動き出した反抗者たち
-Side of Vincent-
突然のサイレンに俺は焦りを覚える。もしかすると潜伏していた仲間が見つかってしまったのだろうか。そうでなくても、ここで騒ぎが起きてしまえば俺たちの作戦を中止にせざるを得ない。
後ろに控える仲間たちにも緊張が走る。見慣れた赤い光景ではあるが、この光景を眺めるにはまだ少し時間が早すぎる。
「おいっ、どうなっている?まだ作戦開始の指示は出していないぞ。誰かが先走ったのか」
俺は怒りの混じった声音で、後ろに控える漆黒の長く艶めいた髪の少女に尋ねる。いや正しく言えば、本当に怒っている訳ではなく、怒った振りをしているに過ぎないのだが、今は置いておこう。
少女の表情には、およそ色と呼ばれるものが見られず、こんな状況においても冷静というか無愛想というか、とにかく焦りの一つも見せようともしない。
「それは無いと思います。今反応したのは、十三区と十四区を結ぶ門の街頭スキャンのようですし、あそこには今回の作戦では誰も配置していません」
とても落ち着いた抑揚のない声音が滑らかに空気を震わせて、俺の耳へと意味を伴った言葉となって流れ込んでくる。
「どうして俺より後ろにいるお前にそんなことがわかるんだ?」
俺たちは現在、十三区にある廃れたビルの屋内駐車場の最上階で、作戦開始の時を待っていた。
この場所から今彼女が告げた場所までは、一キロメートル近くもある上に、直線上には他の建造物などの障害物もあり、直接見ることはできないはずだった。それはこの少女も同じはずだが……。
「だって、ノエルが教えてくれましたから」
俺が後ろを振り向くと、少女は自分の半分くらいの大きさしかない、人形のような少女を自分の胸に抱えて、フワフワと柔らかそうな銀色の髪が垂れる頭を愛でるように撫でていた。
「ノエル……、そういう大事なことは先に俺に言え。どうしてアザミにしか喋らんのだ」
俺は呆れたように頭を掻きながら、アザミの胸の中の少女に注意を促す。こんな注意にはあまり意味は無いのだが、俺の記憶が無意識にこの行為を体現する。
「隊長がいつも怖い顔をしているから、ノエルが懐かないんです。こういう可愛い子は愛情を込めてじっくりと愛でてあげれば、直ぐに心を開いてくれますよ」
相変わらず色の無い声音でそんなことを言うが、大人としてそんなことは出来ない気がするので、その提案は迷うまでもなく却下だった。
それにしても、緊急事態にも関わらず表情を一切変えなかったアザミの表情が、ノエルの頬に自らの頬を擦ることで若干柔らかくなっている気がする。
こいつはこんなことを俺に勧めたのか……。
こんなフワフワした空間だけを切り取ってしまえば、和やかな空間に身を置いているようにも思えるかもしれないが、全くそんなことはない。
彼女らの後ろには、黒光りする重厚な銃器を構えた兵士たちが、赤く染まった光景にピリピリとした緊張感を漂わせていた。
俺から言わせてもらえば、彼らの反応がいたって普通なのだ。この二人のフワフワした空間が異常なのだ。
「アザミ、ノエルの視界を俺の端末に転送するように頼んでくれ。俺も街頭スキャン周辺の様子を見たい」
何だかこの二人を見ていると、焦った振りをしている自分が馬鹿らしく思えてくる。俺は切り替えるように一呼吸を置くと、アザミを介してノエルへと頼みごとをする。
「わかりました」
アザミは無言でノエルを抱えたまま立ち上がり、一番見晴らしの良い場所へと移動する。
やがて、俺の端末へとノエルの視界データが転送されてくる。彼女の力を使えば、一キロメートル先の景色だろうが、多少の障害物があろうが関係ない。
そこに映されていたのは、どう考えてもただの一般市民にしか見えない少年だった。なんで、そんな少年が街頭スキャンに引っ掛かるんだという疑問と、わざわざこんな日に騒ぎを起こしてくれやがってという怒りが半分ずつ沸き上がってくる。
やがて少年の回りには二機の警備兵が銃口を向けて接近していった。少年は状況が理解できていないというようにオロオロしながら、その場所を動けないでいた。
「なんだって識別番号のない奴がこんなところに紛れ込んでいる?ここが統一政府の端だって言うならまだしも、ここは内部だろ?様子から見ても、他の部隊って訳でも無さそうだし」
少年の存在や行動には不可解な点が多すぎる。だが、だからといって助けてやるほどこちらもお人好しではない。
「隊長、あの子を助けなくてもいいんですか?」
そう考えていると、まるで心を見透かしているかのようにアザミが尋ねてくる。どうやらノエルは俺だけでなくアザミにも視界データを送っているらしい。
「あいつを助けて俺たちに何か利益があるのか?答えはノーだ。利益もないのに、わざわざ俺たちが危険を冒さなきゃいけない理由がどこにある?」
人でなしかと思われるかもしれないが、たった一人の少年のためにここにいる全ての仲間を危険に曝す訳にはいかない。それはリーダーとして、しっかりと線引きをしなければならないところだ。
「それに、俺たちの作戦は完全に邪魔されたんだ。その報いを受けさせてやりたいって怒りがあっても、助けてやろうなんて義理はどこにもない」
そう、俺たちは時間を掛けて準備してきた作戦を、彼のせいで無駄骨にされてしまっているのだ。だというのに、どうして助けなければならないのか。逃げ切れた相手をわざわざ殺すような真似こそしないが、助けてやる義理は何処にもない。
「怒り、ですか……」
そんなアザミの呟くような声が聞こえたが、俺はそれに触れる気はなかった。
そうこうしている内に、警備兵たちがとうとう排除行動へと移行した。こうなれば一般市民の彼が、戦闘型の警備兵に対抗出来るわけがない。
後は追い詰められて、脳天に穴を空けられて廃棄されるだけだ。
少年は市民たちに紛れ込みながら逃げ惑い、必死に警備兵から距離を取る。一般市民にしてはなかなかの機動力だが、それでも警備兵の速さに勝てる訳がない。
市民たちの合間を縫って逃げ出した少年に、とうとう警備兵の銃口が火を吹いた。放たれた数発は少年を捉えることなく、コンクリートへと焦げ痕を残していく。だが、その中の一発が少年の頬を掠めていった。
その時俺は一体どんな表情を浮かべていたのだろうか?俺が見た光景はあまりにも信じ難いもので、俺の頭部に埋め込まれた基盤の群れが捉える電気信号の中で、普段では感知できない程の熱を感じた。
俺は驚いていたのだろうか?それとも焦っていただろうか?もしくは泣いていただろうか?いや、恐らく俺は笑っていたのだろう。
そんな感情などというものが、俺たちに存在しているかどうかも定かではないが……。
「アザミ、全員に告げろ。本作戦は失敗。よって各員早急に十三区を脱出し、八区へと離脱しろ。俺とアザミとクロスだけはここに残り、あの少年の救出作戦を実行する」
俺の中でこれは天命だと感じた。彼を救うことこそ、俺たちが今日この場所にいた意味だと、そう感じた。
もちろん仲間たちの反応は芳しいものではない。たった一人の少年のために、この組織の中核である三人が残り、他の全員が退却するというのだ。こんな作戦、これまでに聞いたことがない。
だが、その理由を説明している時間はない。俺の見たものが正しければ、あの少年はたった一発の銃弾で排除が完了してしまう。俺たちと比べれば、まるで砂糖菓子の様に脆い存在なのだ。
「助けないのではなかったのですか?」
まあ、一番疑問に思うのは彼女だろう。先程まで、助ける価値がないだのと色々と理由を並べ立てていたにも関わらず、突然助けると言い出したのだ。疑問に思わない訳がない。
だが、それとこれとは別だと言うように、彼女は誰よりも早くに動き出す準備を終えていた。彼女の腕の中にいたノエルは既に他の者の腕の中に抱えられていたのだ。
「理由は後でいいだろ。あいつには危険を冒すだけの価値がある、作戦遂行にそれ以上の理由が必要か?」
彼女は既に壁の吹き抜けに脚を掛けて、飛び降りる準備は万端だと言わんばかりの様子だった。
「いえ、別にいりません」
彼女には理由などというものは必要としない。命令とあらば、その命令を完遂することだけに集中する。それが彼女だ。
そしてもう一人、後ろで一本に結んだ金髪をなびかせ、まるで騎士のような佇まいと、凛々しい表情をした男が、俺の隣に肩を並べる。その腰には身長とほぼ変わらない長さの刀が鞘に収まっており、彼もまた理由などを尋ねる前に戦う準備を終わらせていた。
「せっかくなので、後で私にも理由を聞かせて頂きたい。お互い生きていられればですが……」
そう言いながらクロスも吹き抜けに足を掛けて赤く染まった街へと視線を向ける。金髪が風に靡き、凛々しい顔がより鮮明に映り込む。生きて戻れないなどと、欠片も思っていない顔である。
「俺たち三人で、たかが警備兵共に遅れを取るはずがないだろ」
最後に俺が腕にガトリングを装備して、青い空と赤い街並みが生み出すコントラストを眺めながら吹き抜けへと脚を掛ける。
「既に街は真っ赤に染まっている。だから、遠慮する必要はない。見つかろうが何しようが構わない。何がなんでもあの少年を救出する。いいなっ!!」
俺の声音も一変する。声を変化させたところで、何かが変わる訳ではないとわかっていても、俺を取り巻くどこかの部分が、無意識の内に俺にそうさせているのだ。
「「了解!!」」
二人の声音も、どこか重くのし掛かるような、決意の滲み出る声音へと変わっているような気がする。彼らもまた、俺と同じように感じているのだろうか。
「いくぞっ!!」
俺たちは百メートル以上の高さのあるビルの上から、一人の少年を救い出すために、何の迷いもなく赤く染まった街並みへと飛び降りた。
視界が蒼から赤のグラデーションに飲み込まれていく。まるでここが地獄であるかのごとく、赤に染まった街並みの中に、俺たちは自ら身を投じる。
彼を救わなければならないという指令は、本当に自分のものなのだろうか。自分の頭部に埋め込まれた半導体の数々に、それだけの判断ができる能力があるのだろうか。
そんなことを考えるのも束の間、このまま地面に叩きつけられれば、いくら頑丈な身体といえど、脚部の破損は免れないだろう。
俺は背部へと、自らの頭部から電気信号を与える。背部に装着されたバックパックのブースターから、凄まじい勢いの爆風が放たれ、俺の身体は重力に逆らい自由落下の勢いから逃れる。
隣のクロスも俺と同じように、背部のブースターで勢いを殺して着地したが、俺よりも余程軽やかに着地を決めていた。
「隊長のその巨体を支えるブースターって、一体どれくらいの燃料を消費するんでしょうか?」
クロスと俺の質量があまりにも違いすぎるのは仕方がないことだが、最早俺たちに痩せるという行為ができないため、どれだけ自分がクロスの細さに憧れようが、それは叶わぬ夢なのだ。
「黙って作戦に集中しろ。無駄口叩いてないでさっさと行くぞ。既に遅れを取っていることを忘れるな!!」
そう、三人でビルの上から飛び降りたはずなのに、隣に着地したのは一人だけ。もう一人はというと、空を蹴る勢いでバックパックなどを使う必要もなく、少年の元へと跳んで行った。
「なかなか羨ましいものですね、脚部の特殊型というのは。あの動きのクールさは僕も見習わなければと、常々思っているのですが」
「言ってる場合か!!早く後を追うぞ。戦闘に関しては『汎用型』と対して変わらねえんだから」
そんなことを言い合っている間に、アザミは一キロメートルあった少年との距離を、既に五百メートル近くまで縮めていた。一体秒速何メートルで走っているのだろうか。自分には到底出来る業ではない。
「では、お先に失礼しますね」
そういってクロスもまた、俺よりも先に少年の元へと向かう。この身体の悲しい性だが、今はまだ余分な燃料を使う訳にはいかない。
「てめえら、後で覚えていろよ」
俺は負け犬の遠吠えとしか思えないような台詞を吐きながら彼らの後を追い、少年の元へと急ぐ。