヴィンセントがあの方と呼ぶ何者かが存在しているはずだ。どうせなら、そいつにこの世界のことを洗いざらい全部吐いてもらえば、俺も諦めがついて無駄な夢を見ずに済むはずだ。そうすれば……。
俺はヴィンセントの後を追い、長い廊下をひたすら無言で歩いた。怒りを抑えるように、奥歯を噛み締めながら。
そして到着したのは、先程とは比べ物にならない程に重厚な自動扉だった。これまで片側一枚の扉だったのに対し、この扉は両側二枚構造になっている。
この先にいる者が、どれだけ大きな存在なのか、ヴィンセントに口にされるまでもなく理解できてしまう。それくらい、この場所の雰囲気はこれまでとは異なるものだった。
先程と同じようなテンキーのボタンを、先程とは比べ物にならないほどの回数押すと、さらにその下にあった薄い板が光を帯び始め、ヴィンセントがそれに掌を合わせる。その上『こちらに瞳を向けて下さい』というアナウンスに従うように、ヴィンセントは小さな機械仕掛けの箱へと視線を合わせると、そこから照射されたレーザーのような光が、ヴィンセントの瞳を上から下へと舐め回すように流れていった。
そこまでやってようやく、『LOCK』という文字と共に赤く点灯していたディスプレイが、青く点灯しながら『UNLOCK』という文字に書き代わった。
そして、ヴィンセントが扉の前に立つと、開くのが億劫に思えるほどゆっくりと扉が開いていく。開いて初めてわかる扉の厚さに、怒りも忘れて驚いてしまったくらいだ。
「入るぞ」
平坦に告げられたその言葉に、最早怒りを感じることもない。彼よりも上の存在がいるというのなら、ヴィンセントに怒りをぶつける必要などないのだ。
俺は喉を鳴らして息を飲んだ。どれだけ意気込んでいても、権力のある者と対峙するというのは、それなりの覚悟が必要なものだ。
俺は覚悟を決めて扉の向こう側へと足を踏み入れる。どんな奴が待っていたとしても、俺が抱く全ての疑問をぶつけてやろうと……。
だが、その先に人影など微塵も見えず、ヴィンセント以外の気配を感じることは出来なかった。その代わりと言ってはなんだが、巨大なディスプレイが囲うように俺たちを迎えていた。
ヴィンセントがその中の正面のディスプレイに向き合い、ディスプレイの下に並べられたキーボードを操作すると、真っ黒だったディスプレイが煌々と光を放ち始め、文字列が浮かび上がる。
ヴィンセントがさらにキーボードの操作を続けると、呼び出し音が鳴り響き始める。どうやら、ヴィンセントの言うあの方は、ここではなく何処か遠くにいるらしい。直接会えないことは多少頭にくるが、今それに腹を立てたところで何の意味もない。
そして数回の呼び出し音の後に、ディスプレイにとある人物が映し出される。その姿に俺は呆気に取られて、すぐに言葉を発することが出来なかった。
「やあ、久しぶりじゃの。そろそろ掛かって来る頃だとは思っておったわい」
ディスプレイの先でソファに深々と偉そうに座り込む人物は、含みのある笑みを浮かべながらこちらを覗いていた。その、年寄り染みた口調と共に。
「お前は……」